第3話 「都市伝説のカエル」

 未玖みくが鞄を拾い上げてスツールに腰掛けなおしたところで、カウンターの上にメニューがそっと置かれた。


「珈琲か紅茶、後はオレンジジュースとコーラくらいしかないよ」


 店主の顔をチラ見して、未玖はメニューに目を落とした。店の内装もこだわりを感じたが珈琲と紅茶の種類の多さにも店主の趣味を感じられた。


「迷ったらケーキセットってのもありだよ。チーズケーキ苦手ならチョコもある」


 と、店主の指さす先、カウンターの内側に小さなガラスケースが置かれていた。未玖が少し体を伸ばせば中がのぞけるくらいの近さにそれはあった。


 下の段にケーキが置かれ、上の段に艶やかな黒い宝石が行儀良く並んでいた。チーズケーキは丸い外周に波の様な軌跡を描いて、ラズベリーソースらしい物で細い線が描かれていた。そのライン上に薄紫の花びらを模した砂糖菓子があしらわれている。チョコには小さいバラをかたどった物が飾られたいた。


「カフェラテとチョコを・・・」


 店主はメニューを下げて、ゆったりとした動きで珈琲を淹れる準備を始めた。未玖はその動きを見ながらそっと聞いてみた。


「あの・・・何で、分かったんですか? 私が・・・」


 カエルと言い掛けて、未玖は背後の入り口に目をやった。誰かに聞かれたらいけないような、そんな気がしたのだ。


「カエルを探しにきたのか?」


 珈琲に目を落としたまま店主が言葉を受けた。未玖は黙って頷く。

 店主はたっぷり時間を使って間を取った。


「スカイ・・・。あの黒猫が案内するお客さんには会うことになってる」


 未玖が壁に目を向けると、先程まで居たはずの黒猫の姿は消えていた。


「カエルが言うには、あれは神様の使いだそうだ」

「神様の使い? 狐とか鹿じゃなく、猫が?」


 店主が口の端で微かに笑う。


「そう、狐でも鹿でもなく猫がね。 そして、あいつが誰かを連れてくる時には決まって客足がパタリだ」


 店主は未玖の前にカフェラテを置いた。


「久し振りで忘れてたけどね」


 次いでチョコが二つ乗った小皿が添えられた。


「うちのは甘さ控えめだから、甘党だったら足してくれ」


 そう言って、ずんぐりとした5センチ程のペンギンをカフェラテのカップ横に3匹並べた。首元にそれぞれバニラ・ヘーゼル・はちみつと書かれていた。弧を描いて書かれた小さな文字がネックレスの様に見える。


「俺と出会う前の話だがーーー死んだ方が楽だ、と思うくらいの責め苦を神様から受けた後、スカイが現れたそうだ。その時はチビ猫だったらしいが・・・」


 すでに冷めてしまった自分の珈琲を口に含んで、店主は不味そうな顔をした。


「スカイが連れてきたり、スカイに連れて行かれたりして何人かの未来を見たらしい。 ある時、スカイの案内を断り未来を見なかった事があって、また数日地獄のような苦しみに襲われて観念したそうだ」


「地獄の、苦しみ・・・」

「神様のお仕置きは恐ろしいらしいぞぉ」


 そう言って店主が笑顔を見せる。


「与えられた力を乱用せず、必要な者の為に使う。 神様のルールをたがえたら、狂う間際の苦しみが永遠だ。生かさず殺さず四六時中やられるんだってさ」


 店主は口を屁の字にして肩をすぼめ身震いをしてみせた。未玖はくすりと笑った。そんな2人の会話を黙って聞いていた者が、少し離れた壁の向こうから声をかけた。


「勝手に他人の個人情報を漏らさないでくれませんか?」


 ふいに割り込んできた声に驚いて未玖は声の方向へ目を向けた。


 カウンターの向こう正面の壁は瓶やグラスの並ぶ食器棚が設えられていて、食器棚の途切れた左側にあるドアのない出入り口から、先程の声の主が居心地悪そうにそっと姿を見せた。



「・・・か、カエル」



 そう、それは紛れもなくカエルだった。

 ダークブラウンと白壁の落ち着いた店の中に、若葉色をした人間サイズのカエルがおずおずと立っている。全身着ぐるみ頭でっかちのカエル君。頭に王冠を乗せれば何処かのキャラクターの様だ。

