第98話 ネリスの弱点

 ネリス・ハーミッダ。


 元フェルネンド王国聖騎隊ヘルミーナ隊所属。

 オレンジ色のツインテールと年齢よりも低く見られがちな小柄な体型が特徴的であり、一部に熱狂的なファンが存在しているのだという。

 座学・実戦ともに優秀なのだがとてつもなくクセの強い同部隊の同僚たち(エステル、クレイブ、エドガー)の陰に隠れがち。だが、彼女自身も大変に優れた人材だ。父が外交を担当していたフロイド・ハーミッダ元大臣であるということもポイントが高い。

 そんな彼女だが、現在は訳あってフェルネンドから遠く離れたセリウス王国ファグナス領にある鉱山の町エノドアの自警団で働いていた。




「ほら、これでもう大丈夫でしょ?」

「ホントだ! 痛くない! ありがとう、ネリスお姉ちゃん!」


 エノドア内にある公園。

 そこでは十歳前後の少年少女たちがボールを蹴り合って遊んでいたのだが、ひとりの少年が盛大に転び、膝を擦りむいた痛みから泣きだしてしまった。そこへ、たまたま見回りで居合わせたネリスが応急処置を施したのだ。


「元気に遊ぶのはいいことだけど、怪我には十分注意しなさいよ」

「はーい!」


 少年が元気に返事をすると、仲間の子どもたちも安堵の表情を見せる。

 と、その時、ネリスの瞳が険しく細められ、手にしていた愛用の武器である弓を構えた。少年たちは急変したネリスの態度に驚くが、その鋭い視線の先にある光景を目の当たりにして納得する。

 ネリスたちの前方には家がある。その二階の窓から洗濯物を干している家の主と思われる女性が見えた。女性のいる窓のヘリには鉢植えが置いてあるのだが、そこに洗濯物へ意識が向けられている女性の肘が当たり、窓の真下へと落下していった。

 ネリスはその落下する鉢に向かって矢を放つ。それは寸分の狂いなく、ネリスの狙い通りに鉢を射抜き、危うく脳天に落下する鉢を食らうところだった通行人を間一髪のところで助けたのだ。


「ふぅ……」


 無事任務を果たしたネリスは大きく息を吐いて弓をしまう。すると、周囲の子どもたちから熱い視線を送られていることに気づいた。


「? どうかした?」

「す、すっげぇ!!」


 ひとりの少年がそう叫んだのをきっかけに、ほかの子どもたちからも「すっげぇ!!」コールが巻き起こる。


「な、何!? どうしたの!?」

「どうやったらお姉さんみたいになれるんですか!」


 夜空を彩り星々よりも煌めく瞳を向けられて、ネリスは思わずたじろぐ。思えば、いつも周りから「凄い!」と言われるのはエステルかクレイブだった。エドガーはそのお調子者で軟派な性格が功を奏し(?)、女性人気が高い。

 だから、いつも同じ隊では自分だけ除け者のような気がしてならなかった。もちろん他の三人はネリスのことをそんなふうに扱っていないし、ネリス自身も内心はそんなことをする人たちじゃないと理解している。

 だが、陰でコソコソとネリスについて悪く語る輩はいた。

「他の者たちのあげた手柄からおこぼれをもらっているだけ」だの「先輩兵士に色目を使って優遇されている」だの「父親の七光りで権力という頼もしいガードがいるだけ」だの、好き放題言われていた。

 そのようなことは別に聖騎隊へ入る前からも割と頻繁にあったので、ネリス自身は特に気にはしていなかったのだが、自分といることで仲間たちにも風評被害が及ぶというのは我慢がならなかった。

 そういった経緯があるため、周りから純粋に憧憬の眼差しを向けられることに対して耐久力が皆無だったのだ。

 ネリスは熱心に質問をぶつけてくる子どもたちの気迫に後退しながらも、自分にできることは教えてやるとひとりひとりの質問に答えていくのだった。


 数時間後――


「ただいま戻りましたぁ……」


 子どもたちの質問攻めからようやく解放されたネリスはクタクタに疲れて駐屯地へと戻ってきた。生真面目な彼女は子どもたちからの質問に一切はぐらかすようなマネはせず、すべて答えていたのだ。

「お、戻ってきたみだいですな」

「やあ、ネリス、今日もお疲れ様」


 そんなネリスを出迎えたのは何やら話し合いをしていた自警団長のジェンソンとエノドア町長のレナード・ファグナスのふたりだった。


「レナード町長? どうかされたんですか?」

「ああ、今日は君に用があってきたんだよ」

「私に?」


 自警団絡みで町長がこの駐屯地を訪れることは珍しくないが、その際、強引に絡みにいくヘルミーナを除けば、お目当ての人物は大体団長のジェンソンであった。

 なので、自分に用があると言われてネリスは驚く。


「最近、君の活躍を聞く機会が多くてね。町の人たちからも随分と信頼を置かれているようじゃないか」

「そ、そうなんですか?」


 ネリスからすると実感はなかった。聖騎隊にいた頃からそうだが、自分に与えられた任務は必ずまっとうするというのがネリスのモットーである。なので、当たり前のことをしているという感覚なのだ。しかし、ネリスのそうした当たり前の行いが、町の人々からは深く感謝されているとのこと。


