第56話 トア、風邪をひく
クレイブたちがトアたちの住む屍の森方面へ向けて出発をした翌日。
この日、トアはフォルと共に新しい鉱山の町を視察する予定になっていた。
視察は町の現状を把握することと、改装によって要塞外での活動が可能になったフォルのテストも兼ねていた。さらに、町の方は家屋や商店などを作るため、ジャネットをはじめとするドワーフ組と手伝いで同行している一部の銀狼族はすでに先行して町入りをして作業をしているので、その激励もしてこようという話になっていた。
「……遅いですね」
そういったわけで、フォルはその町へ向かうためトアを待っていた。
だが、なかなかトアが姿を見せない。
いつも時間に正確なはずなのに、寝坊でもしているのだろうか。
念のため部屋を訪ねようとしたその時、ようやくトアがやってきた。
「ご、ごめんね、フォル。待たせちゃって」
「! いえ、準備に手間取られていたよう――マスター、大丈夫ですか!?」
トアの顔を見たフォルは思わず慌てて駆け寄った。
「へ? 何かあった?」
「何って……顔が赤いようですが」
「え? そう?」
トアの顔は紅潮しており、目もトロンとしている。誰がどう見ても普通ではない状態であった。
「マスター……風邪を引いたのでは?」
「風邪? はは、まさか」
フォルはトアの変化が風邪の症状から来るものであると推察したが、当のトアはそれを笑って否定する。しかし、そう言いながら歩くトアの足元は大きくふらついていた。
「今日はファグナス様から頼まれている鉱山の町の視察だからね。気合を入れていかないと」
「しかし、当のファグナス様は別件で不在のようですから、体調が優れないのであれば日を改めてもよいかと。住民の移住が開始されるのはもうちょっと後のようですから」
「大丈夫だよ。町の様子を舐め回して空を飛びながら明日はきっと大雪だ」
「ただいまの支離滅裂な発言の中に大丈夫な要素が何ひとつ見つかりません。ただちに休息をとってください」
体調不良は思考にまで大きな悪影響が出ていた。
◇◇◇
「風邪じゃな」
フォルによって強制的に自室へと戻らされたトアは、ローザからそう診断された。
「とはいえ、ワシも専門職というわけではないからあまり確かなことは言えんがのぅ。薬についてはさっき大地の精霊たちへ依頼しておいた。昼頃にはできるだろうとのことじゃ」
「ありがとうございま――ごほっ! がほっ!」
咳き込むトア。
徐々に声のボリュームも小さくなっていき、顔色も悪くなっている。
「僕に病気に関する情報が搭載されていないことが悔やまれます」
「お主は元々戦闘用じゃしな。無理もない」
「料理のレパートリーは百種類を越えているのですが」
「むしろなぜそれが採用されたんじゃ……」
トアの部屋では主にこのふたりが看護をしているが――この状況を他の村人が放っておくわけがない。
「……フォルよ。ワシはちょっと他の村人の様子を見てくる。この場は任せるぞ」
「了解しました」
一抹の不安を覚えたローザは混乱を招くだろう数名のもとを訪れるべく、トアの部屋をあとにした。
――結論から言うと、ローザの心配は的中した。
「さてお主ら……何か申し開きはあるか?」
「「「ありません……」」」
正座をしているのはエステル、クラーラ、マフレナの三人。
三人がいるのは要塞村で宴会などの料理を作る際に使用する大きめの共同キッチン。いつもは清潔に保たれているそこは、見るも無残に荒れ果てていた。
「クラーラとマフレナに関しては予想通りとはいえ……エステルも料理は苦手じゃったか」
「面目ありません」
猛省するエステル。
クラーラとマフレナもシュンとしていた。
トアが病に倒れたことを耳にした三人はすぐさま「看病しなくては!」と勇んで準備を進めていったわけだが、その結果がこのありさまである。
「看病するならそれぞれで役割分担をするのじゃな」
「「「役割分担……」」」
ローザの指示を受けた三人は「誰」が「どのように」してトアを看病するのか――迅速にして公平な方法で決めることにしたのだった。
◇◇◇
「う~ん……あれ? もう夕方か」
自室のベッドで横になっていたトアは目を覚ました。すぐに自身の体調面について確認をしてみた。
頭痛や吐き気などはないし、喉の痛みもだいぶ和らいできた。
トアは体を起こして窓の外へ視線を移す。
橙色に染まる空。
外で元気に遊んでいる王虎族か銀狼族の子どもたちがはしゃぐ声に、トアの表情は思わず綻んだ。
すると、部屋をコンコンとノックする音が。
「はい」
「あ、もう起きているのね。入っていい?」
声の主はクラーラだった。
「いいよ」
「じゃあ……お邪魔します」
トアの体調を気遣ってか、いつもに比べて随分と静かに入室。
「体の方はどう?」
「だいぶ良くなったきたよ」
「そう。食欲はある?」
「言われてみればちょっとお腹空いてるかも」
「! じゃ、じゃあ、今ご飯持ってきてあげる!」
トアが空腹であることを知ると、クラーラはパッと笑顔に変わって食事を取りに部屋を出ていった。
「クラーラ……やけに嬉しそうだったけど、また自分で作ったのかな」