 店主がスツールを一脚、カウンターを間に未玖の前に置いた。


「しょうがないだろ? JKと何話せってんだよ、伝説のカエルの話くらいがちょうど良いだろ?」


 カエルは「もういい」と言いたげに片手で制し、席に着いた。


 じっと椅子に座ったままのカエルは、少し重たげな頭を俯かせて何か考えているようだった。言葉を選んでいるのか微かに頭が右へ左へと揺れている。


 間近で見るとこざっぱりと清潔な感じの着ぐるみで、大きな口は両端からファスナーで閉じられ銀色の引き金が2つ、口先でチラチラと揺れていた。


 だいぶ経ってもカエルから言葉が発せられず、未玖が助けを求めて目を向けた店主は本に目を落として関係なさそうに座っていた。


「あぁ・・・、私は風切未玖かざきりみくといいまして・・・。誕生日が」

「それ、違うから」


 本に目を向けたまま店主が言った。


「・・・名前も、生年月日もいらない」


 カエルがそっと言った。優しげな若い男の人の声だった。少し大人しげな真面目そうな声に、凛とした真っ直ぐさも感じられた。


「ごめんね。ーーーえっと、何から話したらいいか・・・」


 またカエルの大きな頭が揺れた。そして、一つ大きなため息を吐いてからカエルは話し始めた。


「人の未来を見る時、最初に僕はとても高い所から見下ろしてる様に全体が見えている。それは大抵とても大きな広葉樹の様な形をしていて、ブロッコリーみたいに凄く密で中を見る隙間が無いくらい」


 円を描いて大きなボウルを撫でるように、着ぐるみの黄緑色の両手が見ている形を描いて動く。


「見えてる表面を葉と表現するなら、見えている葉は全て死の直前で、全てが人生の終わり。 沢山の様々な死を僕は最初に見てるんだ・・・」


 カエルはうなだれた。


「若い人はもれなく全ての死を未来として持っている。 天寿を全うする未来、病死や事故死、他殺や自殺。それぞれに沢山のパターンが用意されてる・・誰かに見守られてたり1人だったり、何でもあり。どんな未来でも選べる。人によって比率は違うけどね」


 未玖は両手を暖めるようにコップに触れながら聞いていた。


「この割合は、これから生きていく中でその人がどの未来を選ぶかで変わってくる。ーーー若い人の枝には新しく芽吹く脇芽も沢山あって、興味を持てば枝として伸びていき、興味を失えば枯れて消えて行く・・・。だから・・・」


 カエルの声が少し小さくなった。


「今見える未来と1ヶ月後に見る未来は違ったりする。若い人の未来は特に変わりやすいんだ・・・・・・」


 コキコキっと首を鳴らして店主が口を挟んだ。


「JK相手に防御壁、高ッ」

「ぷっ」


 軽いジャブに未玖が笑う。


「さっさと見てやれよ」

「うるさいなぁ、黙っててくださいよ」


 大きな頭をクリンと店主に向けてカエルが抗議をする。


「それより、人の人生を見る場にかけるさん必要ないでしょ。席外してくれませんか?」

「やぁだよ、客来たらどうすんだよ」

「来ませんよ」

「年頃の男女を2人きりにして何かあったら、俺叱られちゃうじゃん」

「何も起きませんから」


 さらっとなすカエル。


「触られました!ってJKが言ったら、世間様はJKとカエルの着ぐるみ着た男とどっちを信用とすると思う?」


 カエルの動きが止まる。


「・・・・・・。 黙っててくださいよ」

「わ・・・私そんな事言いませんから!」


 翔と呼ばれた店主へ睨む気配を残しつつ、カエルの頭が未玖へと向いた。店主がしたり顔でにっこり微笑む。


「私、そんな事本当に言いませんよ」

「で、何を見て欲しいの?」


 無視か!?と未玖は心で突っ込んだが、声には出さなかった。


 カエルがじっとこちらを向いている。じっと見つめ返すと、カエルの頭は間近では巨大でどんどん攻め込んでくるような存在感があった。


「彼氏と結婚できるかとか?」


 店主の声にカエルの頭が俊敏に反応して睨みつける。店主が両手を胸の前に上げて降参ポーズを取った。


「ん~、彼氏はいないからそれも聞きたいと言えば聞きたい・・・けど。それよりも・・・、聞きたいことがあって」


「どうぞ、何でも」


 しばしカップを見つめて、未玖も言葉を探した。


「ママ・・・、私を生んだお母さんと将来会えるのかな?・・・とか、へへへ」


 苦笑いをして努めて明るい声で続けた。


「とっても会いたい、とかって訳じゃないんですけどね」


 少し笑いながら片手を振って否定してみせる。


「親探しの番組を見たことがあって、探す一年前に依頼者の親が亡くなっててーーーもっと早く探してたらって凄く残念そうで、泣いてるの見たんです」


 未玖はカフェラテを一気に飲み干した。


「私を育ててくれたお母さんとは凄くうまくいってるの」


 宣言をするように元気な笑顔で言った。


「今は特に会いたい訳じゃないけど、私も生んでくれたお母さんに会いたいって思う日が来るのかな?とか、その時になってこの人みたいに会えなかったら、未来の私も後悔したりするのかな?って・・・」


