第39話 その後のエステル
――時間は少し遡る。
エステル・グレンテスがフェルネンド王国を出てから一週間が経った。
当然、正規の手続きでの出国はすぐにバレてしまうので、やむを得ず、エステルは夜中にこっそりと抜け出し、各地を転々としていた。王都の警備も担当に入っている聖騎隊の一員だからこそできる芸当だった。
トアを探す旅を続けながら、エステルは考えていた。
ディオニスが持っていたトアの手配書――その情報は絶対に正しくないと断言できる。しかし、それを証明しなければ、今もこの世界のどこかにいるトアが捕まってしまう。この事態を本人に知らせる必要があった。
そして――叶うのなら、今度はずっとトアのそばにいたい。
自分ももう聖騎隊の一員ではない。
ひとりの少女エステル・グレンテスとして、トアと一緒に生きたい。
そう思っていた。
しかし、エステルの旅は困難を極めた。
何しろ、探しださなくてはいけないトアに関する情報は皆無。手当たり次第に聞いて回るしかなかった。
その旅路の途中、トアにも負けず劣らずのお人好しであるエステルは、ゴブリンとオークの群れや奴隷商の雇った傭兵団に襲われている村を救うなど大活躍――そのため、なかなか先へと進めなかった。
そうこうしているうちに一ヶ月という月日が経った。
この日も、小さな農村を困らせる巨大なムカデ型モンスターを倒してほしいと村長に泣きつかれたため、住処である森へと潜入することに。
敵はすぐに見つかり、得意の魔法であっという間に倒した――が、モンスターの吐いた毒液が右腕に付着してしまう。
「あうっ!?」
焼けるような痛みと強烈な目眩に吐き気。
消え入りそうな意識をなんとか奮い立たせて回復魔法を使おうとするが、痺れが全身に広まっていき、愛用の杖を落としてしまう。
「ああ……」
全身から力が抜けていく。
回復魔法を使おうにも声が出ないため詠唱ができない。
まるで雪のように解けて土と同化してしまうような感覚――これが死ぬことなのかとエステルは覚悟を決めた。
その時、ぼやけた視界の片隅に何か動く物を捉える。それは徐々に近づき、やがてエステルの目の前までやってくる。
「これはひどい……すぐに助けてやるぞ」
その声からしてどうやら女性のようだ。
女性はエステルの体を起こし、何やら液体を飲ませた。全身に力が入らず、抵抗しようにもできないでいた。
しかし、その液体を口にしてから数分後――乱れていた呼吸が整い、全身を溶かす勢いで流れていた汗が止まった。割れそうな頭痛も消え、意識もハッキリとしてくる。
思考がまともに働くようになってからお礼を言おうと女性へと顔を向ける。
年齢は二十半ばか後半ほど。黒髪のショートカットが似合う女性であった。
「さて、大丈夫かい、美しいお嬢さん」
「は、はい……」
エステルの手を取って起こす女性。
「薬草作りに使う草花を採りに来たらモンスターと戦っている美少女がいるから驚いたよ。それから……うん。毒以外の怪我はないようだね」
「あ、ありがとうございました」
深々と頭を下げたエステル。女性は「無事で何よりだ」と爽やかな笑顔を見せた。
「それにしても、こんな凶暴なモンスターのいる森にひとりとは……」
「あ、その……」
その時、エステルのお腹が「くぅ~」と可愛らしく鳴く。真っ赤になりながら慌ててお腹を手で押さえるが、その音はバッチリ女性の耳にも届いていた。
「はっはっはっ! お腹が空いていたのか!」
「す、すいません……」
赤面して俯くエステル。
女性は笑い終えると、そんなエステルにある提案を持ちかけた。
「よかったら私の部屋へ来るかい?」
「え? 部屋って……」
「この森の近くにある村の宿屋さ。――ああ、大丈夫! 何もやましい気持ちはないよ! 私は善良な一般人として美少女を放っておけないタチなんだ!」
わざとらしくニコニコ笑っているが、それはエステルを元気づけるため。エステル自身もそれが分かっているから、思わず「ぷっ」と噴き出してしまう。
「うんうん。やっぱり美少女は笑顔が一番だ! ――っと、そういえばまだ自己紹介をしていなかったね」
「あ、わ、私はエステル・グレンテスと言います」
「エステルか。いい名前だね。私の名前はシャウナだ。よろしく」
「シャウナさんですね。……しゃ、シャウナさん!?」
シャウナの名前を耳にした途端、エステルの表情が一変する。その反応を見て、シャウナもエステルが自分の素性を知っていたのか、と驚いた様子。
「珍しいね。君くらい若い子なら、もうこの名前を出してもピンと来ないと思っていたから偽名を使う必要はないと思ったのだけど」
「し、知っていますよ! 当然です! だ、だって、あなたは! あなたは――」
