第55話 暗躍と脱出
フェルネンド城――ディオニス・コルナルドの執務室。
「ねぇ、ディオニス……今度はいつ会えるの?」
「今こうして顔を合わせているというのに、もう次のおねだりですか?」
「だって今日は朝までいられないんでしょう?」
椅子に腰かけて執務を続けるディオニスの体にねっとりと絡まるように抱きつく紫色をしたロングヘアーの少女。それだけで両者の関係性は透けて見える。
そこへ、ノックをし、「ディオニス様」と声をかけたのは執事のブレット。
ディオニスは慌てる様子もなく、「入れ」と指示。
何も知らないブレットは少女の存在に一瞬ギョッとしたが、すぐさまいつもの調子で語り始めた。
「ダルネス王国への軍編制が終了いたしましたのでご報告に」
「話せ」
「はっ! まず、ダルネスと近隣諸国との国境付近にあるオーストンという町へ兵を送り込んで制圧後、前線部隊の駐屯地にしたいと思います。そのため、この先行部隊には、八極のひとり――《赤鼻のアバランチ》を投入します」
八極の名前を聞いた少女が驚いたように口を開いた。
「《赤鼻のアバランチ》って……確か巨人族でしょ? そんな強いのをこんなショボい町の制圧に使って大丈夫なの?」
「ここの制圧は他国への牽制も意味します。こちらには八極がついていると知れば、他国もそう易々と加勢にはこられないでしょう」
「なるほど! さっすがディオニスね!」
少女はニコニコと笑いながらディオニスへ頬ずりをする。
「ディオニス様……ここから先は」
「おっと。どうやら秘密のお話しがあるようだ――悪いね、ジュリア。今日はここまでだ」
「はーい。じゃあ、今度は朝まで、ね?」
「もちろん」
ディオニスが軽く、触れるようなキスをすると、ジュリアは上機嫌で部屋を出て行った。
「いつものことながら、あなた様の女性への立ち振る舞いには感服致します」
「これも政治手腕のひとつだよ、ブレット」
「なるほど……あの方の立場を考慮すれば、それもまた立派な武器ですな」
ブレットのいう「あの方の立場」というのは、先ほどのジュリアという少女の地位にある。
「あなたがフェルネンド国王陛下のお嬢様と親密な関係にある……すでに一部兵士たちの間では公然の秘密として広がりつつあります」
そう。
ジュリアの本名はジュリア・フェルネンド――現フェルネンド国王の一人娘であった。
現在、フェルネンド国王は病に伏せている。
なんとか王政を保てるだけの力は維持し続けてきたが、それも限界を迎えつつある。その予兆ともいうべきものが、今回のダルネス制圧作戦だ。
すでに周囲の者たちの中には、現フェルネンド王に見切りをつけて新しい王へ尽力しようという動きが活発に見られている。だがそれは、国を想ってのことではなく、自分たちの保身による行動であった。
ゆえに、一人娘であるジュリアが熱をあげるディオニスへ加担する者がここ数ヶ月の間に激増したのだ。
「くくく、エステル・グレンテスを取り逃がした時は肝を冷やしたが、おかげでより大きな獲物がかかった」
「では、エステル・グレンテスとその幼馴染の捜索は取り止めますか?」
「それは続行だ。何しろ、ヤツらには俺の顔に泥を塗ったことへの懲罰を与えなくてはいけないからなぁ……」
酷く歪んだ笑みを浮かべるディオニス。
今回のダルネス制圧作戦が成功に終われば、もはや周囲は完全にディオニスを次期国王として見始めるだろう。
フェルネンド聖騎隊によるダルネス制圧作戦開始は――五日後に迫っていた。
◇◇◇
エドガー・ホールトンは呆れていた。
原因はここ最近の聖騎隊内での会話内容だ。
皆、魔獣討伐へ向けた話などしない。
誰につき、どんな役職を狙うか。
そんな話ばかりだ。
自分は恵まれた環境で生まれ育ったから、きっとそういった役職だの派閥だのとかいうものに関心が持てない――そう思っていたのだが、じゃあここに彼らよりももっと厳しい環境下で育ったトアやエステルが同じ話をしていたかと思うと絶対に違うと断言できる。
「綺麗事だと笑われるんだろうけどよぉ……聖騎隊で一番やらなくちゃいけねぇのは魔獣をぶっ倒して民を脅威から守ることだろうが」
道を歩きながら、「ちっ!」と舌打ちをしてから小さな石を蹴飛ばす。