「でも、私がしていることは他の自警団の団員もしていると思いますが」

「確かにそうだ。しかし、君の場合は他の団員以上に細やかな対応をしているからな。それが好評なんだよ」


 団長のジェンソンは部下の活躍に目を細める。


「実は今回自警団を訪ねた理由は、君に自警団のポスターモデルになってもらおうと思って」

「ポスターモデル?」

「うん。ちょうど、君のお父さんが経営している宿屋に旅の絵描きが来ているようで、それがとても上手いらしいんだ」

「その絵描きに我々自警団のポスター作製を依頼しようと思ってな。そこで、最近活躍著しい君にそのモデルとなってもらいたいのだ」

「私が……モデル……」

 

 これまで、脚光を浴びる機会の少なかったネリス。そんな自分に今注目が集まっている。その現実が、彼女から冷静な判断力を奪った。

 

「そのモデルの件……お受けします」


 こうして、ネリスの晴れ舞台が幕を開けた。



  ◇◇◇



 数日後。


 エノドアの至るところにネリスが描かれた自警団のポスターが貼られた。

 その内容は主な活動報告と自警団団員の募集を告知するもので、多くの人々の目に触れることとなる。

 ポスターは好評となり、なぜか自警団のない港町パーベルでも貼られたり、「うちの町にもほしい!」という要望が続出した。


「はあ……今や時の人ね」

「わふっ。凄い人気ですね」

「こういっては失礼かもしれませんが、正直驚きましたね」


 エノドアを訪れていたクラーラ、マフレナ、フォルはネリスのポスターを前に各々感想を述べる。すると、フォルがある物を発見した。


「おや? こっちに新しいポスターがありますね」


 それは好評を受けて新たに発注したポスターの第二弾。

 前回よりも豪華さが増し、心なしかポスターに描かれているネリスの表情も最初に比べると自信がうかがえる。


「なんというか、場慣れしたという感じですね」

「わふ? 今度は広場で歌うみたいですよ! 今はこの近くで練習をしているみたいです!」

「もうなんでもありね……」

「いや、これは見過ごせない試みですよ。歌による戦意高揚は帝国でも注目をされていましたからね。僕もよく聞かされました。ちなみに僕のお気に入りは『愛・記憶していますか』という曲で、当時の帝国において大変人気のあった――」

「あんたの思い出話はどうでもいいわよ」

 

 フォルの語りが長くなりそうなので、クラーラは強制的にカットする。


「しかしまあ……こうしてみると、ネリスって弱点らしい弱点が見当たらないわね」

「と、言いますと?」

「トアと同期の聖騎隊メンバーって、基本みんな優秀だけど……どこかに欠点というか、弱い部分があるのよね」

「例えば?」

「トアとエステルはお互いのことになると途端にポンコツと化す。エドガーは美人なら誰でも口説こうとする軟派。クレイブはホ――まあ、各自そういった弱点がある」

「最後の方については疑惑では?」

「……だといいけど。とにかく、ネリスにはそういった弱点らしい弱点が見当たらないっていいたいの。まさに――」

「ネリスちゃんって凄い人ってことですね!」

「そうね。マフレナの言う通りよ」


 無邪気なマフレナの言葉に賛同していると、そこへ四人の少年少女が近づいてきた。トアとエステル、それにクレイブとエドガーだ。


「あ、クラーラ! マフレナにフォルも」

「噂をすればなんとやらですね」

「え? 俺たちの噂でもしていたの?」

「はい。クラーラ様が、『トアってカッコいいよね!』と小一時間語っていました」

「ふん!」


 クラーラの裏拳がフォルの頭にヒットして吹っ飛ぶ。

 見慣れた光景なので特に誰も気にせず、すでに興味は新しく貼られたネリスのポスターへと注がれていた。


「ポーズが随分さまになってきたな」

「堅物だからこういうのは絶対に断ると思ったがなぁ」

「実はこういうのに憧れていたとか?」

「うーん……そんな話は聞いたことないわね」


 四人もそれぞれ感想を口にする――が、ある一文を目にした瞬間、四人の動きは一斉にピタリと止まった。


「? どうかしたの?」


 まるで見計らったように同じタイミングで固まった四人へ尋ねるクラーラ。すると、四人は小さな声で呟いた。


「「「「歌…………?」」」」


 とうやらネリスと歌に何か関連があるようだ。


「まずいな」

「まずいよなぁ」

「まずいね」

「まずいわね」

「な、何がまずいのよ」


 声をそろえて不安を口にする四人に、クラーラたちも言い知れぬ恐怖を覚える。

 と、その時だった。


「町長! しっかりしてください!」


 自警団のメンバーである青年が叫んだ。

 そちらへ視線を移すと、レナード町長が気を失って倒れていた。それを優しく抱き起したのはヘルミーナが周りを囲む団員へ指示を飛ばす。


「落ち着け! ここは私に任せろ! 人工呼吸をするからただちに婚姻届けを持ってこい!」

「まずはヘルミーナさんが落ち着いてください!」

「あの……俺は……?」


 同じく気絶しかけているジェンソンだが、それに気づく者はいなかった。

 どうやらふたりはネリスが歌の練習をしているという建物から命からがら逃げ出してきたようだ。


「ねぇ……これって……」


 恐る恐る振り返ってトアに聞く。


「あのふたりの反応を見てもらえばわかると思うけど……ネリスは信じられないくらい歌が下手なんだ」

「下手ってレベルじゃないでしょ!?」


 クラーラの叫び声はエノドアの町中に響き渡ったのだった。




 ――そういった次第で、ネリスは広報係から後退。

 代わりにヘルミーナが婚活も兼ねるから自分のポスターを作製しろとジェンソンに要求したのだが、あえなく却下となったのである。

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