第5話 「未来のトリセツ」
青く晴れ渡り心地よい風の吹く土曜日、共に笑顔を向けて母と別れたのは駅でのこと。
空の青さにきりっと心を引き締めて階段を駆け上り、
「とにかく!本当に苦しい日々だったわッ!!」
女性のきつい声が耳に飛び込んできて未玖は足を止めた。
「地べたに額を擦り付けて、這いつくばって何とかやってきたの!」
入り口に背を向けてスツールに腰掛けた女性が、カウンターの向こうの人間に苦しみを怒りをぶちまけているところだった。
カウンター越しに彼女の言葉を受けている人物も腰掛けているのか、未玖からはやや
店主がカウンターに乗せた手を置いたまま「まって」と言うように掌を少し浮かせて、目線を入り口脇の2人掛けテーブルへ向けた。「そこで待ってて」と合図しているのだと解釈した未玖は、音を立てないようにそっと腰掛けた。
「・・・すみませんでした。本当に、申し訳ありません」
テーブルに目を落としたままの未玖にも、相手が頭を下げている気配が伺えた。
「あの時、ちゃんと対策を教えてくれてたらって何度恨んだことかッ」
「苦しませてしまって、辛い思いをさせて・・・本当に、本当にすいませんでした」
少しの間があってコップが皿の上に置かれたらしい音が、小さくカチリと聞こえた。
「ーーーー会社はずいぶんと小さくなったけど、借金を返せる目処は立ったし・・・。バラバラだった家族も一つにまとまってきて・・・」
途切れる言葉の間に、彼女は記憶を反芻していた。
「ーーー結果的に、これで良かったと思うわ」
言い切った張りのある声が、先ほどより明るく室内に広がった。宣言するほどの強さは無いものの、その声はしっかりと地に着いた力強さを含んでいた。
「大金に慕われて生活しても心がバラバラの家族じゃしょうがないわね。振り出しに戻って・・・案外すっきりしたわ」
小さくガタッと音がして、微かに不穏な気配を感じた未玖はカウンターへ目を向けた。
「大丈夫よ。 物騒な物なんて出したりしないわ、やっと良くなってきた人生なのに刑務所とかごめんよ」
そう言って何かをカウンターに置き彼女が立ち上がったのを見て、未玖は
「言いたいことは全部言ったし。・・・少ないけど授業料よ、受け取って。 ほんのちょっとだけ感謝も含めてね」
彼女が足音をたてて後ろを過ぎ、立ち去った後もしばらく未玖はじっと俯いていた。
「・・・大丈夫か?」
「ーーーーうん、大丈夫」
「ほら」
「・・・いいですよ。
2人の会話が聞こえてきて、そっと未玖が店主達の方へ顔を向けると、青年の後ろ姿が目に入った。未玖はしばし目を見開いたまま、青年の姿の消えたバックヤードへの入り口を見つめていた。
「ふぅ~・・・。 肝冷やしたぜ」
「ーーーあの、今の男の人。もしかしてカエル・・・さん?」
そう聞きながら未玖はカウンターへやってきてスツールへ腰掛けた。
「あぁ、結構ハンサムだろ?」
「うぅ~ん・・・顔は見えなかったから、どうかな?」
そう言って座り直す未玖を、店主は一瞬真顔になって見つめた。
「あれ? 今日は土曜日じゃなかったか?」
「そうですよ」
「うわ~~、マジか?! 冗談じゃないよぉ」
片手で顔を覆って店主は天を仰いだ。
「・・・?」
きょとんと目を丸くしている未玖の横で、いつの間に来たのか黒猫スカイも行儀良くカウンターに座り目を丸くしていた。
「オープンした途端にあのご婦人。・・・で、未玖ちゃん? 路地裏の目立たない喫茶店でも、それなりに土日は書き入れ時なんだよなぁ」
あっ、と未玖も思い当たって店内をぐるりと見渡してみる。未玖の他には誰も客はいなかった。
「あぁ~・・・ごめんなさい。日を改めた方がいいかな?」
「ああ!良い、いい」
未玖が腰を浮かせると店主が苦笑いしながら引き留めた。
「ーーーよし、良い事を思い出した」
そう言ってすぐさま壁に取り付けられた金属のパイプに手を伸ばし、2階へと声をかけた。
「おい、
直ぐに小さい声が返ってきた。
「ミクちゃん? 誰?」
「
少しくぐもった声が「あぁ」と記憶をたどる。
「悪いけどさ、上でやってくれるか? 準備できたら合図くれよ」
「分かった」
店主は親指を立てて未玖にウインクを飛ばした。
「前に1度、上で見てもらった事があってね。確かその時はお客さん来てたんだよ」
笑顔でヨシヨシといった風に手をすり合わせ1つ手を叩いてから、未玖の前にメニューを置いた。
「ご注文をどうぞ」
未玖はまごまごと飲み物を決めた後、店主にひとつ聞いた。
「さっきの、お金を置いていったんですか?あの女の人。 あ、すいません気になっちゃって・・・」
