第6話 「未来樹、光り輝く瞬間」

 ひんやりと冷たく重たい泥が、バラバラと降ってきて体にまといつく。


飛空しょうの嘘吐き!」

「嘘吐き飛空!」


 はやし立てる声と笑い声が四方から聞こえてくる。


「嘘なんてついてない!」


 叫んだ途端に口の中に飛び込んできた砂がジャリッと嫌な感覚を歯に伝える。


「じゃぁ、何で泥まみれ? 自分の未来もみれないくせに!」

「そーだそーだ! 未来が見えるなら俺達のいたずらくらい分かってるはずだろ!?」

「嘘吐き! お母さんが言ってたぞ、お前の言う事なんかぜ~んぶ嘘だって!」


 前から後ろから誰かの手に押されてよろめく。前が見えない、目が開けられない。


「嘘吐き!」

「う・そ・つ・き!」

「飛空の嘘吐きーー!」

「う~そつき!う~そつき!」


 追加の泥が降ってきて、あまりの重さに膝を突く。誰かが脇腹を蹴り上げて痛みに声が出せない。


(助けて! 助けて!お父さんッ、助けて!)



「飛空、そんな奴らちょちょいのちょいってやっつけりゃいいんだよ。未来見て先回りすればいいんだよ」

「お父さん、見えないよ」

「大丈夫、大丈夫。お前の力があれば簡単に解決さ」


 楽しそうに大人達と会話しながら、片手間に父親はそう言った。


「お父さん!僕見えないんだよ! 自分の未来は見えないんだ!助けてっ!」

「明日も頼むぞ。お前が頑張ってくれるから父さん嬉しいよ。もっと稼いでくれよ」


 満面の笑みを向ける父親の大きな手が背中をドンドンと叩く。


「お父さん!行かないでッ! 助けて!お父さん!!」

「ほぉら、好きなもんでも買って食べな」

「行かないで!!」

「じゃぁ、父さん行くから」

「お父さん!!」


 空へ放り投げられた札束が解けて、ハラハラと舞い落ちてくる。


 大人達の和の中心に入って遠ざかっていく父親に必死に手を伸ばす。揉みくちゃにされ大人達の陰に隠れて、僅かに覗く父親の背に伸ばす手が翻弄されて虚しくくうを切る。


 泥が飛空の足をズブリと飲み込んだ。


「助けて、助けてッ!」


 足元の泥が沢山の人の腕になり足を腰を腕を掴んで、体をギリギリと締め付けながら泥の中へと引き込んでいく。


「助けて!!ーーーお母さん!お母さん。 どこ?! どこに行っちゃったの?!お母さんッ!!」


 のたうつような泥が胸を肩を首を飲み込んで、もう口元まで迫って来ている。息が出来ない!息が出来ない!




 助けてぇーーーーーッ!!!!!!!




 飛空は自分の声に飛び起きて目が覚めた。首元を流れ落ちる汗を拭って両手で顔を覆う。


 しばらく見なかったお馴染みの夢。忘れかけた頃を見計らうように繰り返しやって来るこの夢は「忘れるなよ」と言う神様からの戒めだと飛空は感じていた。


 カーテンの隙間から差し込む朝日が飛空の胸までまっすぐ伸びていた。ベッドの上で懺悔をするように丸くなって、飛空は声を殺して涙を流している自覚も無く泣いていた。


「・・・・・・スカイ」


 スカイが飛空の頭や頬に体をすり付けて、ぐるぐると喉を鳴らしている。顔を上げてスカイへ目を向けると、金色の目をまっすぐこちらに向けた黒猫は光に照らされて白く輝いて見えた。


