第103話 トアの結婚騒動【前編】
※次回投稿は8月12日の月曜日を予定しています。
「あんたと狩りに行くのって随分久しぶりね」
「ここに来た頃はほぼ毎日ふたりで行っていましたからね。今は人手も多くなってそれぞれに仕事もありますから。ですが、クラーラ様は腕を上げられましたね」
「ま、これでも日々の鍛錬は欠かしていないからね。特に、あの勇者に負けた時からはもう毎日気合入りまくりよ!」
「彼は八極のリーダーですからね。つまり、世界最強にもっとも近い男……勝つのはそう容易ではないでしょう」
「分かってはいるけど……あそこまで一方的だとなんだか悔しくって」
久しぶりにタッグを組んで狩りへと挑んでいたクラーラとフォルが、五メートル級の金牛を仕留め終えて昼前には要塞村へと戻ってきた。この後はリディスたちの農園の手伝いを要塞村の子どもたちとともに行う予定になっている。
肩を並べて歩くふたりは口にしないが、お互いにこうして協力しながら狩りをするのは要塞村誕生当初以来になるので、どこか懐かしさを感じながらいつも以上に楽しめて狩りができていた。
「じゃあ、私は昼食の前にお風呂へ入るから」
「では、お背中をお流ししましょう」
「……全身を粉砕される覚悟があるならいいわよ?」
「今のあなたならそれもやりかねないので今回は遠慮しましょう」
いつものやりとりをしながら要塞内を歩いていると、前方に背を向けているマフレナを発見する。すぐに声をかけようとしたが、マフレナの様子がおかしいことに気づいてふたりは動きが止まる。
マフレナは周囲をキョロキョロ見渡している。何かを警戒しているような感じだ。
「マフレナ様……様子が変ですね」
「何かを隠しているようだけど……とりあえず訳を聞いてみましょうか。おーい、マフレナ~」
詳しい事情を聞こうと声をかけるクラーラ。その声に反応して振り返ったマフレナを見たふたりは――驚きのあまり硬直する。
マフレナのお腹がまるで妊娠しているようにポッコリと膨らんでいたのだ。
「わふっ!?」
クラーラとフォルに見つかったことでマフレナは動揺し、お腹を大事そうに両手で支えると大慌てでその場から立ち去った。
「み、見た?」
「ええ……驚きました。あのマフレナ様が……」
マフレナが妊娠をした。
事実確認をしたわけではないが、あのお腹と態度を見る限りそうとしか判断できなかった。
その衝撃に、ふたりはしばらく黙ったまま立ち尽くす。およそ五分後。クラーラが額に手を添えてゆっくりと話し始める。
「あのマフレナが……一言くらい相談してくれてもよかったのに」
「恐らく、お相手に問題があったのではないでしょうか」
「お相手?」
「マフレナ様のお腹の中にいる子どもの父親です」
「!?」
父親という単語を耳にしたクラーラの体がビクッと小さく跳ねる。
「ち、ちち、父親って!?」
「クラーラ様も勘づいているのではないですか? ……マフレナ様がそのわがままボディをわがままに扱うことを許可する相手など、たったひとりしかいないじゃないですか」
「ま、まさか……」
「マスターですよ」
フォルの口から飛び出したのは衝撃の一言――だが、マフレナが妊娠したのではという疑惑が脳裏をよぎった直後から、トアの顔はずっとちらついていた。
トアが地下迷宮で見つかった薬の影響でマフレナを口説いたあたりから、マフレナのトアを見る目は明らかに変化していた。それまでも好意はあったのだろうが、それはどちらかというと一族を救ってくれたという尊敬の念が強い。
だが、今は違う。
マフレナは明らかに恋愛的な意味での好意をトアへ寄せている。
「若い男女……何かの弾みで互いの感情が爆発し、勢い余って一発必中……順序はどうあれ新しい命の誕生はこの要塞村にとって喜ばしいことです。しかも相手が村長であるマスターですからね」
「…………」
もはやクラーラはフォルの言葉を返す気力さえない。
一方、フォルはさらに続ける。
「まずは名前決めですかね。おふたりから少しずつとって《マフトア》というのはどうでしょうか。ああ、それだとマスターの名前は全部入っていることになりますね」
浮かれまくるフォル。
そのせいで、異変が起きていることに気づくのが遅れた。
