第92話 また会う日まで
夕方。
要塞村に保護されていたヒノモト国から来た者たちが全員意識を取り戻した。
エステルやフォルによる回復魔法を使用した治療によって体調面についても特に目立った問題はなくなっていた。
しかし、それでも荒れ狂う海に投げ出されてしまった乗組員もいたようで、「あいつは無事なのか!?」と仲間を心配する叫び声が轟いた。
その後、セリウス改めてトアとヒノモトの民たちの間で話し合いの場がもたれた。ヒノモト側の代表者として参加したタキマルは、周囲の意見を聞き、またツルヒメの存在もあるということでセリウス王都へ向かうことに合意した。
セリウス王都までの道のりは、今やすっかり冥鳥族と共に神樹の守護者として定着した巨鳥ラルゲを呼び出し、空から向かうことにした。
また、護衛役としてトア、ローザ、エステル、クラーラ、フォル、マフレナの六人がつくことが決定された。
道中、巨鳥ラルゲの背に乗ったツルヒメから、なぜ船に忍び込んだのかその理由を聞くことができた。
「ずっと外の世界を見てみたかったんです」
「外の世界を? それってつまり外国ってことですか?」
トアからの問いかけに、ツルヒメは静かに首を横へと振った。
「私は生まれてから一度もお城の外へ出たことがなかったんです」
「! そ、それはまた……」
だが、王族関係者――ましてや国王の娘ともなればそれほど過保護になるのも無理はないかもしれない。現に、かつて暮らしていたフェルネンド王国も、国王のひとり娘であるジュリア姫は年に数回ある式典の時くらいしか公に姿を現さない。それも、ほんの一瞬だけだ。
「姫ともなれば命を狙ってくる輩もおるからのぅ。親として、王として、娘を守りたいからという気持ちからくるものなのじゃろうが……当人からすれば酷じゃのぅ」
ローザの言葉を受けて、ツルヒメは「まさにその通りです」と強く頷いたが、すぐにその表情に影が落ちた。
「ですが……今回、私が勝手な行動を取ったばかりに多くの方が命を落とす事態になってしまいました。私は……本当に……」
そこから先は嗚咽混じりとなってよく聞き取れなかった。
助かった当初はまだ動揺もあってそこまで考えが回らなかったのだろうが、落ち着きを取り戻し、冷静に今回の件を振り返ると、とてつもない罪悪感に襲われる。こうして話している間も、彼女の目尻には涙が光っていた。
「ツルヒメ様……」
「姫よ。お主の行動は確かにいただけない部分もあるが、最大の問題は姫の乗る船を攻撃してきた輩じゃ」
「そ、そうですよ! 悪いのはそいつらです!」
トアとローザがフォローを入れると、ツルヒメは少しだけ元気を取り戻したようで小さく微笑み、それに応えた。
結局、襲撃がないまま一行はセリウス王国の王都へとたどり着いた。
その途中、「百療のイズモがエノドアに現れた」との報せを聞き、別行動で現地に飛んだシャウナから、使い魔を通してイズモが王都へ向けて発ったという報告を受けた。
「合流できそうでよかったですね」
「それにしても……イズモのヤツめ、相当慌てておったようでな。金も持たずこちらへ来たらしい。おまけに道に迷って森の中におったようじゃし」
「そ、そうだったんですね」
「医療に従事しておる時は隙のない完璧な男じゃが、それ以外は割とポンコツじゃな。戦闘面についても、強いことは認めるが、たまに見破りやすい簡単なトラップに引っかかったりするしのぅ……」
知られざる百療のイズモの素顔を垣間見たトア。
バケモノ染みた強さで今や英雄と語り継がれる八極だが、その人柄は一般人とさして変わらないものだと再認識する。
それからおよそ三十分後。
トアたちが王都へ近づくと、地上にこちらへ光る魔鉱石を使いサインを送ってくる一団を発見する。高度を下げて様子を窺うと、その集団の中心にはファグナス家当主のチェイス・ファグナスの姿があった。
「ファグナス様ですよ、ローザさん!」
「使い魔たちの報せは無事に届いておったようじゃな」
ローザは使い魔を通し、トアは事の顛末をファグナスへと伝えていた。それを受けたファグナスはすぐに王都へと出向き、国王へ報告してから迎え入れる準備を進めていたのだ。
「ツルヒメ様、もう大丈夫ですよ」
「本当に……何から何までありがとうございます」
「礼には及ばん。これが我ら要塞村の流儀みたいなものじゃからな」
「要塞村……またいつか、お邪魔してもいいですか? その時は今回のような形ではなく、正式な訪問として。ちゃんとお礼もしたいですし」
「是非!」
改めて正式に要塞村へ来ることを約束し、トアたちはツルヒメをはじめとするヒノモトの民たちの身柄をセリウス側へと渡した。
その際、助けられたヒノモトの人たちはトアやローザたち要塞村の住人たちに感謝の言葉を贈り、セリウス王都へと入っていった。
「ご苦労だったな、トア村長」
ヒノモトの民たちを見送ったトアたちのもとへチェイスがやってきて労をねぎらう。
「襲ってきた連中についてはこれからこちらで調査する」