エステルの動揺は無理もなかった。なぜなら、目の前にいるシャウナという女性は――この世界を救った八人の英雄のうちのひとりだから。
「あなたは《八人の英雄》と呼ばれた《八極》のひとり――《黒蛇のシャウナ》様なんですから!」
◇◇◇
「それでは、私たちの出会いに乾杯しようじゃないか!」
「は、はい!」
チン、と音を立ててふたつのグラスがぶつかる。
ここはシャウナが借りている村の宿屋。エステルはシャウナからの誘いを受けてこの部屋へとやって来ていた。
シャウナはグラスに注がれた果実酒を堪能し、エステルはまだアルコール飲料の摂取が許される年齢ではないということでジュースを飲んでいた。
「あ、あの、それで、シャウナ様」
「シャウナ様なんて高尚な呼び方は好まないな。シャウナでいいよ」
「で、伝説の《黒蛇族》であり、歴代でも最強クラスの獣人族とうたわれるシャウナ様をそのような――」
「いいからいいから。伝説とかそういうのはガラではないし、好きでもないんだ。ただちょっと他の獣人族より強くて、気に入らない旧帝国の人間を狩っていたらそう呼ばれるようになっただけだからね」
「そ、そうなんですか?」
なんだか、王国戦史の授業で習った内容とだいぶ異なる人物像だった。
「それよりも君の話が聞きたいな。なぜ一人旅をしているのか……とか?」
「! そ、それは……」
エステルは困惑したが、シャウナからの「辛い体験ほど、誰かに愚痴った方がスッキリできるぞ」という言葉を受けて、ここまでに至る経緯をすべて話した。シャウナは時折質問を織り交ぜながら真剣な表情でエステルの話に耳を傾けていた。
すべてを語り尽くすと、シャウナは大きく息を吐いて語り始める。
「なるほど……その幼馴染を探して旅をしていたのか」
シャウナは頷きながら目を閉じ、それから何も言わなくなった。
その間、エステルは自分のこれからを見つめ直す。
思えば、王国を出てからのエスエルはトアのことばかりを考えていた。
エステルの中に「フェルネンドへ戻る」という選択肢はない。
トアの手配書が出回ったところが決定打――今のエステルは聖騎隊という組織そのものへ不信感があったのだ。
「君にとって、その子はとても大きな存在だったようだね」
「……はい」
「今もその気持ちは変わらない?」
「はい」
「もう彼なしでは生きていけない?」
「はい。――あっ!」
エステルはアワアワと発言を訂正しようとするが、考えてみるとあながち間違いではないので訂正せず、それでも恥ずかしいから顔を真っ赤にして俯き、それから何も話せなくなってしまった。
からかい過ぎたか、と反省したシャウナの方から声をかける。
「しかし、だからといって聖騎隊へ戻る……わけにもいかなそうだね」
「……はい」
「だったら、私と一緒に来るかい?」
「え? 一緒にって……モンスターと戦うんですか?」
「残念ながらそれは違うな。今の私はもう八極ではない。ただの考古学者さ」
「考古学者……」
「そう! 歴史の神秘を紐解き、この世界に溢れる謎を探求する! それこそが、私の追い求める生きる道なのだ!」
暑苦しく語るシャウナであったが、エステルにはそんなシャウナが羨ましく思えた。
「私の生きる道……」
これまで、両親や故郷の人たちの仇を討つために聖騎隊で頑張ってきた。しかし、今こうして聖騎隊から離れ、ひとりで生きていかなければならない。そうなった時、一体何をやって生活をしていこうか。
――まるで浮かんでこない。
魔獣と戦う以外に生きる意味を見出せていない。
「……私は――」
「難しく考えることはない。――エステル、君はまだ若い」
「え?」
「君くらいの年齢だと少しの出来事で、これまで積み上げてきた物が呆気なく吹っ飛んでしまう……そんな危うい存在なんだ。まあ、つまり何が言いたいかというとね」
シャウナはコホンと咳払いをしてから話し始める。
「きちんとトア・マクレイグに会って来るんだ」
「! で、でも……肝心のトアがどこにいるのか……」
「ふふふ、実を言うとな、君の言ったトア・マクレイグというのは、私の友人である枯れ泉の魔女のお気に入りでもあるんだ。いやはや、世間とは狭いものだね」
「!? と、トアが枯れ泉の魔女様のお気に入り!? ど、どういうことですか!?」
「まあ、実際会ってみればわかる。明日にでも行こうか」
「い、行くって……」
「決まっているだろう?」
ニヤッと笑って、シャウナはイスから立ち上がる。
「トア・マクレイグのいる屍の森へさ」
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