第38話 マフレナと過ごす日

 コルナルド家との結婚が捏造であったことが発覚し、エステルへ会うために一度フェルネンドへと戻ろうとしたトアであったが、今度は自身の手配書が各地にばら撒かれているという事態となり、それが落ち着くまでは要塞村に留まることを余儀なくされた。


 本来ならばすぐにでもフェルネンドへ向けて出発していたいのだろうが、その気持ちをぐっとこらえ、トアは村に戻っていつも通りの仕事をしていた。


 そんな村長トアを見つめる少女がひとり。


「わふぅ……」


 マフレナだ。

 クラーラやフォルでさえ気づかないトアの心の変化を読み取っていた。


「トア様」

「なんだい、マフレナ」


 名前を呼ばれたトアは違和感を覚えた。ここ最近のマフレナはトアを見つけると問答無用で抱きついてくる。銀狼族の子どもたちから「わがままぼでぃ」と評されるその豊満な肉体でトアをいつもパニックにさせる。


 ――だが、今日のマフレナは随分としおらしく、なんだか顔も赤い気がする。


「マフレナ?」

「あ、えっと、その……今日の狩りは一緒に行きませんか?」

「へ?」


 これまた意外な提案だった。

 いつものマフレナだったら、「トア様! 狩りに行きましょうよ!」と問答無用で連れ回しに行き、クラーラにたしなめられるのがデフォルトだ。

 しかし今日のマフレナは雰囲気がまるで違う。


「あ、ああ、いいよ。じゃあ、クラーラも一緒に――」

 

 トアがクラーラを呼びに行こうとすると、マフレナが手をギュッと掴む。


「と、トア様……今日はふたりで狩りをしませんか?」

「ふたりで?」


 ドキッと心臓が跳ね上がる気がした。

 潤んだ瞳と朱色に染まる頬。

 

「ま、マフレナ? なんだか今日は変じゃない?」

「わふぅ? そんなことはないですよ?」

 

 なんだか様子がおかしい気がするのだが、マフレナ本人は大丈夫だと言う。

 思えば、マフレナとふたりだけで何かをするというのは久しぶりだ。神樹の周りにできた地底湖から水を引っ張り上げる井戸造りをして以来かもしれない。


「じゃあ、行こうか」

「わふ♪」

 

 トアが先行して歩きだすと、ててて、とマフレナは小走りですぐ横につける。

 ジャネットが作ってくれた剣を装備し、深い屍の森の中を歩いていく。屍なんて物騒な名前がついてこそいるが、それを除けば穏やかで心癒される空間だ。


「……て、そうだ。ここはハイランクモンスターがうろついているんだった」


 あまりにも心が癒されてしまったので失念していたが、ここは戦場に等しい。気を抜いた途端、どこから何に襲われるか分かったものではない。

 

 いくら神樹の加護を得て強くなったとはいっても、まだまだ修行中の身。油断をすればモンスターのエサになる可能性もある。


「やっぱ……ふたりで来るのは無謀だったかな」


 トアが少し後悔をし始めた時だった。

 ガサガサ。

 目の前の茂みが強く揺れ、その直後、モンスターが飛び出してきた――が、それはモンスターではなく巨大な金牛だった。


「一発目からお目当ての獲物がやって来てくれ――」


 トアが言い終える前に、横から金牛に飛びかかる影が。その正体はマフレナであった。


「…………」


 いつもの「わふ~♪」は鳴りを潜め、的確に金牛の首元へ強烈な蹴りを浴びせる。本来なら何度も攻撃を加えてようやく大人しくなる金牛だが、今回はたった一撃で金牛を仕留めてしまった。