「おや? クラーラ様?」
フォルが冷静さを取り戻して周囲を見回すと、そこにクラーラの姿はなかった。
「……僕としたことが、少々浮かれすぎてしまったようですね。……今朝会った時は普通だったマフレナ様のお腹が急に大きくなるわけないじゃないですか」
それでも、間違いなくマフレナのお腹は膨らんでいた。恐らく、何か服の中に隠していたのだろう。そのことにフォルは最初から気づいていた。しかし、クラーラをいじろうとそのことを黙っていたのだ。
「これは参りましたね……下手に騒動が大きく発展するよりも先に鎮火活動を始めた方がよさそうです」
マフレナが隠れて持ち込んだ物にも興味はあるが、今はクラーラを探すことを優先させようと思った。この話がクラーラを経由し、曲がり曲がってエステルやジャネットにも伝わったら――それはもう要塞村を揺るがす大騒動になりかねない。
嫌な予感がよぎるフォルは、クラーラを見つけるためサーチ機能をオンにした。
◇◇◇
「ふぅ……今日は疲れたな」
要塞村がマフレナの妊娠騒動で揺れ動きかけている中、トアはファグナス邸への定期報告を終えて帰路に就いていた。
その際、同行したローザから「少し休もう」と提案され、エルフ印のケーキ屋さんへ寄ることに。
「まだまだ暑い日が続きますね」
「もう一、二週間くらいは残暑が厳しくなりそうじゃな」
そんな世間話をしながら店内へ入ると、「いらっしゃいませ~」というメリッサやルイスたちエルフの声に出迎えられる。
が、なんだか様子がおかしい。
なんとなく、周りのエルフたちは落ち着きがない様子だ。
「? どうかしたの?」
「あ、い、いえ」
不審に感じたトアがメリッサに尋ねるが、しどろもどろになって埒が明かない。すると、店の扉が凄まじい勢いで開けられ、よく知った男の声が店内に響き渡った。
「トアぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
現れたのはクレイブだった。その後ろにはエドガーとネリスの姿もある。
「えっ? く、クレイブ? それにエドガーもネリスも」
「一体なんなんじゃ?」
トアとローザは様子がおかしい自警団三人組に驚きつつ、その詳細を――聞こうとしたらエドガーとネリスの方から切り出してきた。
「トア! おまえ結婚するって本当か!?」
「しかも相手は妊娠しているって聞いたわよ!?」
「わ、私たちもその話を聞きました!」
「「!?」」
メリッサまで参戦してトアへ追及する。だが、寝耳に水のトアとローザはイスから転げ落ちそうになるくらい驚き、もはや質問に答えられるような状況ではなかった。特に、まったく心当たりがないのに父親になるのかと迫られるトアはもうパニック状態だった。
「み、皆、一度落ち着くのじゃ」
追及の手を緩めないクレイブたちに対し、ローザはまず冷静になるよう話す。それから、事の顛末をじっくりと聞きだした。
三人とも混乱しているため事情を整理するのに時間はかかったが、事態の全容が徐々に浮き彫りとなってきた。
今日の昼過ぎ頃に要塞村から数名の使いが来て、「トア村長がご結婚なさるらしい。しかも相手は妊娠している」と伝え歩いたそうだ。
それはひとりではなく、銀狼族や王虎族、果てはモンスター組だったりと種族はバラバラであったが、伝えた内容は全員一致していた。
「トアが結婚……それに相手は妊娠?」
ローザはこの内容にすぐさま疑念を抱いた。
まだ混乱の続く店内で、特に取り乱しているクレイブ、エドガー、ネリス、そしてメリッサへ向けてこう言い放つ。
「お主ら……トアが本当に誰にもバレずにそのような行為ができるほど器用で察しの良い男に見えるか?」
「「「「あ」」」」
四人はたちまち冷静さを取り戻した。
「その反応おかしくない!?」
「ともかく、真相解明のためにもすぐに要塞村へ戻った方がよさそうじゃな」
「……なんだか腑に落ちませんが、それがいいですね」
トアとローザは休憩を取りやめ、トア結婚騒動で揺れる要塞村への帰還を急いだ。
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