かまわないよと言うように首を軽く振って、ひとつ頷いた。
「何だか、凄く怒ってたのに・・・お金を用意してたんですね。 授業料とか・・・」
「
言葉の意味が伝わっていなさそうな未玖の表情を見て、店主が言葉を足した。
「お金を用意するくらいなのに、クレームって何だかチグハグですね」
「一言・・・一言だけ礼を伝えたいって思っていても、顔を見るとつい今までの辛さを口にせずにはいられない・・・って事もあるんだろうね」
言葉の途切れたタイミングで金属パイプが「キンキン」と小さく鳴った。
店主に案内されるまま扉のないバックヤードへの入り口をくぐり、未玖が右手にある少し暗い階段を見上げると、2階から黄緑色のカエルが見下ろしていた。おずおずと少し頭を下げて会釈すると、カエルは両手を左へ振って招き自分も左へ消えて行った。一歩上った所でスカイが足元をすり抜けて2階へ消えて行った。
(一応、案内をしたい感じかな?)
笑って2階へと上がった未玖を、カエルが「どうぞ」とソファーへ招いた。
階段から少し離れた所にテーブルを挟んで向かい合わせにソファーが置いてあり、奥の壁際がキッチンになっていた。こじんまりとした室内は明るい茶系で統一されていて、落ち着いた男の隠れ家といった感じだった。
カエルは階段を背にするソファーへ座り、未玖はテーブルを挟んだ向かいのソファーへ腰掛けた。
「なんか・・・、いい感じのお部屋ですね」
「ありがとう。 全部、翔さんの趣味が反映されてる感じだけどね」
カエルは笑っているようだった。
「ここがお住まいですか?」
「そう、翔さん・・・マスターと一緒に暮らしてる」
「俺の趣味、いい感じでしょ?」
飲み物を持って上がってきた店主、翔が話に加わった。
「まぁ、しょ・・・カエルの祖父さんの趣味も半分入ってるけどね」
「お祖父さんと住んでるんですか?3人で?」
「いや・・・。祖父は死にました」
ため息のように小さく「あぁ」と言って次の言葉が見つからず、未玖は黙った。
「気にしないでください。祖父とは死ぬ少し前にスカイが引き合わせてくれただけで、あまり接点が無くて涙もでませんでしたから」
テーブルに置かれたコップがふたつ。未玖の注文したキャラメルマキアートから少し焦げた甘い香りが広がって、セピア色の時代を感じさせた。カエルの祖父はどんな人だったのだろう・・と、未玖はもう一度部屋の隅々に目を向けた。
「譲り受けたときは、一階は古本屋だったっけ?」
「3分の1は骨董品も置いてあったな・・・」
ネットの情報も当たらずとも遠からずだったのかと未玖は頷いた。
向かい合った2人の間、テーブルの横に置かれた1人掛けの椅子に翔が座った。
「葬儀の手順も分からなくて大変だったな」
翔が笑う。
「翔さん、下りてください。お客さん来ますよ」
「本当かぁ?」
「直近の未来は外しません。今、
その言葉に翔はそそくさと階下へ消えて行った。
「ーーー事と次第によっては、多少の脚色はしますけどね」
「脚色?」
「あ、嘘も方便的な感じで。 でも、もう依頼された未来を見る時は脚色や誇張はしません。絶対に!」
「・・・神様のお仕置き怖いですもんね」
カエルは小さく「あぁ・・・」と言って頭を掻いた。
「お客さんが来るのは本当。今すぐじゃないけどね。ーーーーさて、風切さんの知りたい未来を見ましょうか」
そう言って前回と同じく写真を見て、未玖の視界が黄緑色いっぱいになる程頭を近づけて数分の時を待った後、カエルが話し始めた。
「産みの母と会うのは未来全体の6割程度。その内7割が風切さんから動き、3割が母親側からの働きかけで会うようです。ーーーあぁ、えっと。 3割ってお母さんがあなたを思っている数字ではないですよ。会いたくても家族に気兼ねしてたり、会う資格が無いと感じてたり・・・色々あるでしょ?」
未玖は頷いてから言った。
「全体の6割ってなんとなく、納得の数字・・・かな」
「30代に会うのが6割、20代に会うのが3割。結婚を期に会おうと思うケースが多いようです」
「って事は、30代の頃に結婚する確率が6割ってこと?!」
「ええ・・・まぁ。現時点では」
「えっと、その・・・結婚する相手って、どんな感じの人か教えてくれたりとか・・・?」
もじもじと手をいじりながら、未玖は知らず前のめりで聞いていた。
「あまり具体的に見るのはどうかなぁ・・・」
そう言いながら未玖の新たな質問を受けてカエルの動きが止まる。少しして、小さな声で
「・・・え? 嘘、いやぁ・・・」と身を引いたり頭を振ったり、両手を頬に当てて恥ずかしそうになったりするカエルを見て未玖は目を細くして睨んだ。
「何見てるんですか!