 カエルの表情は伺いしれないが、店主はいたって真面目な面もちで腕を組みながら聞いていた。


「父さんに聞いたら教えてくれると思う、知ってたらね。ーーーーでも、私が会いたがってるって感じでお母さんに伝わったら嫌だなって、ギクシャクしたら嫌だし・・・お母さんどう思うかなって・・・」


 また苦笑いして、未玖は軽く肩をすぼめてからチョコを口に放り込んだ。


 ほんのりビターなチョコは口の中で優しくゆっくり溶けて、未玖は少しリラックスしてカエルに笑顔を向けた。


「写真・・・、持ってる?」


 未玖は鞄の中から一枚の写真を撮りだしてカエルに差し出した。


「これしか持ってないんだけど・・・」


 カエルはもこもこした手で器用に写真を手に取ると後ろを向いた。ジジジっとファスナーの開く音がして、写真を食べているようだった。カエルの背中にファスナーは無く、どうやって着てるんだろう?と未玖はぼんやり考えながらみつめていた。


 しばらくしてカエルが未玖へ向き直り写真をカウンターへ置いた。


「人は年齢で顔が少し変わってくるからちょっとかかるかもしれないけど、やってみる」


 カエルは未玖が仰け反るほど顔を近づけて、こちらを凝視しているようだった。息を詰めるようにして数十秒その状態が続いた後、カエルはガバッと未玖から離れ両手で頬を押さえながら立ち上がった。


 その勢いにカエルの座っていたスツールが派手な音を立てて倒れた。


「ん? どうした?」


 店主の呼びかけに答えず、カエルは嫌々をするように頭を左右に振った。


「ーーーごめん!」


 その一言を残してカエルはバタバタと帰って行き、店主も口をあんぐりとしたまま止まっている。


「私の未来・・・、ヤバいの・・・かなぁ?」

「ーーーーそんな事はないと思うが・・・。 まぁ、あいつもリハビリ中みたいなもんだからな・・・。何かフラッシュバックしたのかもしれない。 ーーーー少し、待っててくれるか?」


 コクリと頷いた未玖を残して店主が後を追った。




 ドアのない出入り口を入ると直ぐ右に階段があった。

 白壁に沿って上がっていく木の階段を店主翔かけるがゆっくり登っていく。


 階段を上がると左手がリビングになっていて、カエルはソファーに座ってこちらに背を向けた格好でじっとしていた。大きく口を開いて天を仰いだカエルの口の中から人の上半身が出ていた。


飛空しょう、・・・大丈夫か?」


 翔は側に行くことはせず、階段を登り切らない手前で手すり越しにそっと声をかけた。

 カエルこと青柳飛空あおやぎしょうは両手で頭を抱えたままじっとしている。


「嫌な奴が見えたか?」


 黙ったまま飛空は頭を振った。


「・・・昔、迷惑をかけた人が見えたか?」


 しばしの間があって、飛空の頭が上下した。


「ーーーそうか」


 階下に目をやって、翔はどうしたものかとしばらく立っていた。


「過去の清算にしても懺悔にしても、必要な時にスカイが連れて来るさ。ーーー突然その場に立たされるより、予告だと思えばいい。心積もりの時間を与えられたと思えば、な」


 飛空はじっと動かない。その背を見つめながら自分の知っているカエルの過去を思い返していた。


「彼女・・・、帰ってもらうか?」


 頭が上下する。


「また、来てもらうか?」


 再び頭が上下したのを見て、黙って階段を降りていく翔の背にか細い声が届いた。


「ごめんなさいって・・・」


 翔は声に出さず二度頷いて階段を下りていった。言葉はなくとも飛空には気配で伝わっていた。




 店主翔は未玖と目が合うと苦笑いをした。


「いやぁ、本当にごめん」


 未玖が首を振る。


「あいつも、若気の至りで色々しくじっててさ。テレビの人達にもてはやされて図に乗っちまったんだろうなぁ、小学生だからしょうがない・・・って流せない人間も結構いるみたいでねーーー」


 倒れたスツールを元の場所に置いて、コーラの瓶を未玖に見せる。


「飲む?」

「あぁ、いえ」


 未玖の前に置かれた空いたカップを下げると、代わりにレモンの輪切りが入った水を置いた。


「また、来てくれると有り難いんだけどね」

「・・・また、来ます」

「あ、いいいから、いいから」


 財布を取り出そうとする未玖の手を止めて翔は笑った。


「見てもないのに金取れないよ」

「でも、飲んだのは別じゃ?」

「まぁ、気にしないで」



 レモンの入った水を飲み干して未玖は帰途についた。


 階段を下りてパワーストーンの店の屋根が見える所まで来たとき、未玖は立ち止まって先程まで居た喫茶店に目を向けた。今立っている場所より高い位置にある西洋風な建物は、1階の喫茶店が隠れて見えず、2階だけが見えていた。


 建物の右寄りにある二つの窓から光が漏れているのを見て、何故か泣いているようだと未玖は思った・・・。

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