都市伝説のカエルは大樹の葉陰で黙り込む・・
天猫 鳴
第1話 「カエルの欠片」
画面をスライドさせて、
都市伝説となっている【未来を見るカエル】についての書き込みは減りつつあったのに、ここ数ヶ月ちらほらと見かけるようになってきていた。
場所はバラバラで断片的。
駅名も様々だったが、駅前の目抜き通りから1本裏の通りに住んでいると書かれている物もあれば3本だったり、本屋に居ると書かれている物もあればアンティークショップだったりと書きたい放題だ。
挙げ句の果てに黒猫が前を横切ると現れる喫茶店・・などとファンタジックな物まで。都市伝説と言う物は大抵そういうものだと、未玖は知ったかぶりな顔で読み流していた。
(ポニーがペガサスにでも簡単に化けちゃうんだよね)
しかし、未来を見るカエルはただの都市伝説ではない。昔、本当にいたのだ。
それは、未来を見る少年だった。
テレビでもてはやされていた少年を、その頃幼かった未玖達の世代はおぼろげに覚えていた。顔も名前もぼんやりとしていて、後付けの記憶だけが妙にリアルな都市伝説の形に変わって時折話題に上る程度には。
「未玖、今日行くでしょ?」
不意に声をかけられて未玖が顔を上げると、
「こらぁ、聞いてなかったなぁ~。またカエル探しか?」
「ごめん、ごめん。何だっけ・・あ、パンケーキのお店」
「お、ちゃんと頭に届いてたか」
明輝が未玖の肩に肩をポンとぶつけて笑う。
「明輝ちゃんがクーポンゲットしたんだって。ネットクーポンより割引額が大きいやつよん」
波瑠妃が2枚の紙をトランプを持つ様に広げて見せる。
最近出来たお洒落で可愛い造りのパンケーキ屋さん。パンケーキの上や横に可愛い動物の形を模したクリームが置いてあり、美味しい上に映えると女子人気急上昇だった。
「1枚で2人まで有効。後1人、誰に声かける? ・・・
割引券を蝶々が舞うようにひらひらとさせて、波瑠妃は未玖の鼻先へと揺らしながら近づけた。
「あ、いや。部活あるでしょ、悪いよ」
「何のために連絡先交換したのよぉ、どんどん押さなきゃ誰かに取られちゃうよ。サッカー部キャプテン現在フリーだよ」
名前の文字で男子と間違われる明輝は、姉御肌の思い立ったら行け行けドンドンだ。
「で、その後どう?」
波瑠妃の聞きたいことは分かっている。
連絡先を交換したところで
「どうって・・」
未玖は苦笑いする。
「お2人さんが喜ぶような展開にはなっていません」
風早琉斗はわりと未玖好みの顔立ちだった。
恋人同士になれたならまんざらでもないとも思っている。しかし・・である。フリーの人気者をターゲットにする女子は少なからずいて、彼女らと競争して闘ってでも得たいと想う程、未玖の恋のゲージは上がっていなかった。
「ぐいぐい押しちゃいなよ、未玖は相手を気にし過ぎなとこあるでしょ。ハッキリしっかり伝えないと伝わらない相手っているんだよ」
明輝が焦れったそうに言った。
「相手のことを考えないでグイグイ行きすぎて駄目になることだってあるでしょ?」
「うわっ!」
明輝が胸を打ち抜かれたように手を当てて仰け反り、波瑠妃が大笑いをしてる。
「あはは、反撃厳しいー」
「うわ~! ごめんごめんッ、そこを掘るつもりじゃ・・!」
「呪ってやる~~」
未玖の背後に回った明輝が、後ろから両手を未玖の肩越しに垂らしてのし掛かってきた。
「きゃはは、重ーい! 許して生き霊さん」
「許さーん、掘り起こした生き霊に供え物をしろぉ~」
「分かった、わかった。ローサンのプレミアムロールケーキをお供えいたしまーす」
「缶コーヒーも付けよ」
「お付けいたします。なむなむなむ」
未玖が手を擦り合わせると、3人で目を合わせて笑った。
カエルも何処かでこんな風に誰かとじゃれ合ったり冗談を言い合ったりしているのだろうか・・・と、未玖は頭の隅で思った。不思議な力を持った少年は今頃、どんな大人になっているんだろう。
「んじゃ、しょうがない。3人で行くか!」
そう明輝が言って、未玖と波瑠妃が同意する。
「だね」「うん」
「プレミアムロールケーキはいつおごってもらおうかなぁ~」