手近なクッションをカエルに投げると、頭に当たったクッションがぼうんと跳ねて階段まで飛んで行きそのまま階下へ落ちていった。
「ごめんごめん! でも違う!違うから!」
「じゃあ、何なんですかッ」
「いやぁ・・・何て言うか・・・。今は、それについては言えないっていうのか、話さない方がいいというか・・・」
「ええ~? やっぱり面白がってるんだ」
「そうじゃないですから!本当にッ」
未玖の攻撃を怖れるように両手を前に出してあたふたとするカエルを見て、未玖は少し自分の行動が恥ずかしくなって身を引いた。そんな彼女の様子を見てカエルは怖ず怖ずと話を戻す。
「えっと・・・。 結婚するのは未来全体の8割くらい。2人の結婚相手が見える」
「2度結婚するの?」
「そうではなくて、Aさんと結婚する未来とBさんと結婚する未来があるという事。候補が少ないとか、思ってる?」
未玖が苦笑して小さく頷いた。
「沢山欲しいなんて贅沢は言わないけど、少ないよりは多い方がいいような気が・・・」
「数は問題じゃないんだよ。10人相手がいてもDV男だったり、ヒモ男やギャンブル借金男みたいのばかりで、幸せに暮らせる相手が1人もいない人もいる。ーーー結婚して幸せになる相手なら1人で十分じゃない?」
「それは・・・そう、ですね。 でも、そんな人いるんですか?だめ男ばかりの人」
「残念ながら、ごく稀にいる。大抵は1人くらい良い相手が混ざってるもんだけどね。 結婚相手が1人もいないって人もいるよ。ーーーただ、独身だから寂しい人生って事もない」
「で、私の相手ってどんな人なんですか?」
カエルがギクリとして、また動きを止めた。
「君に会って感じたことと過去を見た印象からすると、風切さんは割と素直に気持ちを表現する人みたいだね」
「分かりやすいってよく言われますけど、何の関係があるんですか?」
「今、気になってる人がいるよね」
未玖は真っ赤になった。
「その人が相手かどうかも今は明らかにしたくない」
「え~~っ」
「この間話したけど、新しく枝として伸びるポイント、未来を作る脇芽のような物がいっぱいあるんだ。何も知らなければ自然に出会って愛を育んで自然に結婚へ進んでいくはずが、知ったばかりに別の未来に進むこともある」
ソファーにどっぷりと身を落として未玖は天井を仰いだ。
「出会うって・・・、風早くんじゃないって事かぁ」
「そうとも限らない」
未玖がガバッと身を起こした。
「卒業してバラバラになって、成人してから偶然再会・・・ってパターンも《出会う》だろ?」
キラキラとした未玖の目に見つめられてカエルが俯く。
「だいたいの容姿を伝えたとして、君は条件に似た人を見る度にこの人かな?あの人かな?って気になると思う」
「うんうん、気になる」
「顔を赤くして見つめる女の人を見たら男は勘違いしやすい、すぐに枝の接点が出来てしまう」
興味深そうに未玖がカエルを見つめ、カエルは顔を逸らして話を続ける。
「ただ隣り合った枝だった物が、気になったら脇芽が伸びて更に近づく。興味を持てば枝振りも良くなっていく。その相手がDV男かより条件の良い人かは僕には分からない。・・・ただ、元々の未来で出会う事になっている人を越える良い人である可能性は低い」
「おすすめの優良物件と見栄えに引かれたいまいち物件・・・?」
「ん~、例えがあってるかどうか・・・」
カエルは困って苦笑いしているようだった。
「新しい枝が伸びて君がその枝を選んだとしても、その優良物件は必ずその先の未来にも出会えるように準備されている。ただし・・・。気になったその人物がどんな人かで出会うべき運命の人との関係が変わることがある」
