第2話 「猫のしっぽ、カエルの鼻先」
眠気であくびを連発する
「冴えない顔しちゃって~」
「どうしたのさ」
「さては、
と、明輝。
「愛の言葉を月影に乗せて交わす王子とお姫様」
恋愛小説好きの波瑠妃が合わせた両手を頬に付けて目を閉じながらそう言った後、一言付け加えた。
「夕べは何を話したの?」
波瑠妃の目が探偵の様に未玖の目をのぞき込む。
「・・・ぐっ。 話したわけでは・・・」
「え?話したの?朝まで?!」
「いやいやいや、これは話したと言うより・・・。昔から変わらぬ短い恋文の送りあい!でしょ!」
この追求をどうしたものかと目をそらした未玖は、波瑠妃の後方数メートル先に風早の姿を見つけて目を泳がせた。
(え?風早くん?! 何で?)
風早のクラスと未玖達のクラスは建物の端と端にあって、日中出くわす事はあまりなかった。
《月のない昼間も可愛いと思うよ》
頭の中で、満月に重なった文字が光の中で輝き浮かんだ。
ぽっと頬が熱くなるのを感じて、未玖は急いで頬を両手で覆う。
(あれは話の流れで出てきた文章。深い意味はない。面白半分のジョークよ)
気を落ち着かせるために未玖は自分へ声をかけ、平静を装って風早から目をそらした。しかし、波瑠妃はその様子にふと後ろを振り返り、満面の笑みで未玖に向き直った。そして、声を落として言った。
「風早だね~」
明輝が彫像のように固まって、まるで見てはいけない物を見てしまった人の様にぎこちなく2人に笑顔を向ける。
3人の会話が止まり、誰からともなく風早の声を捉えようと耳をそばだてた。
「らしくないよな」
隣のクラスの男子の声が先に耳に入ってきた。
「風早が朝練遅刻とかさ」
「珍しいよな、どうしたんだよ」
「いや、ちょっと。 眠れなくて・・・」
波瑠妃が未玖に顔を寄せる。
「眠れなかったんだ、か・ぜ・は・や・も」
「もぅ!」
未玖も小声で唸る。
そう言えば、話してる相手はサッカー部の副キャプテンだったはず・・・と思い出す。
「悪かったな」
右手で後頭部を掻きながら、すまなそうに風早が言っていた。
「それは朝聞いたよ、気にするなよ。あんなの遅刻に入らないよ。なっ」
「そうだよ、誰だってたまにはあれくらいの遅刻くらいあるさ」
ちらりと風早に目を向けると、首の後ろに右手を当てた腕越しに風早と目が合って未玖は俯いた。風早を見ていた波瑠妃も慌てて顔を逸らす。
(うわ~・・・、気まずい~)
「風早が見てるよ! 見てない振りしてるけど、あれは未玖をチラ見してた!」
ボリュームを下げても波瑠妃の興奮が伝わってくる。
「いやいや、そんな事はないよぉ。気のせいきのせい」
そう言いつつ、もう一度目を向けた瞳が再び風早と合って未玖は体ごとクルリと窓に向きを変えた。
風早と目があったその一瞬、音が消えた。
いや、澄んだ鈴の
未玖は手にした本を広げて顔を覆ったまま座っていた。電車の中でにやけて顔を赤らめてる自分が恥ずかしかったのだ。昨日の宣言通りに未玖は電車に乗って、目的の駅へ向かっていた。用事があるからと話を聞きたがる追っ手2人を振り切って駆け込んだ未玖は、今車中の人となっていた。
追っ手から逃れても記憶からは逃れられず、思い出す度に勝手に踊り出す心臓に未玖は困り果てて心で怒鳴る。
(ああ! もぉ、心臓まで波瑠妃になるなっ!)
今頃、波瑠妃が何処かでくしゃみをしているだろうと思って未玖はくすりと笑った。
その直後に流れたアナウンスの声に、弾かれるように立ち上がってドアの向こうを流れていく町並みに目を向ける。すぐに駅の建物に隠れた町の何処かに、今居るのかもしれないカエルを思う。跳ねるように電車を降りて改札口を通り抜け、真っ直ぐ延びる目抜き通りの前に立ってはたと思った。
(裏通りと言っても、右かな?左?)