以前、トアに昼食を振る舞ってくれたことがあるクラーラ。その時は焼いた骨付き肉というダイナミックなものであった。
「…………」
まさか今回も――そんな嫌な予感が脳裏を過る中、クラーラが料理を持って戻ってきた。
「風邪を引いたってことだから、体を元気にしてくれる薬草を使った料理を」
「そ、そうなんだ」
とりあえず希望が芽生えた。
「はい! 薬草の効果を染み込ませた特製骨付き肉よ!」
が、すぐにその芽は摘み取られた。
「えっと……あ、ありがとう」
料理の中身はともかく、クラーラが自分のために作ってくれた料理。これを無下に扱うわけにはいかない。お腹は空いているわけだし――と、覚悟を決めて一口食べてみる。
「! おおっ!? 食べやすい!」
「リディスたちからもらった果実も使って食べやすいようにしてみたんだけど……どうやら成功だったみたいね」
「うん! ありがとう、クラーラ! おかげで元気が出たよ!」
「い、いいのよ、別に。村長であるトアには元気でいてもらわないと。――あ、そろそろ交代の時間になるわね」
「へ? 交代?」
一体何を後退するのか――聞く間もなく、クラーラは「次はマフレナだから」といって部屋の外へ出て行ってしまった。
それから数分後。
「トア様、失礼します」
クラーラの予告通り、次にトアの部屋を訪ねてきたのはマフレナであった。さすがにいつものようなハイテンションではなく、静かに入ってくる。
「わふっ。汗をかいたでしょうから、御身体をお拭きします」
「確かにベタベタしているけど……服を脱ぐのはなぁ……まだちょっと寒いし」
それは本音と建て前が入り混じった理由だった。
寒気がするというのは本当だが、それよりもさすがに、女の子であるマフレナの前で上半身裸になるのは抵抗があった。
「大丈夫ですよ、トア様――この尻尾を使ってください」
しかし、トアが断るだろうということは事前に把握していたマフレナは最終兵器ともいうべき自身の尻尾を差し出す。この要塞村で最強のモフモフを。
「ぐっ!?」
初対面の際、トアはこのモフモフに完全敗北を喫している。
その忘れがたい温もりが今また、トアの精神を支配しようとしていた。
「おぉ……」
「さあ、私の尻尾に身を委ねてください。存分にモフモフしてください。そうしている間に全部終わっちゃいますから」
「あ、ああ……」
導かれるまま、トアはマフレナの尻尾へダイブ。
「気持ちいですか、私の尻尾?」
「うああ~……」
マフレナの問いかけにまともな返答ができないほど、トアはモフモフに魅了されていた。
モフモフモフモフモフモフモフモフ――
あまりの気持ちよさに、トアの意識は段々と薄れていく。さっき起きたばかりだというのにまたも強力な眠気が襲ってきた。マフレナの尻尾にその身を預けてまぶたを閉じる――次に目を覚ますと、すでにモフモフはなかった。
「あっ、ようやく起きた?」
その代り、目の前にはエステルの顔があった。
「! え、エステル!?」
「静かにしてなくちゃダメよ? 病み上がりなんだから」
「しー」と人さし指を口元に当てて注意をするエステル。その時、トアは初めて自分がどのような状況であるかを理解した。
今――自分はエステルに膝枕をされている。
「トアはいつも頑張りすぎちゃうところがあるから気をつけてよ? 今日みたいに倒れられたら心配で仕事が手につかないんだから」
「ぜ、善処します」
「ふふ、じゃあ許してあげる」
ニコッと微笑むエステル。
こうしていると、なんだかシトナ村にいた頃を思い出す。
それはエステルも同じだった。
「覚えている、トア? 私が高熱を出した時、トアは森に入ってたくさん薬草を採ってきてくれたよね」
「ああ……あの時は焦ったよ。何日も熱が下がらないっておばさん取り乱していたし」
「なんでもないただの風邪なんだけどね。お母さん、心配性なところがあるから」
「物知りな木こりのスペックさんに必要な薬草の種類を教えてもらいに行ったなぁ。父さんが知りたがっているって嘘を吐いてさ」
「それで勝手に森へ入って行っちゃって行方不明扱いだもんね。村が私の風邪以上に大騒ぎになったのを今でも覚えているわ」
「そうそう。後で父さんに死ぬほど怒られたけど、完治したエステルが庇ってくれたんだよね?」
「私のために頑張ってくれたのに怒られているのが可哀想になっちゃって」
ふたりは昔話に花を咲かせる。
あの日――魔獣が村を襲わなかったら、今もあの頃のような生活をしているだろう。
クラーラやマフレナたちに出会わず、トアは木こり見習いとして森へ入り、エステルは家事をしてその帰りを待つ。大魔導士にも要塞職人にもならず、両親も村人も健在のまま、普通の人間として暮らす未来もあったはずだ。
――だが、今こうして他の種族の仲間たちと暮らしている未来も捨てたモノじゃない。とても楽しい日々だと心から思える。
だから、この要塞村で生き続ける。
これからもずっと。
仲間たちと一緒に。
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