第66話 神樹の異変【前編】
季節は春。
厳しい寒さは終わりを告げ、森の木々は濃緑に染まり始めていた。
「ふんふ~ん♪」
暖かな陽気に当てられて、トアは思わず鼻歌を口ずさみながら今日も要塞の修繕作業へと取りかかっている。
「ご機嫌ね、トア」
そこへやってきたのは幼馴染のエステルだった。
「いや、天気もいいし、過ごしやすい気候だし、なんとなく、ね。エステルは奥さんたちの手伝い?」
「ええ。みんなで管理している花壇から少し花をもらって、要塞内を飾りつけようと思って」
確かにエステルの手には黄色い花がいくつかあった。
かつては軍事施設だったこの無血要塞も、今ではすっかり生活の場として定着し、全体的な雰囲気も明るいものへ変わってきている。
それも、トアがリペアとクラフトを駆使し、また、村人たちの協力によっていろいろと飾り付けられた無血要塞は一年前に初めて見た時に比べて見違えるほど綺麗になった。
だが、修繕自体はまだ全体の三割ほどしか進んでいない。
まだまだこの要塞村は大きくなれる。そのためにも、村長である自分の頑張りが重要になってくるとトアは感じていた。
「そういえば、ヘルミーナ隊長のこと聞いた?」
「ああ。まさかエノドア自警団に入るとはね。それに、ハーミッダ大臣も奥さんと一緒に宿屋をオープンさせたみたいだし、ネリスもこれでひと安心だろうな」
「大臣といえば、養成所にいた頃、ネリスの別荘へ遊びに行った時のこと覚えている?」
「あったねぇ、そんなことも」
ふたりはしばらく思い出話に花を咲かせていた。
ふと、トアは何か気配を感じて視線を空へと向ける。
「どうかしたの、トア」
「いや……何か……変な感じがするんだ。具体的に説明はできないけど」
「お主も何かを感じ取ったか」
未知の感覚に戸惑っているトアのもとへやってきたのはローザだった。
「ろ、ローザさん。何かを感じ取ったって……」
「気配のようなものじゃろ? ……お主は要塞職人のジョブが持つベースという能力によって神樹ヴェキラと魔力でつながっている状態――つまり、神樹が己の身に起きた異変をお主に伝えようとしておるのじゃ」
「神樹の身に起きた異変?」
トアは天高くそびえる神樹ヴェキラを見上げた。
「神樹が……俺に異変を訴えている……」
これまでにない感覚だったので、さっきまでは戸惑っていたトアだが、ローザからそのように言われた表現はとてもしっくりときた。
だから、トアはすぐに行動を起こす。
「ローザさん、神樹が俺に何かを訴えかけているなら、それに応えたいと思います」
「うむ。そのためには実際に神樹で何が起きているのか調査しなければならんじゃろうな」
それはつまり、神樹ヴェキラの上層部へ行き、その異変を目で確かめに行くことを示していた。――が、問題はその移動方法だ。
「あの高い木をどう登っていくかですね」
「トアよ。お主……ラルゲの存在を忘れておらぬか?」
「あ」
そうだった。
以前、オーレムの森へ向かう際に乗ったあの巨鳥ラルゲがいれば、神樹の上層部へ簡単にたどり着けるだろう。
「あとは人選じゃな。あまり大勢で行っても、場所が場所だけに行動が限られるじゃろうから少数精鋭で行くとしよう。とりあえず、ワシとトアとエステルは確定として、あとふたりほど選ぶかのぅ」
「あとふたり……」
真っ先に浮かんだのはクラーラ、マフレナ、ジャネット、シャウナの四人。
だが、マフレナは狩り担当として森に入っており、クラーラはエノドアにあるセドリックたちが経営しているエルフ印のケーキ屋の手伝いに朝から出ている。ジャネットは新しい武器の構想を思いついたので、必要な資材を調達するため鋼の山に出張中。シャウナは朝から冒険者たちを率いて地下迷宮に潜っていた。
となると、残る参加者候補は――
「マスター、さては僕をお忘れですね」
いつの間にやら近くに来ていたフォルが少し怒ったような口調で参加を表明する。
「い、いやだなぁ。フォルを忘れるわけないじゃないか!」
「いいのですよ、マスター。ツンデレ貧乳エルフとわがままボディ犬耳少女と万能メガネドワーフ少女と八極でも指折りの曲者に比べたら、僕の個性など薄っぺらなものですから」
「喋る甲冑兵というのも凄い個性だと思うけど……?」
◇◇◇
同時刻。
鉱山の町エノドア――エルフ印のケーキ屋店内。
グシャッ!
