第20話 ちりーん……
「……失った記憶を取り戻す術。あるにはあるわ」
「本当ですか!?」
「だけれどすぐには無理よ? 私も妖術は使えるけど、全てに精通しているわけじゃないからわからない部分も多いの。オイナリサマやイヌガミギョウブがいれば別だけど…今はどこにるか見当もつかない」
「ヨウジュツ、というのがあまりよくわかりませんが、もしかしたら、これ役に立つのでは?」
ルーカスの隣に座っていたリョコウバトがバッグから魔術書を取り出して、キュウビキツネに見せる。
それを手に取ったキュウビキツネは、ふんふんと頷きながら本をパラパラ捲って内容を確かめると、満足そうに微笑みを浮かべた。
「これ、使わせてもらっても? もしかしたらより効果のある術式が出来上がるかもしれない。……でも、これを一体どこで? こんなすごい魔術書があったなんて」
「僕が以前使っていた研究施設にありました。森の中の洋館と、ジャパリ・イン・ザ・ミラーの地下に」
「洋館に、あのホテルにも? へぇ、そんな場所があるだなんて知らなかったわ。……そんな場所に研究施設を構えるだなんて、アナタってよっぽどの物好きさんだったのね」
「らしいですね。僕はサンドスターを中心に研究を進めるチームの所長でした。ですが、その記憶もまだまだ戻らなくて」
「そうだったの。わかったわ。ちょっと調べてみるから待っていてくださる? その間、ここにいてもらっても構わないわ。私達だけじゃここは広いし遠慮はいらない。くつろいでいって」
「オーウ! マジですカッ!」
「こんなに大人数…キュウビキツネ、いいの?」
「かまわないといっているのよ。それに、久々の人間だもの」
そう言ってキュウビキツネは艶やかな笑みを向ける。
体勢を崩してくつろぎながらの所作ひとつひとつに、この上ない上品さと、見る者を魅了する妖艶さがあった。
……わざとだ。
久々に異性を見たということで、ルーカスを試すかのように所作のひとつひとつに刺激を与えるような艶めかしさを宿している。
(くぅ……まったくキュウビキツネ様は。もうちっとこう…淑女らしく振る舞ってくれると嬉しいんだがな。なんというか、目のやり場にすんごい困る)
(なら、私に一度惑わされてみる? きっと楽しいわよ? ……フフフ、なぁんてね。冗談よ)
(キュウビキツネ様直接脳内にッ!?)
そんなわけで、4人いっぺんに寺に居させてもらうことになった。
術の方法を見つけるまで、どれくらいかかるかわからない。
待ってもらう間、空いている部屋を使っても良いとのことで、アイアイに案内してもらった。
部屋は有り余っているらしく、居住者が増えた所で特に問題はないとのこと。
御言葉に甘えてということで、ルーカス達は用意してもらった部屋でくつろぐことになった。
「流石はお寺。部屋のひとつひとつに落ち着きがあって、すっきりとしてますわね」
「ホテルと違って物品は少ないですが、この空間は嫌いじゃない」
「オー、これが襖……横に動く壁が扉だなんて変わってマスネ」
「キュウビキツネはエリアの子達にはとっても優しいから。上から目線が多いけど、そこまで威張ることはしない」
「ん、確かに。他人を試すようなことを言ったりはしますが、言葉自体には棘がない。思いやりのある良い長だと思います」
「フフフ、昔は物凄く威張ってたみたいだけどね」
「へぇ~」
他愛ない会話をしながらくつろぐ。
ルーカスは部屋の中を見渡しながら、思考に耽った。
(この寺とても大きいな。こういう大きな場所を見ると探索したくなるのが悪い癖だな)
心の中で苦笑しながらルーカスはリョコウバト達にそのままくつろいでいるよう言って、1人寺の中の探索を始める。
内装はまさに日本の寺といった詫び寂びの赴きある空間で、清澄な空気が漂っていた。
ここにいる者達を包み込むように、畳と木材の匂いが、薄すぎずキツすぎず程よいバランスで空気と混ざり合っている。
(日本のテンプルをここまで再現しているのか……悪くないな)
そう思いながら廊下を歩いていると。
―――――チリーン……。
鈴の音がした。
すぐ横の襖の奥からだ。
(ん? 今音がしたのか?)
