第67話 神樹の異変【中編】

「トア!」


 救い上げられたトアへ真っ先に駆け寄ったのはエステルだった。


「大丈夫!?」

「あ、ああ……平気だよ」


 まだ呆然としているトアを抱きかかえて、エステルは視線を前方へ移した。そこには自分たちを守るように立ちはだかるローザとフォルの姿があり、その向こうにはトアを助けてくれた空色の髪と紫色の翼を持った可愛らしい少女が立っていた。

 その少女の年齢は、見た目だけならトアたちと変わらないほど。ただ、彼女は鳥の獣人族であるため、実際の年齢はずっと高いだろう。大きな茶色い瞳は不安げに震えているように映った。


「お主に礼を言わねばならんな」


 沈黙を破ったのはローザだった。

 神樹から落ちたトアを超高速で追いかけて助けてくれたのだから礼を言うのは当然――と思っていたのだが、お礼をされた少女はあたふたと落ち着かない様子で、ローザの言葉を聞き取れていない様子だった。


「? 何をそんなに慌てておる」


 ローザが少女に近づく。

 それを悟った少女はペタンとその場に尻餅をついた。まるでローザを怖がっているかのようなリアクションだ。

 これにはさすがのローザも困り果てたが、その現状を打破するようにどこからともなく低い成人男性の声が聞こえてきた。


「待ってください!」


 声はひとつ。

 だが、その場に姿を見せたのはふたりだった。

 ひとりは声の主と思われる髭面の男。

 もうひとりはまだ幼い少女だ。


「この大きな木はあなた方の所有物でしたか?」


 男は申し訳なさそうな表情でローザに問う。


「所有物――う~む……現在はこっちにおるトアという少年の物じゃ」


 この屍の森を領地とする貴族チェイス・ファグナスから正式な手続きをとって権利を移されているので、事実上、この神樹はトアの物となっている。


「そうでしたか……すいません。勝手に居着いてしまって」


 男は深々と頭を下げて謝罪をする。

 

「え? あ、いや、別に僕らは迷惑をしているとかじゃなくて、ただ、この神樹が訴えかけているので何かあるのかと思って調査にきたわけで」


 慌てふためきながら自分たちの目的を説明するトア。それから少し落ち着きを取り戻したのでもう少し踏み込んだ質問をしてみようと「コホン」とひとつ咳払いを挟んでから話しを始めた。


「ここで一体何をしていたんですか?」

「実は……私たち冥鳥族は渡り鳥の種族でもあるんです」


 冥鳥族であり、少女たちの父親と名乗るエイデンが説明した内容を要約すると次のようになる。


 まず、冥鳥族は暖かな気候を好むため、冬が訪れる少し前の時期に暖かな場所へ渡り歩くという習性を持っている。その移動中に立派な木――神樹を見つけたので、ここを住処にしようと思ったらしい。ところが、住み始めてすぐに思わぬトラブルが発生したという。