「! ど、どうしたの、クラーラさん!」
「ごめんなさい、メリッサ……何か今、物凄くカチンとくることを言われた気がして」
「胸を押さえながら何言っているんですか!?」
「つーか……握力だけでデザート用のリンゴを砕くなよ……」
「相変わらず惚れ惚れするパワーね……」
非番でケーキ屋を訪れていたエドガーとネリスは苦笑いを浮かべながら自分の胸をさするクラーラを眺めていた。
◇◇◇
神樹の様子見にはトア、ローザ、エステル、フォルの四人で向かうことで決定した。
とりあえず異変の調査という段階なので、少人数でも大丈夫だろうという判断のもとに決まった人選である。
「では、行くとするかのぅ」
ローザが巨鳥ラルゲを呼び出し、その背に乗った四人は神樹の上層部を目指す。やがてたどり着いたそこは、トアの想像を遥かに超越する場所であった。
「す、凄い……」
単調な感想が逆にその場所の印象を強烈なものにする。
神樹上層部は下から見上げているだけでは分からない空間が広がっていた。
複雑に絡み合った枝が足場を作り、周りを囲むように生える深緑の葉と相まってまるで小さな森のようになっていた。
仮に、何か生物が住み着いていてもなんら不思議ではない――そう思わせる場所であった。
「ふむ。見たところ特に目立った異変など見受けられぬな」
ローザがため息交じりにそう語るのを聞き、ようやくトアはここへ来た目的を思い出したのだった。
胸のざわめきはまだ止まらない。
誰かが耳元で囁いているような感じ――その声にならない声に導かれるようにして、トアは歩を進める。
「気をつけて、トア。もしかしたらモンスターがいるかもしれないわ」
「あ、ああ」
エステルからの忠告は耳に入ったが、頭には入らなかった。
足が止まらない。
吸い寄せられるように近づいて――何者かの気配を察知して思わず飛び退いた。
「! トア!」
ローザもそれに気づき、咄嗟に杖を構えた。
ワンテンポ遅れてエステルとフォルも臨戦態勢に入る。
「ま、待ってください!」
トアはローザたちを制止する。
「誰かの気配は感じましたけど……敵意は感じません」
それは神樹ヴェキラと魔力がリンクしているトアにしか分からない情報。事前に侵入者の存在を知り、その者たちが一体何者であるのかを知っている神樹ヴェキラが魔力を通じて訴えかけている――トアにはそう感じられた。
とにかく、侵入者の正体を知る必要がある。
少しずつ、気配のする方向へ進んでいたトアだったが、突然「バキッ!」という音がして浮遊感が全身を襲った。
「うわっ!?」
足元の枝が折れて、トアは高さ百メートル以上ある神樹の上層部から落ちたのだ。
「トア!」
エステルが駆けだした時にはもう遅く、トアは地上へ向けて落下していく。ローザはすぐにラルゲを呼び戻そうとするが、それでは間に合わない。
このままでは地上に叩きつけられて――全員の脳裏に最悪の結末が過ったが、次の瞬間、三人の目の前を猛スピードで人影が通過していった。
「な、なんじゃ!?」
「人のようでしたけど……翼がありましたよね?」
不思議そうに尋ねるエステル。
その姿はローザをしかと捉えていた。
「翼の生えた人間? ……まさか!?」
ローザは慌ててトアが落ちたことで大きく空いた枝の合間から下の様子を窺う。
そこには紫色をした翼の生えた少女に抱きかかえられ、こちらを目指し上昇してくるトアの姿があった。
「あの少女は……鳥の獣人族?」
後ろから同じく下の光景をのぞき見ていたフォルが言う。
「そうじゃ――が、ただの獣人族ではない。あの少女は獣人族の中でも銀狼族や王虎族に匹敵する希少種……冥鳥族じゃ」
ローザは額に汗を浮かべながらそう告げた。
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