「彼らを救出するためヒノモトから送り込まれたイズモも間もなくシャウナと共に到着する予定じゃ。あやつは襲ってきた者たちに少しばかり心当たりがあると言っておったから協力をしてくれるじゃろう」
「! あ、あの百療のイズモ殿……が」
さすがにチェイスはイズモのことを知っているようだった。
「さて、そうなれば我らはもうお役御免じゃな」
「あれ? イズモさんには会っていかないんですか?」
「必要はなかろう。会いたいなら向こうから来るじゃろうしな。それに、村長であるお主としてはまだ修繕が完璧に終わっていない要塞村の様子が気がかりじゃろう」
「そ、それは……」
八極のひとりである百療のイズモには個人的に興味がある。
だが、今も要塞村復旧に向けて作業している村民たちがいると思うと、トアとしては居ても立ってもいられない心境だった。ドワーフ族であるジャネットたちを中心に、一生懸命作業に汗を流してくれていることだろうが、トアのリペアやクラフトといった能力が必要になる場面があるはずだ。
「……戻りましょう」
トアはそう決断し、同行したエステルやクラーラにもその旨を伝える。もちろん、チェイスにも要塞村へ戻ると告げた。
「酷い嵐だったものな。分かった。あとのことはこちらに任せてもらおう」
「ありがとうございます」
「それより……今回の件がひと段落ついたら、君にお願いしたいことがある」
「お願い?」
お願いをしているのはトアの方が圧倒的に多いので珍しい。
「なんでしょうか」
「今回の件が落ち着いたら――一度セリウス王国の国王陛下と会ってもらいたい」
「え?」
思わぬお願いに、トアは思わず固まってしまった。
◇◇◇
鉱山の町エノドア。
エルフ印のケーキ屋さん店内。
「…………」
「姉さん、さっきからボーっとしてどうしたの?」
「! な、なんでもないよ!」
「……なら、いいけど」
双子の妹のルイスに心配され、慌てて取り繕うメリッサ。
事の発端は数時間前に遡る。
……………………
…………………………
………………………………
「おまえさん、テスタロッサを知っておるのか?」
「はい……だから知りたいんです。テスタロッサさんは今どこにいるんですか?」
八極のひとりである百療のイズモ。
同じオーレムの森出身であり、かつて親しくしていた死境のテスタロッサの情報を得るために、場所を厨房に変え、ふたりきりになったところで尋ねたメリッサ。その必死な顔つきと口調を受けて、イズモは真摯な態度で答えた。
「あいにくと、死境のテスタロッサの現在の居場所は某も知らん。……だが、彼女は今、贖罪の只中におる」
「贖罪……?」
「普段は無口で何を考えておるか分からんヤツだったが、終戦を迎えた直後、珍しく酒に酔って自分のことを話した時があった。その時に語ったのは、ダークエルフに堕ちたことでオーレムの森に住む仲間たちを失望させてしまったという後悔と、死んだ恋人はどう足掻いても戻ってこないという事実だった。そして、戦争が終わったら、それらの過ちを償うための旅に出るとも言っておったな」
「…………」
メリッサは胸の奥から悲しみが溢れそうになるのをグッと堪える。
仲睦まじかったテスタロッサと恋人の人間――ふたりの様子をよく覚えているから、テスタロッサが禁忌魔法に手を出したと聞いた時は納得した。それが自然の流れに思えてしまうほどに、あのふたりは互いに愛し合っていたから。
それはまだ子どもだった自分でも分かっていたから、きっとルイスやクラーラもなんとなくは感じ取っていただろう。
そのふたりをはじめ、当時オーレムの森にいた子どものエルフたちには、ショックを与えないようにという配慮から、偶然耳にしてしまったメリッサを除いてテスタロッサの件は伏せられていた。
それは今後も継続していった方がいいだろうとメリッサは思っていた。
時がくれば、クラーラとルイスにも話そうと決めていた。
要塞村のトアも、オーレムの森の長老からテスタロッサの件を聞いたそうだが、やはり自分と同意見で、しばらくは黙っていようということで折り合いはついていた。
そんな事情を知ってか知らずか、イズモは落ち込むメリッサを励ますように告げる。
「現在地などの詳しい情報は知らぬが――これだけは言える。テスタロッサは生きている。今の世界のどこかで、な」
「……ありがとうございます」
溢れ出しそうな涙を押し殺して、メリッサは頭を下げた。
「強いな、おまえさんは。よければ名を聞かせてくれぬか」
「オーレムの森のメリッサと言います」
「メリッサか……その名前、しかと覚えた。テスタロッサについて何か分かったことがあったらまずおまえさんに知らせよう」
「! ありがとうございます!」
再び頭を下げるメリッサ。
パンケーキ代をシャウナに立て替えてもらい、セリウス王都へ向かう彼の背中を見送ると、二の腕で目に溜まった涙を振り払っていつもの仕事へと戻って行った。
いつかまた、テスタロッサと再会し、オーレムの森で共に暮らす日々を夢見て。
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