せっかくの休日だというのに、なんだか気分は晴れない。残念ながらネリスやクレイブと一緒に休めなかったので、気晴らしに外へ出てみたが、どうにも最近はひとりだとこういう暗い考えに浸りやすい。
何かスカッとすることはないかとさらに王都を歩き回る――と、不意に誰かとぶつかった。
「おっと、すま――あれ?」
確かに誰かとぶつかった感覚はあったが、すでに人影はない。
気のせいかと歩きだそうとした時、自分の胸ポケットに一枚の紙切れが押し込まれていることに気づく。先ほどぶつかってきた者の仕業らしい。
「随分とまた奥ゆかしいラブレターの渡し方だこと」
いつもの軽口を言いつつ、紙の中身をチェックしてみる。
【空が夕暮れに染まる頃、第五武器庫へ来るように】
「第五武器庫?」
フェルネンド王国聖騎隊が所有する武器庫は全部で四つ。第五武器庫など存在しないはずだからただのイタズラか――と、紙を投げ捨てようとしたまさにその直前だった。
「第五……っ! あそこか!」
手紙が示す場所に見当のついたエドガーはそこへ向かって走りだした。
「はあ、はあ、はあ……」
いつもバッチリ決めている髪型を乱し、吐く息も荒々しくなっているエドガー。
それがオレンジ色に染まり始める頃。
たどり着いたそこは王都から少し離れた場所にある小川。
そのほとりには小さな小屋があった。
ここはまだ養成所にいた頃――まだ、トアやエステルと一緒にいた頃に、ふざけてつけた自分たちのいわば秘密基地。そこを第五武器庫と呼んでいたことを思い出したのだ。
「しっかし、こんな回りくどい呼び出し方をするのは……誰だ?」
クレイブかネリスか。
それともトアかエステルなのか。
エドガーは小屋のドアを開ける。
すると、そこにいたのは――クレイブとネリスだった。
しかし、ふたりの反応はまったく予想外のものであった。
「一体なんなのよ、わざわざこんな場所まで呼び出して」
「ここでなければ話せないことなのか?」
クレイブとネリスはエドガーが呼び出したと思っているらしいが、当のエドガーも呼び出された側だ。
「いや、俺も呼び出されたんだよ。てっきり、ふたりのどちらか――あ、もしかしてトアかエステルじゃねぇか?」
「いや、君たちを呼んだのは私だ」
突如聞こえてきた四人目の声。
エドガーたちは慌てて小屋を見回すが、次の瞬間、入口に人影が立っていることに気づく。
「あんたが俺たちを呼んだのかよ!」
勢いよく扉を開けたエドガーだが、そこに立っていた人物の顔を目の当たりにした途端にその威勢はあっという間に萎んでいった。
「お、お父様!?」
ネリスが叫ぶ。
小屋の外にいたのはネリスの父であり、大臣のフロイド・ハーミッダであった。さらにその後ろからとんでもない人物が顔を出す。
「驚いているところ悪いが、もうちっと奥へ入ってくれんかな? 俺がここへ来たのはなるべく悟られたくないんでね」
「! あ、あなたは――ファグナス様!?」
一国の大臣と他国の大貴族。
あまりにも現実離れしたふたりの登場に、三人は何が起きているのかサッパリ理解できないでいる。だが、この場をさらに混乱させる人物がもうひとり現れる。
「君たちの混乱はもっともだ。しかし、どうか落ち着いて聞いてもらいたい」
「! お、親父!?」
ファグナスの後ろから姿を見せた小太りの中年男性――その正体はエドガーの父である大商人のスティーブ・ホールトンであった。
とりあえず、狭い小屋に大御所三人が集った背景には、これが非公式の集まりであることが絡んでいた。
実は遠縁だったファグナス家とハーミッダ家、そして両家の当主と交流のあるホールトン商会が手を組み、今回の密会が行われる運びとなった。
その内容は――
「君たちは……このまま戦争に参加する気か?」
「「「!」」」
ネリスの父であるハーミッダ大臣の言葉に、三人は困惑の表情を浮かべる。それは今日までずっと悩み続けてきたものだった。
「親の立場など考えず、本音を聞きたい。――それによっては、君たちに新しい働き場所を提案するつもりだ」
そう言ったのはファグナスだった。ファグナスはさらに続ける。