メインの商店街に向かって右側に目を向けると、少し離れたところに脇道が見えた。あれは目抜き通りの一本裏の道に違いない。未玖は近い方から攻めていこうとすぐに歩き出した。
その道はメインの通りより少し細く、ずっと先まで続いているようだった。
年輩向けの洋服店や雑貨のお店、喫茶店、大衆食堂、シャッターの閉まった居酒屋やバーなどが連なっていた。2本裏手の通りにつながるらしい横道を見つけ、未玖は足を進めたが直ぐに止めて目抜き通りまで引き返した。2本目の道にはラブホテルがチラホラとあって、女子高生が1人でうろつくには危なそうに感じたのだった。
未玖は気を取り直して反対側の裏通りを散策してみる。一旦、駅の方へ戻り最初の横道に入ってみることにした。
こちらの通りにも衣料品店や喫茶店があった。それに加えて画廊や陶器を売るお店に古本屋や質屋と、レパートリーが豊富で興味をそそられた。人通りは少な目ながら、人の流れがあって暗さは感じられない。
(どうしよう・・・、お店に入ってみようかな?)
少し落ち着いた静かな通りにある店はどれも穏やかな気配があって、カエルが隠れるには良さそうに思えた。まずネットの書き込みに多かった喫茶店から調べてみようかと幾つかに目を留める。どのお店にも居そうな気がして迷ってしまう。入りやすそうなお店は?と、きょろきょろしていた未玖の目の端に、黒くて小さな物が写った。
それは、黒猫だった。少し離れた建物の角に、壁に寄り添うようにそっと座ってこちらを見ている。青い首輪に鈴を付けた黒猫は、真っ直ぐこちらを見ていた。
カエルは黒猫が前を横切ると現れる喫茶店にいる。
ネットの中の呟きを思い出して「まさかね」と未玖は笑った。近くの喫茶店に入ろうと猫に背を向けたとき声を聞いた。やけに近くから猫の甘い声を聞いた気がして足下に目を落とす。居ない。先程の黒猫は同じ所に座ったままだ。
(気のせいかな?)
また背を向けると、やはり猫の声。
振り返ると、黒猫は腰を上げてこちらをじっと見ていた。真っ直ぐに立てた尻尾をひゅんひゅんと左右に揺らして建物の陰に消えて行き、ひょいと顔を出して鳴いた。
(私? 誘われてる?)
半信半疑でそっと建物の角まで行きゆっくりのぞき込むと、黒猫は細い通りの奥でこちらに顔を向けて立ち止まっていた。
2本目の通りを越えた向こうで未玖を待っているようだった。未玖が猫に数歩近づくと、猫は軽い足取りで歩き出し次の角を右に曲がって行った。何故か足音を忍ばせて未玖が後を追う。
猫の消えた角を曲がると、数メートル先の正面に独特な雰囲気の店が立っていた。猫の姿はなく、誘われるように不思議な店の前まで未玖はやってきた。
「黒猫が前を横切ると・・・って、本当に? 猫ちゃん中に入ったのかな?」
閉じられたドアに猫用の出入り口は無かった。
ツタの絡まった壁を背に長椅子が入り口の左手に置かれていた。右手の建物と繋がってL字型になっているらしいお店は、正面の玄関の両側に窓があり中に水晶のような物が並んでいるのが見えた。パワーストーンを扱う店舗のようで、窓からそっと覗くと石を使ったアクセサリーなどが沢山飾られていた。見れば見るほどカエルが居そうな気がしてくる。
よし!とドアの取っ手に手をかけたとき、また猫の声がした。
左上から聞こえた声の方を見ると、怒った顔の猫が未玖を見下ろしていた。一見袋小路に見えた路地はこの店を突き当たりに左に階段があった。
店の雰囲気に気を取られて正面しか見ていなかった未玖は階段に気付いて少し驚き、間違った店に入ろうとしていたと分かって顔を赤くした。
石造りの階段にも店の壁同様に蔦が這い所々に草が生えていた。階段を上りきった高さがちょうど店の屋根ほどの高さで、猫は最上段から未玖を睨んで立っていた。
「・・・。 ここじゃ、ないの?」
猫に話しかけるなんて我ながら滑稽だと思ったが、未玖の言葉を聞いた猫は一声鳴くとくるりとステップの向こうへ姿を消した。
未玖が階段を上りきると、真っ直ぐ伸びる石畳の道の先に猫は立っていた。明らかに猫は未玖を案内していると思えた。確信を持って猫の後を追う。その未玖の背を押して風が通りすぎていった。
爽やかな風に引かれて振り返った未玖の目に、大きく広がる青空と眼下に広がる町並みが飛び込んできた。家々の屋根が連なりアーケードを越えて、ずっと先まで続く。それはまるで海原の様に未玖には感じられた。