2人の前を行く明輝が大きな独り言を言ってる。
「ま、その前にパンケーキだ!行こう行こう!」
割引券を天にかざすように手を挙げて、波瑠妃が跳ねるように明輝を追い抜いて行った。明輝も未玖もその後に続いて足を早めた。
お喋りいっぱいお腹もいっぱい、心満たされて笑顔でそれぞれの帰途につく。
ポケットの中で軽やかな音がするのが耳に届いて未玖はスマホを取り出した。先程別れたばかりなのに、2人の交わすお喋りの吹き出しが画面に流れていた。
《未玖~、ちゃんと家に帰りなよぉ》
《カエル探しより恋人探しだぞぉ~》
波瑠妃の吹き出しの下、明輝の付けたスタンプがお腹を抱えて笑ってる。
《カエル探し~~!》
《ありそう!いつもより早く解散だからってカエル探ししてたりして~》
指をこちらに向けてツンツンしてるスタンプがふたつ並ぶ。
《暇だからって、カエル探しになんか行きませんよ~》
そう打って顔を上げると、薬局の入り口脇にぽつりと立ったカエルの置物が目に入った。緑の体はあちこち剥げて、日の落ち掛けたこの時間に見ると淋しげだった。
カエルについての書き込みは都市伝説的なファンタジーばかりではなかった。嘘吐きだやらせだと言う誹謗中傷や、殺人予告のたぐいまであった。今の世の中、隠れて暮らすことが出来るのだろうか・・・。置物のカエルの体の剥げた部分が傷口の様に思えて、未玖は少し重い足取りで歩き出した。
(人の未来が見えるって・・・どんな感じなんだろう。未来が見えるから上手く隠れていられるのかな?)
そんな事を考えながら「カエル」を検索していた。
「あっ・・」
今までと相も変わらぬ似たような書き込みの中、ひとつの駅名に目が止まった。
それは父親と2人で暮らしていた頃に住んでいた町の最寄り駅だった。
未玖はまだ小学校低学年で町内の学校に通っていたので駅はあまり利用しなかったが、たまに遠出の買い物の時に幾度か通ったことがあった。
「懐かしい・・・」
住んでいた家の中、家の周辺、学校。薄くなりかけた記憶の切れ端が幾つも思い出された。
タンスに付けたシール。あのタンスはママが選んだと父から聞いた気がする。今の家にはない、引っ越しの時に捨てたんだろうか。
(再婚だもんね・・・。前の奥さんの物はお母さんでも嫌かもね)
小学校1年の終わり頃に父が再婚した。保育園の年長さんの時には既に父子家庭だったと未玖は記憶している。
初めて会ったお母さんになる人は穏やかで優しそうだった。
「未玖ちゃん、初めまして」
しゃがんで未玖の目線に合わせて差し出された彼女の手が冷たかったことを覚えている。
「冷たい」
「あぁ、ごめんね。お姉さん緊張しちゃって、手冷たかったね」
何度か会って遊んで、そして、父から一緒に住むことになったと告げられた。
未玖は特に抵抗もなく受け入れた。生みの母をあまり覚えていなかったのが良かったのか、一緒にいて居心地の良さを感じたせいだったのかそこはよく覚えていなかった。
「未玖ちゃん、私のことお母さんって呼ばなくてもいいよ。お姉さんとお友達でいようね。これからもよろしくお願いします」
小学校を卒業して中学入学、そして卒業。
「お母さん」と呼び始めたのがいつだったのか、きっかけが何だったのかも忘れてしまった。ただ、ごく普通の家庭の母親のように朝からパタパタと立ち働き家族の心配をする彼女と、笑ったり怒ったり喧嘩したりして今に至っている。顔立ちが大きく違う訳でもなく、親子じゃないことの方が不思議なくらいだった。
(多分、父さんの女性の好みが変わらなかったって事なんだろうなぁ・・・)
父と2人で暮らしたあの町に、今とは違う最初の3人家族の頃もいたあの町に、カエルは住んでいるのだろうか・・と未玖は思いを巡らせた。
それは不思議な因縁めいて、未玖は胸がわくわくしてくるのを押さえられなかった。あの町ならここからそう遠くない。ちょっと行って場所の当たりを付けるくらいなら出来るかも。そう思い駅に向かって歩きかけた未玖は、すぐに踵を返した。街頭に灯がともり家々の窓から明かりが漏れていた。今日はもう遅い。
(明日、明日行ってみよう!)