「分かってるよ、スカイ。 僕はまだまだ罪滅ぼしが足りてない・・・逃げてちゃ駄目なんだ、そうなんだろう?」


 頬を落ちる一筋の涙をスカイが舐める。


 スカイを抱きしめて、その暖かさと柔らかさに飛空はだんだん落ち着いていくのを感じながら、しばしベッドで横になった。



 どれだけそうしていたのか、飛空が部屋から出て来るとかけるが朝食を作り終えていた。


「今、起こしに行こうかと思っていたよ。今日は遅いな」


 そう言って振り返った翔が飛空の顔を見て黙った。


「大丈夫。 またいつものだから」

「ーーー最近、動き始めたって感じだからかなぁ・・・」


 飛空は風切未玖かざきりみくが来店してからスカイが人を招く期間が短くなった様に感じていたが、翔もそう思っていたようだ。


「未玖ちゃんが来た後、何人くらい見たんだっけ・・・。 そろそろ疲れが出る頃じゃないか?今日は休むか?」


 飛空は小さく首を振った。


「スカイが連れてくるのは、僕が会わなければいけない人や未来を見る必要のある人ばかりだからね」

「神様の罰も怖いし?」


 首を振る飛空が笑っているのを見て翔も笑顔になった。


「俺も・・・助けてもらったしな、こいつとお前に」


 会話に加わりたいのか、テーブルの上にやって来たスカイをひと撫でして翔が笑う。


「ちょっと手加減しろよスカイ」


 翔が声をかけるとぷいっと顔を背けてテーブルから降りたスカイは、ソファーで毛繕いを始めた。


「ーーーーそろそろ、引き籠もりを止めろって事なのかも・・・」


 呟いた飛空の言葉にタイミング良く、スカイはそうだと言わんばかりにひと鳴きした。


「知らん顔して聞いてやがる」


 2人で目を合わせて軽く笑った。

 いつまでも子供みたいにうじうじとしていてはいけない、自分で未来をしっかり選んで進んで行かなくては。そう思っても人に言うほど簡単じゃない。皆、見えない未来を模索して不安になり苛立ったりしながら生きている。どんな才能を持っていても迷わず生きてる人なんていないのだろう・・・と飛空は思った。


 いつものように食事をすませケーキ作りを始める。一歩引いてしまいそうなそんな日こそルーティーンが助けになった。


「翔さん、ケーキ何が食べたいですか?」

「ん~・・・、ふわっふわのシフォンケーキかなぁ。 オレンジの香りがするのがいい。気分が上がる」

「分かりました。 ーーーー翔さんがカットします?」

「俺、繊細なこと無理。ナイフ入れた途端ぺっちゃんこにしちゃいそうだからな」

「じゃぁ、カップに入ったシフォンにします。クリーム添えてソースかけるくらいはしてもらえますか?」


 翔が親指を立てて見せた。


 ケーキの焼ける間に昨日出た分のチョコの追加を作る。ケーキ作り用の部屋から甘い香りが隣の部屋まで広がって来て、コーヒーを片手に至福の朝を堪能している翔へ飛空が声を飛ばした。


「翔さん、いつまでのんびりしてるんですか?そろそろ支度しに下りる時間じゃないですか?」


 渋い顔をしながら翔はカップを口に寄せる。


「何でまだ居るって分かるんだ? 嫁さんかよっ」


 小さく呟いた翔の声が届いたのか否か。


「なんか言いましたか?」


 と、飛空の声が聞こえて「クワバラ、クワバラ」と呪文を口にしながら翔は下へ降りて行った。




「未玖に任せる」

「パイプ役になったら風早と話す口実がもっと増えるでしょ?」


 そう言って、明輝あき波瑠妃はるひは笑った。


 女子とスイーツを食べに行った事があると口を滑らした風早が、同じく甘党の副キャプテンからセッティングを頼まれて困っている・・・と、昨夜未玖へ連絡が入ったのだった。


「私たちの連絡先も知ってるのに未玖に頼んだんだよ。風早も未玖と話がしたいんだよ、きっと!」

「幹事さん、よろしく!」

「楽しくなるね~♪」


 2人は代わる代わる未玖の肩を叩く。


「丸投げ禁止ぃ~~!」


 困った未玖はジタバタと叫んだ。


「あはは、副幹事として相談には逐一乗りますよ」

「風早君との会話、ねほりはほり聞きたいだけでしょ~」

「鋭~い」


 2人の声が綺麗にハモって3人一緒に吹き出した。そんな事を話していつものように笑いあって解散した。


 何処のお店がいいか、風早ともう少し距離を縮めるにはどうしたらいいのか・・。前に聞きそびれた事に加えてカエルに聞きたい事が見つかって、未玖は足取り軽く喫茶店へ向かっていた。


 ふと、うきうきしている自分に気付いて不思議に思う。行ったところでカエルが見てくれるかどうか会ってくれるかすら分からないのに、何をわくわくしているんだろう?そう思いながら階段を上って走るように歩いていた。


 喫茶店へ入るとすぐに店主が満面の笑みで迎えてくれた。3度目はもう常連だろうか?と考えながら未玖も笑顔を返す。


「こんにちは。えっと・・・マスター?」

「翔でいいよ、未玖ちゃん。 久しぶりだね、首を長~くして待ってたよ。 なぁ、飛空」


 翔が声をかけた先に目を向けた未玖は、ケーキを補充していた青年が顔を上げ、目と目が合った瞬間に言葉を失った。




 ど・・・どストライク!!