もう一度小さく鳴った。
まるでルーカスを呼んでいるかのようだ。
一定のリズムで鳴り響く鈴の音に、ルーカスの意識は引き寄せられていく。
(誰かいるのか?)
ルーカスはゆっくりと襖を開くと畳の大部屋が広がっていた。
日の光が入り、影の部分が余計に濃くなる。
日の光をバックに己の影が大部屋に伸びて入り、その影の部分へと融合した。
その先、その奥の方で、誰かが座っているのがわかった。
正座をして、柔らかい眼光を向けているアニマルガールがいる。
敵意は感じられない。
それどころか、こちらを招いているかのようでもあった。
「あ、あの、失礼。アナタはこの部屋の方ですか? 少しお話を聞かせてもらっても」
陰の中のアニマルガールはそのまま動かず、喋らず。
ただじっとルーカスの方を見ていた。
なぜ喋らないの不思議だったが、とりあえず中へと入ってみることに。
「あー、突然入ってきて申し訳ありません。僕の名は――――」
「ルーカス・ハイド、知っています」
「え?」
彼女の前まで来たときだった。
簡単な挨拶をと思い名前を言おうとした直後、目の前のアニマルガールはピタリとルーカスの名を当てる。
「僕を知っているんですか? あ、キュウビキツネ様から聞いたんですね」
「いいえ。初めから知っていました」
「……えっと、初めからというのは」
「アナタがあの装置の中にいたときから」
「――――なんですって?」
ルーカスは困ったように目を細め、目の前のアニマルガールを見据えながら座る。
学生服のような真っ黒な服に黒タイツ、黒いローファーを身に付けている黒ずくめの衣装をまとい、左目を隠すように前髪が垂れ下がっているさまはくちばしを彷彿させる。
そしてその先端にいくにつれて白くなっているのが特徴のアニマルガールだ。
「申し遅れました。私の名はハシブトガラス。しがない放浪の烏めにございます」
ハシブトガラスと名乗る少女が滑らかな所作でお辞儀をする。
その美しい動きは、茶道や華道を嗜む者のそれを思わせた。
さて、とルーカスは早速聞いてみる。
「ハシブトガラスさん。僕があの装置に入っているときから知っていると言いましたが、なぜ名前まで? もしかしてアナタは僕のことをもっと深く知っているのでは? なぜ僕は装置に入っていたのか。なぜ僕は記憶がなくなっていたのか。そして……」
そう言いかけたとき、ハシブトガラスは優しく掌で制止するようにソッと手を前に出す。
「……私に他者の過去を読み取る力はありません。ですが、今持っている情報を重ね合わせ、未来を予測し……先の先を見る。その上で過去をちょっぴり予測してみるというのは可能です」
「えー……と。つまりそれは」
「フフフ、奇々怪々に映りますでしょうが。結構当たるんですよ? ……ルーカスさん。アナタは己が『半身』と向き合わねばなりません。それは耐えがたい痛みと苦しみをもたらすでしょう。そして半身は『邪悪なる疾風』を以てこのごこくエリアを、地獄へと変えようとすることでしょう」
「待って、待ってください。半身とは? そして、邪悪なる疾風とは?」
「その答えを私からいうわけにはいきません。私はただ、観察し、記憶し、読み取ること。そしてそれをお伝えするのみ。――――アナタは『自らの運命』と『生きる意味』を考えねばならないことになるでしょう。生まれの差異はあれど、同じ輝きから生まれた存在でありながらアナタ方の見る者は違う。――――泥を見たか、それとも星を見たか」
そう言ってハシブトガラスは遠くを見つめるような目をしながら溜め息を漏らす。
これから起こる事柄に胸を痛めているようにも見えた
ハシブトガラスは物事を俯瞰したような目で現実を見ることが出来るのだろう。
もしもこれが人間であるのならルーカスはただの痛々しい妄想として一蹴していただろうが、ハシブトガラスはまごうことなきアニマルガールであり、その能力は計り知れない。
なにより、自分を騙そうという気配は感じられなかった。
「ハシブトガラスさん。残念ながら今の僕にはアナタの話を完全に理解することは出来ません」
「でしょうね。予測済みです」
「ですが、要は覚悟が必要ということなんですよね?」
「えぇ、今アナタが考えている以上の覚悟が。アナタは目も覆いたくなるほどの地獄を見ることになるでしょうから」
「それは、僕の記憶に関係しているんですね」
「はい。アナタの記憶……いえ、アナタの命そのものが、因果の歯車を動かすことになるでしょう」
相変わらず読めない。
彼女には何が見えているというのか?