カエルに会える、そんな気がした。明日あの町で見つけられると心の中で繰り返しながら、未玖は家へと帰って行った。
何故だか妙に確信めいたその思いは胸を高揚させて、その夜未玖はなかなか寝付けなかった。
ベッドサイドで軽い音がして、スマホの画面が光っていた。波瑠妃か明輝だろうと思い、無造作に手に取って見た画面に未玖はドキリとした。
(風早君だ!)
がばっと跳ね起きた未玖は、見られているわけでもないのに髪を撫でつけて背筋を伸ばして画面に向かった。
《起きてる?》
短い吹き出しの中、素っ気なさそうに文字だけが並んでいる。
(ひゃ~っ!風早君も起きてたんだッ)
《起きてる》
即座にそう打って風早からの返信を待つ数秒の間に、早く返信し過ぎただろうか? と未玖はしくじったかかもしれないと焦った。
《何だか眠れなくてさ》
「私と一緒だ!」
つい心が口から飛び出して、慌てて自分の口を押さえた。
(落ち着こう、いったん落ち着こう)
と、心で唱えてひとつ深呼吸をする。
《私も》
そう打って送った後、未玖は布団に突っ伏した。 しばらく待ったが、風早からの返信が思ったより遅い。
(うわぁ、オウム返し。馬鹿っぽい。もうちょっと、こう・・なんて言うか気の利いたことを・・・!)
のたうち回る未玖の耳に返信の音が届いた。
《寝てるの起こしたら悪いかなって思ったんだけどさ・・。良かった》
今、風早が起きている。未玖も起きている。風早も自分と同じようにスマホを片手にベッドの中にいるのだろうか。
相手が自分を思って送ってくる文字と返す自分の文字が、暗い夜の部屋の中で光浮かんでいる。小さく四角い光の中で2人だけの時間が流れている。未玖は自分の心臓の音に急かされて、頬が熱くなるのを感じていた。
(私、ドキドキしてる。私、風早君の事・・・)
《月が綺麗だよ》
風早の文字に押されて、未玖はカーテンを引いて空を見上げた。
いつか何処かで聞いた事がある。昔の小説か映画で、愛してるの代わりに「月が綺麗ですね」と言ったとか言わないとか・・・。
《満月。綺麗だね》
《満月だから眠れないのかなぁ》
未玖はくすりと笑った。
ボールを蹴り合うように交互に連なる吹き出しが、今夜は長く続いている事がくすぐったい。
《風早君は狼男だったのか!(゚∀゚)》
《俺が狼男だったら、眠れない
《そう、超可愛い狼女》
そう送って、慌てて続けた。
《狼女の時には超可愛いの! 狼女の時はね》
風早からの返信をじりじりと待った。これは外したかと未玖が悔やみ始めた頃、返事が返ってきた。
《月のない昼間も可愛いと思うよ》
未玖は画面を見たまま仰向けにベッドへ倒れ込んだ。
《お休み》
すぐに風早から続きが送られてきて、心臓をばくばくさせた未玖は《お休みなさい》と返すのが精一杯だった。
明日のことを考えて寝付かれなかった未玖は、別のことで眠れぬ夜を過ごすこととなった。
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