 教会の鐘の音が盛大に聞こえた気がした。


 20代前半くらいだろうか。文学青年の様な線の細いその人は、スポットライトが当たっている様に輝いて見えた。少女マンガなら確実に薔薇を背負っているだろう特別感。


 目も鼻もすっとしていて色白で、緩くうねる茶色い猫っ毛の髪が窓から入る反射光を受けて金色に光って見えた。柔らかな前髪が目にそっとかかっている様が繊細さを感じさせて、側でそっと支えてあげたくなるようなほってはおけない気配があった。


 数秒か一瞬か分からない時間見つめ合って、青年は不意に目を外してバックヤードへ消えて行った。


「おい、飛空。あれ?」


 翔の声も耳に入らず、飛空はバックヤードを入ったすぐ横の壁に背を付けて立っていた。目をパチクリと見開いて、今自分が見た光景に驚きを隠せなかった。




 今のは? 今のは何だ?!




 集中はしていなかった、ただ目を向けただけだった。それなのに・・・・・・。



 未玖の姿にオーバーラップして大樹が見えていた。


 その樹は見る見る枝数を増やし、姿を変えるかと思うほどの勢いで広がっていった。飛空は未来が変化していく瞬間を見るのは初めてだった。


 雷が天へ昇って行くように黄金色に輝きながら一瞬に形成される無数の枝。その枝の美しさに目を奪われた。あんなにも勢いよく枝葉を伸ばして人の未来が変化していくものかと愕然とする。しかも、その新しい枝全てに自分の姿を見て更に混乱した。



 未来が変わった?! 何故? 何があった?!



 胸が早鐘のように鳴って、飛空は握った両手を胸に当てたままじっと立っていた。


 自分は何かをしでかしたのだろうか?と考えてみても思い当たる事が浮かばない。それとも何かを見落としていたのか?くるくると変わる思考に合わせるように、飛空の目も忙しなく動いた。



