第54話 要塞村女子会
まだ薄暗い朝の森。
赤髪の少女――エステル・グレンテスは震えていた。
肌を刺す冷気のせいではない。
目の前に立つ、師が放つオーラが原因だ。
「さて……今朝はどのような魔法を見せてくれるのかぅ」
八人の英雄――八極のひとり。
《枯れ泉の魔女》ローザ・バンテンシュタインはトレードマークでもあるとんがり帽子を深くかぶり、両手を広げて「さあ来い」とエステルにアピールをする。
「いきます!」
それに応えるように、エステルは詠唱を始める。
ザザザ、と音を立てて木々が鳴きだした。
「ほう、風魔法か」
ローザはエステルの戦法を見抜くと、ゆっくりと右手を前に掲げる。
あれだ。
以前もローザはあの掲げた右手だけで自分の魔法をいとも容易く打ち消した。
今度はそうはいかない。
絶対に負かしてみせる。
荒れ狂う暴風の中心に立ち、並々ならぬ意志を大きな瞳に宿したエステルは――己の持てるすべてを懸けた魔法を放つ。
肉眼では捉えられない目に見えぬ風の刃。
威力、スピード、共に申し分なし。
間違いなく、今の自分にとって最高の魔法だ。
「凄まじいな。このふたつの刃は……じゃが、まだまだ青い」
ローザには見えないはずの刃が見えていた。
差し出した右手をグッと握り込む。
すると、「パン」、と何かが破裂したような音がして暴風が止んだ。
いつもの通り打ち消した――かに見えた。
「!?」
突如舞い起こる第二の暴風。
「四つ!? それも時間差で仕掛けてきたか!?」
つまり最初のふたつは囮。
本命はこの四つの刃。
「やるようになったな! エステル!」
ローザは咄嗟に両手を顔の前でクロスさせ、詠唱を始める。すると、ローザの小さな体が透明な半球体に包まれた。
エステルの放った四つの風の刃はその半球体とぶつかり、消滅。
「このワシをここまで追い込むとはのぅ……」
結果としてはローザの防御魔法の勝ちなのだが、これまでのような余裕の勝利ではなく、なんとか踏みとどまった辛勝といった感じだった。
「ふあ~……今日も勝てなかった。イケると思ったんだけど」
ペタリとしゃがみ込み、落ち込むエステル。
「かっかっかっ! そう簡単に八極の壁を越えられてはたまらん。他の七人に何をやっているのだと怒られてしまうからのぅ」
「はあ……それはそうかもしれませんけど――あれ?」
「ん? どうかしたか?」
「ローザさん……今日はイヤリングをしているんですね」
さっきまでは魔法に集中していたので気づかなかったが、今のローザは右耳に緑色の小さなイヤリングをつけていた。
「ああ……まあ、なんとなくそんな気分だっただけじゃ」
特に意味があるものではないと言って、「先に戻っておるぞ」と歩きだしたローザ。
その背中を、エステルはなんだか腑に落ちないといった表情で見つめていた。
◇◇◇
早朝の魔法稽古後。
エステルの日課であるそれの締めくくりは、共同浴場で汗を流すことである。
この日も朝の激しい稽古を終えて、その汗を流すべくやってきたわけだが、珍しく先客がいた。
「あ、エステル」
「わっふぅ! おはよう、エステルちゃん!」
エルフ族のクラーラと銀狼族のマフレナであった。
「クラーラにマフレナ? どうしたの、こんな朝早く」
「あなたと一緒よ。私たちも稽古していたの」
「クラーラちゃんは剣術の、そして私は金狼としての力を長時間発揮させておけるための特訓をしていたんです!」
「へぇ~……それはそれでなんだか凄いことになってそうだね」
大剣豪VS金狼――本気でぶつかり合えば、無人島が三つくらい消失しかねない組み合わせだ。もちろん、このふたりに限ってそんな荒いマネはしないのだろうが。
そんな話をしていると、さらに入浴客が。
「なんだか賑やかですね」
「ジャネット? 珍しいわね」
「おはようございます、ジャネット」
「おはよう、ジャネットちゃん!」
新たな朝風呂参加者はジャネットだった。
入浴ということもあってか、今日はいつものメガネをしていない。
「あなたが朝風呂って、初めてじゃない?」
「そうでもないですよ。夜通し作業していた時とか朝早くにお風呂へ入ってその後で寝ていますね」