「・・・不思議。 ここはまるで浜辺ね。 ふふふ、潮風じゃなくて美味しそうな匂いが混ざってるけど」
ここに至る道は緩やかながら上り坂だった事を思い出す。心地よい風を受けてしばし眺めていた。
「私も、住んでたんだよね。この波の中に・・・」
感慨に
「あぁ、ごめん。今の君?」
黒猫はクイッと顎を上げ歩き出した。
左に人家の壁が連なり右手に小さな広場のある道を真っ直ぐ進むと、先に見えている右側の壁に黒猫は吸い込まれるように消えた。
未玖がぎょっとして後を追うと何のことはない、猫が消えたように見えた所は階段になっていて、先程と同じように上から未玖を見ていた。
「はいはい、ついて行きますよ」
階段を上ると20メートル程の平らなステップになっていて、その先にまた階段があった。段々畑のように先に行くにつれ少しずつ高さを増しているようだった。
「また階段?」
どこまで連れて行かれるのかとため息をもらした未玖は、優しい香りに足を止めた。珈琲の香りだった。
(あぁ、何て良い香りなんだろう~)
クンクンと香りを辿ると、このステップに面して喫茶店が建っていた。
右手には町並みが見え、石畳のステップがあって左手に喫茶店。黒猫が開け放たれた店の入り口で「ここだよ」と言いたげにこちらを見ている。
開けた戸を止めるように木の椅子が置かれてあった。背もたれに無造作に掛けられたウエルカムボードと座面に置かれたランプと珈琲セット。カップの横に置かれた白い皿の上、フェルトで出来たケーキに刺さった吹き出しが《今日はチーズケーキです》とお知らせしていた。
そっと店内を覗くと制服姿で入るには少々大人っぽい雰囲気だった。
ダークブラウンの床板は黒光りするほど磨かれていて、壁も1.5メートル程の高さまで床と同じ色合いの板がはめられていた。壁板の途切れた先は乳白色に塗られ高い天井まで続いている。天井にはプロペラの様なファンがゆっくり回転していた。
「いらっしゃい」
そう声をかけられて、入り口の正面にあるカウンター越しに店主と目があった。50才前後の長身でスマートな人だった。緩いウェーブのかかった髪に白髪が混ざって、会社なら後輩女子に人気のありそうな、気さくなお兄さん的雰囲気の人だった。
「し・・・失礼します」
「どうぞ」
店主は軽く頷いて、カウンターに並んだスツールの何処にでもどうぞ・・・と言うように端から端まで掌を流した。
いつからみられていたのだろうか?と思いながら未玖は気まずそうに店主の進める方へと歩いて行き、彼の正面を避けて左3つ目のスツールに腰をかけた。未玖が座るのを待っていたように、黒猫が隣のスツールからカウンターへと躍り上がって店主の真正面に立った。
「おい、スカイ。お客さんが居るのにカウンターに上がるなよ」
黒猫はぷいっとそっぽを向いてカウンターを右へと歩いて行く。
「こちらの猫ちゃんなんですか?」
「ああ・・・、そう。 俺が飼ってるんじゃないけどね」
店主が猫に目を向けながら話すのを見て、つられて未玖も猫の動きを目で追った。
猫は横長のカウンターの端まで来ると道なりに曲がって壁へと向かって歩いて行き、壁際まで進んで行くと器用にコップを避けて当たり前のようにカウンターの中へと踏み込んで行く。
「お前が上手に歩けるのは知ってるけど、その足綺麗だと思ってるのか?」
上から壁沿いに真っ直ぐ降りた金属のパイプの下で黒猫がそっと座った。
「・・・・・・。 そう言うことか」
店主は自分用に煎れていたであろう珈琲のカップを手に取って、猫を見つめたまま一口すすった。
「どうりで、今日は客足がサッパリなはずだ」
そう言って猫が指し示すように座った頭上のパイプへ手を伸ばす。楽器のサックスのように口がカーブしたパイプの蓋を開けると、その先に繋がる誰かに向けて声をかけた。
「よぉ、カエル。 お客さんだよ」
その言葉を聞いて慌てて立ち上がり掛けた未玖の膝から、鞄が音を立てて床へと落ちた。
「あいつも、色々と準備が必要でね・・・」
顎に手を当てて伏し目がちに店主は続けた。
「ーーーー降りてくるのに多少かかるかもしれないから、ゆっくり待っててくれる?」
店主の言葉を選ぶようなやや慎重な物言いと、渋みのあるテノールの声が、未玖の耳には不思議な伝説への扉を開く呪文のように聞こえた。
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