ルーカスは暫くハシブトガラスと見つめ合いながら、思考を巡らす。
少しして、ハシブトガラスはクスッとクールな表情の中に可憐な笑みを見せた。
「安心して。希望はあります。それは輝かしき潮風に乗り、きょうしゅうエリアから、このごこくエリアへと来ることになるでしょう」
「希望? それは一体……?」
「アナタと同じく、自らの運命と生きる意味に向き合う定めの者。彼女もまたアナタと同じく、――――"ヒト"」
「ヒトだって!? このパークにはまだヒトが!?」
「と言っても彼女はまだ生まれたばかり。ですがその内側にあるその輝きはきっとアナタに良い影響を与えるでしょう」
「生まれたばかり? ん~む、読めないな。どういうことです?」
「……答えはすでにアナタの記憶の中に存在しています。アナタの輝きの中にもまた存在し、内側からも外側からもアナタを包み込み助けてくれるでしょう」
「んー、どうやら先に進まない限り僕はアナタの話を理解することは出来なさそうだ。――――して、そのヒトの名前は?」
ハシブトガラスはまるで七色にでも光っているような瞳を向け、笑みを絶やさぬままこう言い放つ。
「その名も、――――――【かばん】」
「かばん……」
ルーカスも呟く。
(かばん……一見コードネームかなにかに聞こえる名前を持つ人間。……どんなヒトなんだろう。僕の知っている人間にかばんはいない。知らない人か、或いは僕と同様記憶を失くして、名前をも失くしたパターン。……そうかも)
ルーカスは「かばん」ともう一度呟く。
嬉しさが込み上げてきた。
ヒトに出会える。自分たった一人かと思っていたら、別にもいた。
これはとんでもない収穫だ。
心に力がみなぎってきた。
「ハシブトガラスさん、ありがとうございます」
「フフフ、私はなにもしておりません。ただ己が目を以て写し見たことを具に申しているまで」
そう言うとハシブトガラスは、雅な動作でルーカスの背後を指差す。
ふと振り向くと、丁度誰かが襖を開けたところだった。
「あ、ルーカスさんこんなところにいらしたんですね」
「あぁリョコウバトさん。どうしたんです?」
「どうしたもこうしたもありませんわ。長い時間ずっと返ってこないので心配したので探しに来たのです」
「あぁ、そりゃ失敬。今フレンズさんと話しててね。紹介するよ。彼女は―――――」
ルーカスは正面を振り返る。
だが、その場所にハシブトガラスの姿はなかった。
まるで最初から誰もいなかったかのように、座布団のみが鎮座していた。
「……え」
「あの、誰かいらしたのですか?」
「いや、さっきまでいたんだが」
――――チリーン……。
またあの鈴の音がなった。
大部屋に響くそれは空しく心の奥底まで入り込み、なんとも言えない気持ちにさせる。
(幻覚? いや、そんなはずはない。確かに僕は彼女と話した。……―――――む? これは……)
ルーカスはふと座布団の上を見てみるとなにかがちょんと乗っかているのに気づいた。
いや、鈴の音と共に突然現れたといってもいいのではないか。
「――――古そうな木の箱だな。でもダメだ。鍵がかかって開かない」
「それは?」
「きっと彼女からの贈り物さ」
中になにか入っているらしくカタカタと音がする。
鍵が必要のようだが、今はそれらしいものは持っていない。
ルーカスは小箱を持って、サーベルタイガーやドール達が待つ部屋へ、リョコウバトと並んで歩きながら向かう。
――――フフフ、フフフフフフフ……フフフフフ。
――――フフフフフフ、アハハハハ……。
カァー……ッ! カァー…………ッ!
カァ―ッ! カァ―ッ! カァーッ! カァ―ッ! カァ―ッ! カァーッ! カァ―ッ! カァ―ッ! カァーッ! カァ―ッ! カァ―ッ! カァーッ! カァ―ッ! カァ―ッ! カァーッ! カァ―ッ! カァ―ッ! カァーッ!
――――チリーン……。
誰もいなくなったこの大部屋に不気味に響く上品な笑い声と無数に喚く烏の時雨。
鈴の音を最後に、再び完全なる静寂が支配した。
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