ドワーフ族として村人たちからの依頼をこなしているジャネットは、実は要塞村の中でもトップクラスの仕事量をこなしていた。だが、当人はそれにやりがいを感じているためあまり気にしていない様子だ。
「たまに昼間ずっと部屋から出てこない理由はそれだったんだね」
「わふっ! 本の執筆中かと思っていました!」
「そっちの方はスランプ気味なんですよねぇ。以前、どこかの村に間違って置いていった私の最高傑作……あれが手元にあれば書きだす参考になるのに……」
「あはは」と乾いた笑いを放つジャネットへのフォローに、三人は困り果てていた。
「あ、そ、そういえばさ」
話題逸らしということと、ちょうど女子四人が集まったということで、エステルは今朝のことを話し始めた。
それはローザとの修行――の、あとに分かった例のイヤリングについて。
「イヤリング? 本人が言うように気分で付けたんじゃないの?」
「いや、もしかしたら殿方からの贈り物かもしれませんよ!」
「わふ? イヤリングってなんですか?」
三人それぞれが異なった反応。
中でもエステルが関心を引かれたのがジャネットの「男性からの贈り物説」だった。
「やっぱりそうだよねぇ……なんとなく、照れくさそうな感じだったし」
「恋人? だってまだ子どもよ?」
「クラーラさん、子どもなのは魔法でそう見せているだけでは?」
「そういえば、ローザさんって本来は大人の女性なんですよね? 本来はどんな感じなんでしょうか」
「あれでいて素の姿はなかなかセクシーな女だよ。まったく、いつまであんなチンチクリンな姿でいるつもりなのか」
「……うん?」
四人は一斉にその場から飛び退いた。
「なんだなんだ。私だけのけ者扱いか? 寂しくて泣くぞ?」
自然な流れで会話に入り込んでいたのは黒蛇のシャウナであった。
「しゃ、シャウナさん……いつの間に?」
「実は私が一番目の客なのだ」
「えっ!? ぜ、全然気づかなかった……」
「はっはっはっ! まだまだ修行が足りないな、クラーラ。今度は私と手合わせをしてみるかい?」
笑い飛ばすシャウナ。
だが、考えによってはエステルの疑問を解決できる唯一の人物かもしれない。
「あ、あの! シャウナさんはローザさんがしている緑色のイヤリングがどんなものだか知っていますか?」
「緑色のイヤリング? ……ああ、あれは恋人からのプレゼントだ」
「「「「こ、恋人!?」」」」
途端に「キャーキャー」と騒ぎだす女子四人。
「彼女も魔女である前にひとりの女性だ。恋人がいたって不思議ではないだろう」
「で、でも、あまりそういう話は聞かなかったので……」
普段の幼い子どもの見た目からはどうしても想像できない。
「まあ、彼女は他人の色恋沙汰には絡みたがるくぜに自分のことは黙して語らずというタイプだからなぁ……本人にバレると私が怒られるので、このことはこの場にいる私たちだけの秘密ということにしておいてくれ」
シャウナからの言葉を受けた四人は顔を見合わせて頷き合う。
恐らくだが、その相手が普通の人間であるならばもうこの世にいないだろう。
つまり、ローザにとっては大切であると同時に辛い思い出の品ということになる。
その後、四人が風呂からあがっていくのを見届けると、シャウナは大きく伸びをして天井を仰いだ。
「そうか、あの時に買ってもらっていたイヤリング……まだ大事に取っていたのか。それを迂闊にも身に付けるとはね……さては近くに私がいたことを忘れているな。あとで死ぬほどいじってやろう」
シャウナにはそのイヤリングがローザにとってどのような意味を持つのか。エステルたちには語れなかった裏事情――シャウナはそれを思い出して目を閉じる。
「もう気にしていないと言っておきながら……あの男と結ばれたその日に贈られたプレゼントを同じ日にしっかり身に付けているとは、なかなか乙女な部分もあるじゃないか」
バシャッとお湯で顔を洗い、湯を出るため立ち上がる。
「枯れ泉の魔女をここまで惚れさせたあの男は、一体今頃どこをほっつき歩いているのだろうな。――私たち七人を集めた、八極最強のあの男は……」
そう呟いて、シャウナは風呂場を出ていった。
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