「関係が変わる?」
「やや幸福度が低いだけの人なら、運命の人と結婚したとき元々100%だった幸福度が100を上回ることがある」
「いいですね!」
「でも!」
カエルは人差し指を立てて、注意するように続けた。
「先に出会った人が浮気を繰り返す人だったら、運命の相手の些細な言動を疑って幸福度が下がってしまう事も少なくない。それに、先に出会った人がDV男だった事も考えてみて。 運命の人が良い人だと分かっていても男の人への恐怖心がなかなか消えなくて、出会っても一緒になるのに時間がかかったり何の障害もなく幸福を受け入れることが難しくなったりしたら?嫌だと思わない?」
「それは、嫌だ」
「枝が伸びなければ僕には相手の事が分からない、でも、伸びてからでは遅い時もある」
「なんだか難しいですね」
そう言って、腕を組んで眉間にしわを寄せたまま未玖は黙った。2人の会話が滞ってしばらくした頃、階段の方から声がかかった。
「喧嘩でもしてるかと思ったが、大丈夫そうだな」
振り返ったカエルに店主がクッションを投げてよこした。取り損ねて跳ね上がったクッションが未玖の手元に収まって店主が「ナイス!」と笑った。
「飲み物、お代わりいる?・・・・・・いらなさそうだね」
上がってきた店主が手の付けられていない飲み物を残念そうに見つめて言った。
「一応、だいたい終わり」
「そっ、作り直すよ。下においで」
店主が階下へ降りた後、カエルはそっと言った。
「人の命に関わる場合と危機的な状況の時以外は・・・、あまり詳しく伝えないようにしてるんだ・・・」
未玖は黙って聞いていた。
「見ることですでに未来に干渉してるって言われたらそうなんだけど・・・。出来るだけ、本人に自分の意志で未来を選んで欲しいんだ。本人が進む気があるなら・・・険しい道で杖を渡し、川に阻まれたなら船のある方角を伝える手伝いくらいはするよ。平坦な道に連れて行ったり、目の前に船を出現させたりはしない」
未玖は頷いた。
「どうした? 未玖ちゃんの未来、何か気になることが?」
夕食を終え、当番の洗い物をしている
「う~ん、何でもない」
「なんだよ、気持ち悪いな」
「いや・・・、何て言うか。ーーーー他人の未来に自分の姿を見ることがあるなんて、今まで思いもしなかったなって」
ほんの少し飛空の恥ずかしそうな気配を察知して、翔が「ははぁん、なるほどね」と言った。
「何がなるほどなんですか?」
「未玖ちゃんの結婚相手、さてはお前だな?」
シンクを背に体を預けて立った翔が飛空の顔色を窺う。
「そんな事あるわけないでしょ! 何言ってるんですかッ!」
「をぉ、図星!」
顔を赤らめる飛空を見て翔は楽しそうに笑った。
「僕は本命じゃないから!いいんですよ、僕のことはッ」
「ほぉら、自分が結婚相手候補なんじゃ~ん」
「僕は!・・・僕は2割くらいです。もう1人の人が8割の確率で結婚します。気にしないでください、風切さんに何か言ったりとか、ちょっかい止めてくださいよ」
「ほぉ~う、未玖ちゃんまた来るんだ。アピール頑張ってみろよ」
「未来は見終わったからもう来ないと思いますよ!」
「お前は来るって知ってんだろ?カエル。・・・うわっ!やめろよぉ」
飛空に水をぴっぴっとかけられて、珈琲を片手に翔はその場を退散していった。
カエルこと青柳飛空(あおやぎしょう)は、未玖へ上手く未来を伝えられたかと天井を見上げながら思い返し、いつのまにか眠りに落ちていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます