第45話 八極の実力

 この日の要塞村もいつもと変わらない朝を迎えていた。

 銀狼族の遠吠えによって目を覚ましたトアは軽く伸びをして窓を開ける。わずかな冷気を孕む秋の風が吹き込み、一掴みほど残った眠気を消し去った。

 

「ちょっと冷えてきたかな」


 そろそろ薄着は厳しいかもしれない。

 銀狼族と王虎族の奥様方に依頼して新しい服を調達する必要があるだろう。


 神樹周辺の地底湖から直接水を引っ張ってくれる井戸で顔を洗い、狩りや漁へ出かける準備をする村人たちと挨拶を交わしていく。

 その一方で、トアの視線はチラチラとエステルの部屋へと向けられていた。

 

「エステル様ならいませんよ」

「どわあっ!?」


 突如背後から声をかけられ、トアは飛び上がって驚いた。


「ふぉ、フォルか……ビックリさせないでくれよ」

「申し訳ありません。あまりにも隙だらけの背中だったので、つい声をかけたくなってしまった次第です」

「微妙に反省していないな!」


 こうしたフォルへのツッコミも、いつもの朝の風景といえる。


「それで、その……エステルはどこへ?」

「そこまでは分かりかねますが、恐らくローザ様と行動を共にしていると思われます」

「ローザさんと?」

「お互い魔法使いですからね。魔法談義に花を咲かせているのではないでしょうか」

「ああ……そういえばそんなこと言っていたな」


 魔法談義とやらは定期的に行われているようだが、ここ最近はその会場が変化しているようだった。


「一体、どこに行っているんだろう」

「ふたりきりで、何か人に言えないことでもしているのでしょうかね」

「…………」

「おっと、今のは失言でしたね」


 わざとらしく言うフォル。

 あのふたりに限ってそのようなことはないと思うが――そう考えれば考えるほど、なんだか不安になってきた。


「ちょっとその辺を見てくるよ」

「僕も行きましょう」

「いや、俺ひとりで十分だ」

「了解しました。お気をつけて」


 フォルに見送られたトアはローザとエステルを探すため森へと入っていった。




「あれ? さっきここにトアがいなかった?」

「わふぅ? トア様の匂いはまだ残っているのですが」


 入れ違う形でフォルのもとを訪れたのはクラーラとマフレナだった。


「マスターなら森へ行かれましたよ?」

「あれ? 今日は狩りじゃなくて地下迷宮に行くって言っていたような」

「わふっ! テレンスさんに頼まれて二階層の一部を改修するはずです」

「何も一日森の中へ行っているわけではありません。エステル様を求めて居ても立ってもいられず単独で森へと入っていきました」

「「!」」


 エステルの名前が出た途端、クラーラとマフレナの顔つきが変わる。


「……ああー、なんだか急に森林浴がしたく――」

「トア様とエステルちゃんのことが気になるのでちょっと森に行ってきます!!」


 クラーラがいつもの手で誤魔化しながら捜索へ行こうとする一方で、素直なマフレナは自分の想いをそのまま告げて森へと走っていった。


「…………」

「クラーラ様」

「な、何よ」

「あなたに必要なのはアレですよ、アレ」

「っ!? う、うっさいなぁ! 私も森へ行くわ!」


 顔を真っ赤にしながら、クラーラはマフレナを追って森の中へと入っていく。


「……今くらいのイジリなら兜を吹っ飛ばされなくて済むようですね。記憶しておきましょうか」


 フォルはそう呟き、今日の職場である地下迷宮へと向かってゆっくりと歩き始めた。



  ◇◇◇



 要塞村から少し離れた森の中。

そこを進むトアは気配を感じて足を止める。

 茂みに身を隠しながら、少しずつ近づく――が、ローザ相手ならば以前同じようなことをした際、すぐに見つかってしまったことを思い出した。隠れたところで無駄な足掻きだと悟ったトアは堂々とした態度で気配のする方向へ進路をとった。

 しばらくすると、声が聞こえてきた。


「深緑の大地よ、その姿を剣と変えて我が敵を討て」


 エステルの詠唱だ。

 さらに奥へと入り込むと、杖を構えたエステルの姿が視界に飛び込んできた。その両脇には彼女を守るように巨大な植物の蔓が踊るようにうねっている。

 その視線の先にはローザが立っていた。

 どうやら模擬戦をするらしい。


「はあっ!」


 エステルのかけ声で、巨大植物はローザへと迫る。

 だが、ローザは特に慌てる様子もない。ゆったりと手をかざしてそれを横へ振る――たったそれだけの動作で、迫ってきていた巨大植物はバラバラになった。


「!?」


 自分の魔法をいとも容易く防がれたエステルの顔には動揺の色が窺える。これまで、同期はおろか同じ大魔導士のジョブを持つ先輩兵士でさえ、エステルの魔法を食い止められるものはいなかった。

 だから、心の中では「やれるかもしれない」程度の自信はあったのだ。

 ――それがどうだ。

 目の前にいる、少女のような姿をしている齢三百以上の女性にはまったく歯が立たないという状況だ。


 これが《八極》の――世界最高の魔法使いといわれる枯れ泉の魔女の実力。


「遠慮はいらん。全力で来るがいい」

「はい!」


 歴然とした力の差に呆然としていたのはほんの数秒。すぐさまエステルは気持ちを切り替えて前を向く。


「ほお、気持ちは死んでおらんようじゃな」


 トアから聞いた話では、フェルネンド国内で次期英雄として周囲からの期待を一身に背負っていたという。そんなエリート中のエリートであるエステルが初めて迎えた「自分の敵わない相手」――人によっては、そこで大きく挫けてしまい、二度と立ち上がれないくらいの精神的ダメージを負うこともある。


 しかし、ローザは確信していた。

 エステルはそのような軟弱な心を持ってはいない。役立たずのジョブと勘違いをしていた時でも、鍛錬を怠らなかったトアのように、きっとこのエステルも、苦境に立った時にそれを乗り越えて行こうとする強い精神力がある、と。


 現に、エステルは今も闘志むき出しの瞳でローザを見据える。


「その意気やよし。いいじゃろう……存分に相手をしてやる」


 全身に纏う魔力の質が変化した。

 取り囲む木々がざわめき、大気が震えているのを感じる。


「あ、あれがローザさん?」

「わ、わふぅ……同じ人のはずなのに……まるで別人みたいです」


 いつの間にかトアの背後にいたクラーラとマフレナも、いつものローザからは想像できない不穏な気配を察知して震えている。

 実力のあるクラーラとマフレナでさえこうなってしまうのだから、真正面から対峙しているエステルは相当なものだろう。

 それでも、エステルは戦闘態勢を維持。

 

「いきます!」


 威勢のよい掛け声を引っ提げて、ローザへと魔法を放つ。




 ……………………

 …………………………

 ………………………………




 結果から言うと、エステルの惨敗であった。

 敗因はなんといっても十四歳と三百歳以上というキャリアの差。エステルの放つ魔法はどれも一級品であり、屍の森に生息するハイランクモンスターが相手ならば敵なしだろう。

 だが、八極のひとりであるローザの前ではまったく通用しない。

 力の差をまざまざと見せつけられた格好だ。


「…………」


 力を使い果たしたエステルはその場にへたり込んで動けなくなっていた。

 そこへ、トアたちが駆け寄ってくる。


「大丈夫か、エステル」

「え、ええ……負けちゃった」


 強がっている――そういう類の笑みではなかった。

 新たな目標が見つかって嬉しいとい笑みだ。


「まだまだ魔法使いとして未熟ね。……でも、これから頑張って修行して、いつかローザ様に認められるような凄い魔法使いになりたいな」

「エステル……」

「なんだ、大丈夫そうじゃない」

「わふー♪」


 敗北を前向きに捉えているエステルに、三人はホッとするのだった。



  ◇◇◇



 エステルとの戦いが終わった後、ローザは自室へ戻ろうとしていたが、その道中で元同僚と出くわす。


「随分と彼女を買っているんだね」


 ローザと同じく八極の一員である黒蛇のシャウナだ。


「なんじゃ、見ておったのか」

「よく言うよ。最初から私の存在には気づいていただろう?」

「まあのぅ」


 ふと、ローザは振り返り返る。遠くにはエステルを心配して囲むトアたちの姿がある。


「ふふ、いいじゃないか。互いに励まし合って高め合う。理想的な仲間の姿じゃ」

「まったくだ」


 若者たちが助け合う姿を見る長寿のふたりは穏やかな表情をしていた。

 ふたりは感じている。

 あの若者たちは――かつての自分たちと重なる、と。


「新生八極――あの四人はそう呼ぶに相応しい実力を秘めておる」

「新生八極ねぇ……まあ、私たちのような存在が再び歴史の明るみに出てこられるような事態は勘弁願いたいがね」


 帝国との戦争を経験しているふたり。

 八極であった彼女たちはその強大な力で帝国を圧倒した。だが、決して簡単な戦いではなかった。できることなら、彼らにはあのような体験をしてもらいたくはない。この要塞村で平和に暮らしていってほしい。それが、偽りのない願いであった。


「しかし、新生八極か。彼らが成長したら、私たちより強くなりそうかな?」

「かっかっかっ! まだまだ若い者には負けんわ!」


 シャウナとローザは若者の台頭を感じつつ、要塞村へと戻って行った。

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