第460話 自伝トア・マクレイグ

 セリウス王国現国王が退き、バーノン第一王子が王位を継承する。

 この重大事項は、瞬く間に国中を駆け抜けていった。



 一方、その事実を一般公開される前日に知った要塞村では――


「おいおいマジかよ!」

「まあ、前国王もかなり高齢だったからな」

「最近は公務もお休みすることが多かったし……仕方がないのかな」

「けど、バーノン王子が国王になるなら安心できるな」

「まったくだ。あの人以外にはあり得ねぇよ」


 市場に集まっている商人や客たちが大騒ぎしていた。

 バーノン王子自身から王位継承の話を聞いたのは、円卓の間に集まった要塞村に住む各種族の代表者たちのみ。当然、彼らには箝口令が敷かれたため、今日までその情報が外に漏れることはなかった。



 外が大騒ぎしている中、村長トアを訪ねてくる者がいた。


「少しお話よろしいですか?」


 やってきたのはオークのメルビンが執筆中の小説を本として売り出すため、担当編集をしているオリビエだった。


「オリビエさん? 今日はどうしたんですか?」

「実は、トア村長に折り入って相談がありまして」

「俺に相談……?」

「はい。トア村長は読書がご趣味と聞きまして」

「え、えぇ、まあ」

「それでなんですが――出版の方にご興味はありませんか?」

「出版?」


 読書を趣味とするトアにとって、出版にまったく興味がないというわけではなかった。しかし、ジャネットやメルビンのようにアイディアを練ってそれを物語としてまとめることは不得手であった。


「興味がないといえば嘘になりますけど……俺はジャネットやメルビンのようには――」

「いえいえ。トア村長にお願いしたいのはあのふたりが描くような創作物語ではなく――あなたの自伝です」

「自伝?」


 思わぬ提案に、トアは戸惑った。


「そうです! うちの出版社ではいろんな人の自伝を出しているんですよ。最近のですと、とあるダンジョンで食堂を開いている方のものとか!」

「じ、自伝って……俺の人生なんてそんな人に語れるような――」

「いやいやいや!? トア村長ほど波乱万丈な人生を送っている人なんて、そうはいないと思いますよ!?」


 いきなりヒートアップするオリビエ。

 一瞬たじろいだトアだが、興奮するオリビエの態度を目の当たりにし、改めて自分のこれまでを振り返って――いかにこれまでが波乱万丈であったか、思い知ることになる。


「……一歩間違っていたら、大変なことになっていたよなぁ」


 そもそも、この要塞村――いや、無欠要塞ディーフォルに迷い込まなければ、今の生活はなかった。どこか遠くの地で、クラーラやマフレナ、ジャネットとも出会わず、エステルとの再会も叶わず、まったく違った生き方をしていただろう。


 だから、今の自分が置かれた状況がいかに奇跡的であるか――それを深く理解することになる。


「……ありがとう、オリビエさん」

「えっ? お、お礼を言われるようなことは……むしろこちらがお願いをしている立場でして――」

「いや、なんとなく言いたかっただけさ」

「は、はあ……」

「それより、その自伝執筆だけど……やらせてもらいます」

「!? あ、ありがとうございます!」


 こうして、トアはオリビエを担当編集に迎え、自伝執筆作業へと入ったのだった。



  ◇◇◇



 その日の夜。


「うーん……」


 トアは唸っていた。

 ひと口に自伝といっても、何をどう書けばいいのか。これまでに体験したことを書きだしていこうとしていたが、一時間机に向かって書き続けても、まだ初めて鋼の山に行き、引きこもっているジャネットを引っ張り出したところまでしかたどり着けなかった。


「今日はここまでにしておくか……」


 深く息をつき、体を伸ばしたトアはランプの光を消して寝室へと向かう。

 オリビエは「今のところ具体的な〆切はありませんので」と言っていたので、ゆっくり進めていこうと思う。


 みんなとのこれまでを思い出すと、トアの顔から自然と笑みがこぼれるのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る