第65話 変革への第一歩とその代償

 フェルネンド王国は国家として大きな岐路を迎えていた。

 ダルネスへの侵攻は失敗に終わり、現在聖騎隊は明確な目的を失って宙ぶらりんの状態が続いている。もはや以前のように魔獣討伐を目的とした組織ではなく、侵略のための兵力として扱われていた。

 これにはクレイブたちと同様に不満を漏らす兵が続出し、聖騎隊を抜ける者は後を絶たなかった。

 最終的に組織へ残ったのは強い野心を持った者や、ディオニス・コルナルドの語る「強いフェルネンド」というフレーズに心酔する者くらいだ。


 ――さらに、聖騎隊の運命を左右する大きな出来事が起きようとしていた。




「はあ……」


 聖騎隊に所属するヘルミーナ・ウォルコットは苦悩していた。

 それは表情にもハッキリと表れ、彼女とすれ違った兵士は思わず心配して振り返ってしまうほどである。


「ヘルミーナ殿……随分と思い詰めているようだな」

「あの方は真面目だからな。今の聖騎隊の在り方に疑問を抱いているのであろう」


 すれ違った兵士ふたりがそう話し合っていると、ふらついたヘルミーナが思わず壁に手をつく現場を目撃してしまう。


「! 大丈夫ですか、ヘルミーナ殿!」

「お気を確かに!」


 慌てて駆け寄る兵士ふたり。すると、俯くヘルミーナが何事か喋っていることに気づいて耳を澄ませてみる。


「…………十七連敗」

「は?」


 なんの脈絡もなく放たれた言葉に、ふたりの兵士は顔を見合わせた。


「あ、いや、なんでもないんだ。忘れてくれ。私はもう大丈夫だから……」


 体調を気遣う兵士たちに平気だと告げたヘルミーナは、そのままおぼつかない足取りで廊下を歩いていく。どう見ても大丈夫ではない状態なのだが、ヘルミーナの全身から溢れる「これ以上関わるな」オーラを前に、ふたりは見送るしかなかった。


「十七はあり得ない……十七はあってはならない……十七は……十七は……」


 呪詛のごとく繰り返し呟いていたヘルミーナは、やがて目的の部屋に辿り着くとハッと我に返った。


「わ、私としたことが……兵士に情けない姿を見せてしまったな」


 自身の行いを反省しつつ、ノックをして返事をもらってから入室。そこで待っていたのはネリスの父であり、大臣を務めるフロイド・ハーミッダであった。


「やあ、遅かったね、ヘルミーナ隊長」

「申し訳ありません。少し報告に手間取りまして」

「そうかしこまらなくてもいい。今や隊長職を任せられる人材も限られているからね」


 深刻な人材難となっている王国聖騎隊において、隊長としての経験も豊富なヘルミーナのような兵士は貴重な存在といえた。

 だが、そんな有能なヘルミーナも、かつての部下であるトアやクレイブたちのようにフェルネンドを去る決意を固めていた。

 それを後押ししたのが、他ならぬフロイドであったのだ。


「さて、と……私の荷造りはこれで終わりだ。君の方はどうだい?」

「すでに整えております。――ですが、よく上があなたの辞職を受け入れましたね」


 フロイドは大臣職を退き、娘であるネリスが暮らす鉱山の町エノドアで宿屋を経営する準備を着々と進めていた。しかし、彼もまた大変優秀な人材である。それを、慢性的な人材不足に陥った王国側が簡単に手放すことに、ヘルミーナは疑念を抱いていた。


「訳ありなのさ……当然、素直に私を国外へは出さないだろう」

「やはり……暗殺ですか?」

「だろうな」

 

 戦争反対派であるフロイドがこのまま居座れば、それはそれでフェルネンドサイドからすると厄介な存在となるだろう。だが、その優秀な力を他国へ渡って使われたとあっては国にとって更なるマイナスを生み出すことになる。