「うちの領地に新しく鉱山が見つかり、そこに町を作る計画があるのだが……ハイランクモンスターのうろつく屍の森の近くということもあって、自警団を設置しようと思っている。今そこで働いてくれる勇気ある戦士を募集しているんだが……どうだろうか?」
屍の森の名が出た瞬間、三人は顔を見合わせた。
当然、その意味を理解しているファグナスは、三人からの視線を一斉浴びた際にウィンクをして彼らがこれからしてくるだろう疑問に答えた。
「トア……エステル……」
友人ふたりの名を口にし、それから本音を吐露したのはネリスだった。
「私が聖騎隊に入ったのは魔獣に苦しむ人たちをひとりでも多く救うためです。断じて戦争をするために入ったわけではありません」
堂々と言いきるネリス。
それに触発されたのはエドガーだった。
「俺も同じだ。魔獣を一匹でも多くぶっ倒すために聖騎隊へ入った。戦争なんて御免だぜ」
ふたりの言葉を受けたハーミッダ大臣が問う。
「ならば……どうする?」
「自警団のお話しをお受けしたいと思います」
「俺もだ」
「ハッハーッ! よく言ったぞ、息子よ!」
息子エドガーの肩をバシバシ叩きながらその決断を称える父スティーブ。
そして――最後のひとり。
「君はどうする――クレイブ・ストナー」
「…………」
ファグナスから問われても、クレイブは沈黙。
この場に唯一来ていない父親。
しかし、それは立場上仕方のないことかもしれない。戦神の異名を持ち、古くからフェルネンドを支えてきた名家。その人間が、フェルネンドを捨てて別の場所へ働きに出るというのは相当な覚悟が必要だろう。
もしかしたら断るかもしれないとも想定していたハーミッダ大臣だが、クレイブの出した答えは――その「もしかして」を否定するものだった。
「俺も戦争には反対だ。防衛ということならまだ理解もできるが、今回の戦争は相手側に何も非がない、ただの侵略……そこに正義はない。ストナー家の教えは基本的に厳しいものだが同時に義を重んじる心得もあった。今の父は、その崇高な教えを完全に見失っている」
クレイブはファグナスへと向き直り、深々と頭を下げた。
「自警団の話……お受けします」
「よし! そうと決まったらとっととここを出るぞ」
パン、と手を叩いてササッと指示を出すスティーブ。商人だけあって、その手際の素早さはさすがの一言だ。
「今の時間は南門が手薄だ。ろくに荷物チェックされず外へ出られる。おまえたちは馬車の荷台に身を潜めておけ」
「ならばここで一旦別行動だな。私は一応、視察をしに来たという名目なので正規の手続きをしに東門へと向かう」
ファグナスは近くに待機させていた執事たちを連れて東門へ向かう。
「じゃあ、ほんのしばらくの別れだが……気をつけてな」
「お父様!? お父様は残られるんですか!?」
「私にはやらなければならないことがまだある。戦争の中止と、おまえたちのように戦争参加への意思がない者たちへ次の職場を紹介する役目が、な」
ネリスの父であるハーミッダ大臣は残ることを選択したようだ。
もちろん、戦争に加担するわけではなく、ギリギリまで中止交渉をするつもりらしい。しかし、交渉と兵を外へ逃がしている今の行為が国側へ漏れれば、間違いなく罪に問われる。まさに綱渡りの覚悟だ。
「必ずおまえたちに合流する。だから、おまえは自分のことだけを考えるんだ」
「お父様……必ずですよ?」
「ああ、約束する。もし、私の力が及ばず、ダルネスへの攻撃が始まったら、その時は辞表を叩きつけて鉱山街へ向い、そこでのんびり宿屋でもやって余生を過ごすよ」
娘を安心させるため、笑顔で馬車を見送るハーミッダ大臣。
ネリスは父の言葉を信じ、エドガーたちと共にフェルネンドを脱出した。
「さて……ここからは茨の道だぞ?」
ハーミッダ大臣は近くに控えていた側近たちへ声をかける。
「あなたの理想に惚れてここまで来ました。今さらなんの後悔もありません」
「自分もです」
「さあ、行きましょう」
「うむ……」
側近たちを両脇に従えたハーミッダ大臣は、暴走するディオニスを止めるため、フェルネンド城へと進路を取る。
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