第517話 屍の森、改名する?【前編】

「最近、ずっと引っかかっていることがあるんです」


 それは、フォルの何気ないひと言から始まった。

 アネスとともに精霊界から帰還したトアは、いつも通りの平穏な日常を満喫していた。この日も、早朝から活気あふれる市場の様子をクラーラとフォルのふたりを連れて見回っており、その際に出た言葉であった。


「また唐突に変なことを……」

「いえ、今回ばかりは至極真っ当な意見だと自負しております」

「ず、随分と真面目ね……」


 いつもならここでひとボケあるところだが、クラーラの言う通り、ふざけることなく真摯な態度で言い切った。


「そこまで言うからには、本当に何か気になることがあるのか?」

「えぇ……この要塞村の未来を大きく揺るがす内容です」

「「そ、そんなに!?」」


 トアとクラーラは同時に驚く。

 あのフォルがそこまで言う「引っかかっていること」――とは、


「屍の森です」

「し、屍の森?」


 屍の森とは、要塞村を囲むように存在している広大な森を指す。かつて、この森にはハイランクモンスターがうようよしており、迂闊に足を踏み入れると命はないということから名づけられていた。


 実際、トアたちが要塞村に住み始めた頃は、凶悪なモンスターと戦うことも何度かあった。中にはメルビンたちのように、知恵の身を食べて人間と心を通じ合わせることができるという特例もあったが、それ以外のモンスターとは常に戦闘状態にあった。


 ――しかし、それももう昔のこと。


 今では森にモンスターの姿はほとんどない。

 なぜなら、要塞村の村民たちの大半は凄まじい戦闘力を持った種族ばかり。そのため、モンスターたちもこのまま森にいたら命はないと悟り、徐々に森から姿を消していったのだ。おかげで、現在は市場に参加するため、エノドアやパーベルから歩いて訪れることができるようになった。


 そんな屍の森に対して、フォルが感じていることが――


「屍の森……名前おかしくないですか?」

「「……は?」」


 想定していた内容とあまりにもかけ離れており、思わずそんな声が漏れる。


「今のこの森には屍感がありません」

「屍感って……」


 とはいうものの、冷静に考えたら「一理あるな」とトアは思った。

 今はもう屍とは無縁の平和な森となった。

 要塞村の他にも、白獅子のライオネルが長を務める獣人族の村も存在しているくらいだ。

 

「まあ……確かに、今はそんな物騒な表現をする必要はないものね」


 最初はあきれた様子だったクラーラもまた、最終的にはトアと同じく、フォルの考えに賛同した。


 こうして、要塞村を囲む屍の森は、その名前を改名する運びとなった。



 ――とはいえ、さすがにこれは自分たちだけの一存では決められないということで、領主であるチェイス・ファグナスのもとを訪れることにしたのだった。

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