 そうなれば、フェルネンドが打ってくる手として考えられるのは――フロイドの暗殺であった。


「事故死に見せかけるつもりなのだろう」

「出国には細心の注意を払わなければいけませんね」

「それについてはもう手を打ってある。さあ、そろそろ行こうか」


 大きなバッグを手にしたフロイドは、そう言ってニコリと微笑んだ。



  ◇◇◇



 特に派手な見送りもなく、大臣フロイド・ハーミッダは豪華な造りの馬車に乗り込んで王都から出る。

 そのタイミングを見計らって、複数の影が動いた。

 馬車を追尾し、王都からある程度離れた位置にまで達すると、ひとつの影が馬車の進行方向へ降り立った。

 御者は慌てて馬車を止める。

 その機を見計らって、複数の影――武器を手にした殺し屋たちが施錠されている馬車の扉を強引にこじ開けた。

 しかし、そこは――もぬけの殻であった。


「! ば、バカな!? 情報ではこの馬車のはずだ!」


 リーダー格と思われる男が叫ぶも、馬車の中は誰もいないまま。予期せぬ事態に硬直状態の男たちの隙を突き、御者は馬に鞭を打って逃走。

 暗殺部隊は何もできぬまま、任務失敗の報告を恐れて散り散りに逃げ出したのだった。



 ◇◇◇



 時は少し遡って――襲撃の約一時間前。



「ふっ、天下のハーミッダ大臣がまさかこのようなボロ馬車の荷台に隠れて王都を出たとは思わないでしょうな」

「それも、申請した時間よりだいぶ早いからな。今の連携の取れていない穴だらけの聖騎隊では我々を捉えることはできないだろう」


 フロイドとヘルミーナは王国側の襲撃を予想し、虚偽の出国時間を申請してこのオンボロ馬車に乗せてもらったのである。


「ヤツらが私の申請した時間に動きだす馬車を襲撃して慌てふためく姿が目に映るな。――おっと、そういえばひとつ聞くのを忘れていた」


 フロイドはヘルミーナに尋ねたいことがあったことを思い出してそれを口にする。


「先日、副大臣が取り持って行われたというお見合いはどうだったんだ?」

「!?」


 一気に表情が曇るヘルミーナ。

 よくよく考えてみたら、見合いがうまくいっていた場合、こうも簡単に出国の誘いに乗るわけがなかったとフロイドは自身の軽率な発言を悔いた。


「……ハーミッダ大臣」

「な、なんだ?」

「大臣が目的地としているエノドアという町は鉱山があるのですよね?」

「あ、ああ、最近になって見つかった巨大な鉱山だ」

「鉱山ということは屈強な鉱夫たちが多いのですよね?」

「そ、そうだな。多いぞ」

「彼らは腹筋が六つに割れている三十手前の女でも好いてくれると思いますか」

「…………思うぞ」

「間がありましたね」

「いや、その」

「これで十七連敗なんですよ。そろそろあとがないんですよ」

「…………」


 死んだ魚の目をしたヘルミーナに詰め寄られるハーミッダ。

 結局、ヘルミーナは目的地をエノドアへと移行し、そこで新たな生活+婚活を始めようと誓うのだった。



  ◇◇◇



 ヘルミーナがエノドアで選んだ仕事は自警団だった。

 ここならば、前職のスキルを生かせるし、何より新しい出会いに期待のできる職場だと感じていた。若い団員も多いらしく、それもまたヘルミーナにヤル気を与えていた。


「では、他の団員へ挨拶を」


 団長のジェンソンに促され、ヘルミーナは団員控室から出て多くの兵たちが待つ駐屯所の会議室へ向かう。

 この時、ヘルミーナはある決意を胸に抱いていた。

 前の職場で出会いに恵まれなかったのは、自分自身の硬い性格にあったのではないかと自己分析をしていたのだ。

 なので、今回の職場では少し明るい感じを出し、とっつきやすい性格であることを押し出していく方針を決めた。ゆえに、第一印象が肝心だと、最初の挨拶に並々ならぬ気合を込めて挑もうとしていた。


「さあ、どうぞ」


 会議室の扉を開けたジェンソンに促されて入室してすぐさま、ヘルミーナはこれまで見せたことのない満面の笑みで言い放つ。


「こんにちは♪ フェルネンド王国から来ましたヘルミーナ・ウォルコットで~す♪」


 ここまでは調子がよかった――が、目の前にいた三人の少年少女の姿が目に入った途端――ヘルミーナは凍りついた。


「「「…………」」」


 かつて、ヘルミーナの部下だったクレイブとエドガーとネリスは見てはいけないものを見てしまったという表情で固まっていた。厳しくもあり優しくもある、頼れる姉御肌なヘルミーナのあり得ない変貌ぶりを受け入れられないといった感じだ。


「…………」


 もっとも見られたくなかった元部下三人に目撃されたことで思考停止するヘルミーナ。しかし、すぐに正気を取り戻すと、腰に携えた剣を鞘から引き抜いて自分の胸に突き刺そうとしだしたので、その場にいた全員に取り押さえられた。


「殺せぇ! 殺してくれぇ!」

「隊長! 私たち何も見ていませんから!」

「そうっすよ! だから安心してください!」

「御年を感じさせない弾けっぷりでしたよ」

「「クレイブ!!」」

「わあぁああぁぁあああぁあああ!!!」


 ヘルミーナの涙声は虚しく駐屯所内に響き渡ったのだった。






「む? そういえば、ネリスたちも自警団に入ったことをヘルミーナにはまだ伝えていなかったな。……まあ、元部下なわけだし、問題ないだろう」


 元有能大臣のちょっとしたうっかりがひとりの女性の人生を終焉に導きかけたことを、当の本人は知る由もなかった。

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