「妊娠中の妻が突然体調を崩してしまい……今も苦しんでいるんです」

「それは気が気ではないのぅ」


 姉妹である少女たちも、母の身を案じているようで不安げな顔つきだ。


「ローザさん、確かエノドアにお医者さんがいましたよね?」


 トアの質問を受けたローザは渋い表情だった。


「おるにはおるようじゃが、人間専門じゃろうからなぁ……ここはやはり、同じ獣人族同士の方がいいじゃろう」

「なら、俺呼んできます!」

「頼めるかのぅ。ワシとエステルとフォルはその嫁のところへ向かっておる」

「分かりました」


 話がまとまったところで、トアはラルゲの背に乗って地上にいる獣人族の代表者たちを呼びに向かった。



  ◇◇◇



 トアが真っ先に声をかけたのはジンとゼルエスだった。

 しかし、相手が妊婦ということもあって、ここは両名の奥さんに参加してもらうこととなった。そして、地下迷宮に潜っていたもうひとりの獣人族女性をを招集した。


「冥鳥族か……」


 ラルゲの背に乗るシャウナは珍しく神妙な面持ちだった。


「家族で暖かい土地を目指していたようですけど、妊娠中だった奥さんが体調を崩したとかで神樹に立ち寄ったみたいです」

「彼らのリーダーの名前は?」

「家族の長はエイデンという方です」

「エイデン、か……冥鳥族にも友人は何人かいるが、知らないな」


 どうにもシャウナの歯切れが悪い。

 気になったトアはもう少し尋ねてみることにした。


「冥鳥族について何か気がかりがあるんですか?」

「冥鳥族自体には何も……気になる点があるとすれば、今回の行動は彼らの習性に反していると思ってね」

「? どういうことですか?」

「本来、冥鳥族は住処と決めた場所からは動かないのが基本だ。昨年、君たちがこの要塞村を造り上げた時――彼らはいなかったのだろう?」

「え、えっと……今日みたいに気配を感じることはありませんでした」


 シャウナの指摘した通りだとすれば、本来彼らはここではなく、別の住処に行くはずだったのだ。


「奥さんの体調が優れなくなったからここに立ち寄ったとか?」

「……だといいがな。もしかしたら、それ以外に元の住処を離れなければいけなかった理由があったのかもしれん」


 シャウナはやはり晴れない表情で神樹を見つめていた。




 銀狼族と王虎族、そしてシャウナの三人はエイデンの妻であるニアムの容態を見るため、ローザやエステルと共に彼女が横になっている場所へ向かう。

 一方、トアとフォルは残った娘ふたりと挨拶を交わしていた。


「だいぶ遅れちゃったけど、俺は下にある要塞村の村長でトア・マクレイグっていうんだ」

「私はそのトア村長に仕える自律型甲冑兵のフォルと申します」

「私はサンドラよ! よろしくね!」


 姉と同じ空色の髪をした妹サンドラは緊張が解けたのか、普段の天真爛漫さが出始め、元気いっぱいにトアたちへ挨拶を返した。外見年齢は五、六歳くらい。王虎族のタイガやミューよりも少し幼いくらいだろうか。小さな体をいっぱいに広げて話をする元気な女の子である。

 ――問題は姉の方だ。


「えっと……お姉さんは?」

「あれ? さっきまでそこにいたのに……アシュリーお姉ちゃ~ん」


 神授から落ちたトアを救ってくれた姉のアシュリーの姿はなかった。

 トアとフォルが不思議そうに周辺を見回していると、複雑に絡み合った枝の合間から紫色の羽が見えた。どうやら隠れているつもりのようだ。


「はあ……」


 その様子を見た妹サンドラは深いため息を漏らした。


「ごめんなさい、村長さん。お姉ちゃんは大の人見知りで特に男の人が苦手なの」

「な、なるほど……」


 どうやら姉アシュリーは対人恐怖症+男性恐怖症らしい。


「でも、さっき俺を助けてくれたぞ?」

「お姉ちゃんは人付き合いが絶望的に苦手なんだけど、とっても優しいの!」


 サンドラが言うように、男性恐怖症でありながらトアの命を助けた――恐らくそれは咄嗟に本能が体を動かしたのだろう。

 それからも、彼女が心優しい少女であることが窺える。


 しかし、それはあくまでも咄嗟の行動。

 男性が苦手なのを克服できたわけではないのだ。

 

 だからといってこのままというわけにもいかないので、トアはその場から隠れているアシュリーへお礼の言葉を贈った。

 

「さっきは助けてくれてありがとう! 君は命の恩人だよ!」


 アシュリーに届くよう叫ぶトア。

 その感謝の気持ちは伝わったようで、枝の影から少しだけ顔を出したアシュリーは少し困ったような笑みを浮かべて小さく手を振った。

 この対応に、妹サンドラからは驚きの声があがった。


「村長さん、凄いよ!」

「へ? 何が?」

「アシュリーお姉ちゃんはいつも誰かに声をかけられても何も返せないのに、あんなふうに手を振るなんて今までなかったんだよ!」


 それはそれでどうかとも思うが、裏を返せばアシュリーの人見知りはかなり重度なものであると言える。


「これもまたマスターの成せる業というわけですね」


 フォルはそう言ってトアを称えたが、正直なところまったく実感が湧かない。

 しかし、今のような態度はなんとなく初めて会った頃のエステルに似ているとトアは感じていた。

 まだ小さかった頃――それこそ、今のサンドラくらいの年齢だった頃のエステルは人見知りをする性格で、村に馴染みの薄い旅の行商が立ち寄った際などはいつもトアの後ろに隠れていた。


 アシュリーに過去のエステルの姿を重ねていると、遠くから何やら鳴き声のようなものが聞こえてきた。耳を澄ますと――それは赤ん坊の声のようだった。


「! どうやら産まれたみたいだ」

「本当!? お姉ちゃん! 新しい家族が産まれたよ!」

「っ!?」


 声を発しないものの、小さくガッツポーズをとって喜びを表現するアシュリー。


「……喋れないわけじゃないんだよね?」

「うん。滅多に喋らないけど」


 いつも一緒にいる妹でさえこの調子なのだ。

 アシュリーと会話をする日は遠くなりそうだと思いつつ、今は新しく産まれた命を祝福しようと母ニアムのもとへ急いだ。

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