 飛空が初めての体験に戸惑っていることに気付くはずもなく、翔は首を傾げて未玖を見やり肩をすくめた。


「まぁ~・・・気にしないで。今日は朝のスタートからちょっと変だったからな」


 そう言って未玖に笑いかけながら、翔は女性客の会計をこなしていた。


「今の飛空君、見た?」

「気にするなよ」

「飛空君があんなにしっかり人の顔見てるの、私初めて見たわ」


 興味深そうに飛空の消えた先を見つめる女性の目線を遮って、翔は手を差し出した。


「人見知りが治りかけてるだけさ。 はい、お会計」

「って言うか・・・。これはもしかして?」


 女の人は翔の言葉を流して未玖に目を向け、屈託のない笑顔でウインクした。未玖は赤い顔をしながら「何のことだろう?」と言う風に首を傾げて見せる。


他人ひとのデリケートな事に割り込むの禁止! ほら、会計済ませてとっとと帰る。いつから出しゃばりオバサンになったんだ?」

「自分だってオジオバさんになってるって気付いてる?」

「オジオバって・・・オバサン? 心外だな」


 翔はふざけた感じで眉間にしわを寄せる。


「飛空君のお母さんみたいだよ」

「せめてお父さんくらいにしてくれ」

「いいえ、受験生のお母さんって感じ」


 女の人は翔の鼻先につんつんと指を向けて笑っている。


「細かいことに気付く割に大雑把な誰かさんと違って、丁寧にフォローしてるだけだよ」

「あなたは大雑把だけど、人の些細な心境にはよく気付くものね」

「そこは大雑把じゃなくて、器が広くて細やかって言って欲しいね」

「淋しがってる妻の気持ちには無頓着だったけどね」


 女の人はしゃに構えながら少し顎を上げて、冷ややかな笑顔で見つめた。


「・・・・・・・・・すまん」


 懐深く入った球を翔が打ち返せずゲームセットとなって、ばつが悪そうな翔は彼女から目をそらして未玖へ話しかけた。


「あ~・・・、元奥さん。昔はこんなんじゃなかった」


 と言って、アラビア風な彼女の服を摘まんで見せた。


「慎ましやかな奥さんしてたの、それはそれで気に入ってたんだけどね」


 顔をくしゃっとさせて彼女は笑う。


「仕事にかまけて返って来ない旦那にこっちから三行半みくだりはん突きつけてやったのよ」


 そう言って翔の手を取り、やや力を込めて代金を乗せる。


「おい、もう少し言いようがあるんじゃないか?」


 そう言う翔は少し困って苦笑いしていた。


「この人お喋りでしょ?それが楽しかったのに会話ゼロよ。ゼロ。黙って1人で家に居るなんて結婚した意味ないわよね」


 笑顔で冗談のように話す彼女の言葉に柔らかい棘が幾つも入って、翔は痛そうな顔をしながら笑って俯いた。


「ーーーもっと強く仕事を控えるように言えば良かった。良い妻し過ぎちゃったわね」

「良い妻って誰だろう?何処にいるのかなぁ~」


 翔がきょろきょろと辺りを見て茶化す。


「仕事が楽しいなら気兼ねなく出来るようにって思ったのよ」

「それ、嫌み?」

「嫌み言ったり困らせたりするような女になりたくなかったの! 旦那っていう枠にはめたくなかったから・・・」


 笑いながら翔の腕を軽く叩いた彼女は、一瞬翔を睨んだ目を伏せて潤んだ瞳を未玖に投げて笑った。


「でも・・・生きてるからいいか!」


 彼女の明るい声と笑顔が一瞬の気詰まりを打ち消した。


「元旦那の喫茶店と目と鼻の先でお店をしてるの、そこのパワーストーンのお店」


 そう言って手で指し示した元奥さんは、未玖の顔を見て小さく「あっ」と行った。


「いつだったか、お店を覗いてた子ね。帰りにでも寄ってよ、翔のお店のお客さんなら少しお安くするわよ」

「こらこら、ここで商売しない! さっさと帰れよ、客来るぞ」

「カエルの真似なんて百年早いわよ。 じゃあね」


 声を落として翔に言ってから、他の女性客に手をひらひらさせて彼女は店を出て行った。


 サッパリとした快活な彼女と恋人同士の頃の2人が何となく見えるようだった。


「オーダーの入った物を作る間、ここを待合室代わりに客を寄越したりするから持ちつ持たれつって所かな。 一応、あれで気にしてくれてる」


 そう言って翔はちょっぴり気恥ずかしそうに笑った。


「あの、元奥さんはカエルさんの事知ってるんですか?」


 他の客の手前、未玖も小声で訪ねた。


「偶然この町で会ってね。俺がやせ細ってたから病院行けってうるさいんで、ちょっと話すことになった。ーーーカエルが癌を教えてくれて命拾いしたって」


 驚く未玖に手を振って翔は笑った。


「大丈夫、病気はもう心配ないから。飛空の御陰で生きる未来を選ぶことが出来た」


 未玖はどう言っていいか分からず真面目な顔で翔の顔を見つめた。


「妻に見捨てられるくらい仕事してたのに、離婚後は更にがむしゃらに働いてたからね。体がどうなろうとどうでもよかったって言うか・・・さ。 ーーーそんな時に道端に捨てられたみたいに転がってた飛空を拾った。こっちが助けたつもりだったのにいつの間にか逆転さ」


 小さく声を立てて翔は笑った。


「入院中も世話になったし、1人だったら頑張れなかったかもな・・・」


 そう言って手元の物を片づけた。


「俺を助けるためにスカイが引き合わせたのか、あいつを助けるためかそれとも両方か・・・スカイに聞かないと分からないけどね。 とにかく、今はいい感じで暮らしてるよ」


 翔はまた笑った。


「飛空に会いに来たの? それともカエルに?」


 頭の中で色々なことを整理しながら未玖は「カエルさんに」と答え、翔が「それは残念」と言った。

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