「す、凄い……」


 横たわる金牛の脇で仁王立ちのマフレナ。その背中から伝わるオーラを目の当たりにしたトアの背筋がゾゾッと震える。


「……本当にマフレナなのか?」


 自分の目を疑う。

 いつも天真爛漫で、同じ銀狼族の子どもたちから「お姉様」と呼ばれているマフレナ――しかし、振り返った彼女の顔に普段の明るさは微塵も感じられない。


「グルルゥ……」

「マフ……レナ?」


 獰猛な獣と化したマフレナ。

 理性がなくなっているのか、もはや言葉すら発しなくなっている。

 愛らしい犬耳や自慢のモフモフ尻尾は激しく逆立ち、爛々と輝く赤い瞳がギロリとトアを睨みつけた。


「! ま、マフレナ! 俺だ! トアだよ!」


 必死に訴えかけるが、反応はない。

 ジリジリと近づいてくるマフレナを正気に戻そうと何度も叫ぶが効果が出ているように見えない。そのうち、「ジャキッ!」という音がする――マフレナの爪が鋭い刃物のように伸びてトアの喉元へ向けられる。

 絶体絶命の状態に陥ったトアは、マフレナの姿を見てギョッとする。


 銀狼族という名が示す通り、マフレナの体毛は銀色をしている。

 それがどうだ。

 今目の前にいるマフレナは――全身金色となっていた。


「マフレナ……」


 原因は不明だが、マフレナに何かしらの異常が起きているということは間違いない。


 なんとかそこから解放をさせなくては。

 トアは剣の柄に手をかけて、動きが止まる。

 相手はマフレナだ。

 あのマフレナだ。

 

「くっ……」

 

 剣を抜くことにためらいを見せていると、突如上空から声が聞こえた。


「許せ! 娘よ!」


 銀狼族のリーダーでありマフレナの父であるジンだった。

 ジンは大木の枝からトアたちの様子を見ていたらしく、そこから真っ直ぐにマフレナへと落下し、その勢いをキープしたまま手刀をお見舞いする。


「がうっ!?」


 父ジンからの一撃を首筋に受けたマフレナは意識を失って倒れる。


「じ、ジンさん!?」

「マフレナの様子がおかしいから後をつけてきたが……正解だったようだ」


 ジンは気を失ったマフレナを担ぐ。


「村長、要塞村へ戻ろう」

「あ、あの、マフレナに何が……」

「その話も、村へ戻ってからにしよう――一刻を争うんだ」


 そう語るジンの目尻には涙が溜まっていた。



  ◇◇◇



 要塞村へ戻ると、全員がマフレナの異変に仰天した。

 いつもの銀髪から金髪――というか、尻尾などにある体毛も全部金色となっている。おまけに苦しそうに唸りながら、脂汗をかいていた。


「な、何があったの!?」

「マフレナ様はご無事なのですか!?」


 精霊たちの畑仕事を手伝っていたクラーラが、血相を変えてマフレナを背負ったジンへと駆け寄る。その後で、地下迷宮でアイリーンと談笑をしていたフォルも駆けつけた。

 とりあえず、弱っているマフレナを一旦自室のベッドへ寝かせる。


「な、なんかマフレナのカラーリングが違わない?」

「イメージチェンジ……などという生易しいものではないようですね」


 フォルとクラーラはマフレナの変貌ぶりに驚く。他の村人たちも扉の向こう側で心配そうにしている。

 全員の注目はマフレナの容姿の変化について。銀から金へ――その劇的なカラーチェンジにはさすがに曲者揃いの村人たちも度肝抜かれた。


「ジンさん……マフレナに何があったんですか?」

「まさかとは思っていたが――この子は銀狼族の中でも千人にひとりとされる《金狼》の資質があったようだ」

「「「金狼???」」」


 トア、クラーラ、フォルの声が重なる。


「今朝、様子がおかしかったのは金狼への覚醒が近かった、つまり前兆というわけだ」

「その……銀狼と金狼の違いってなんですか?」

「金狼は通常の銀狼族より遥かに能力が高い……しかし、その反動もある。それが今のマフレナの状態だ」


 荒い息づかいでベッドに横たわるマフレナ――つまり、心身ともに激しく弱っている状態を指すらしい。


「金狼になるには体への負担も大きい……だが、それを軽減してくれる花の蜜があるという」

「そ、その花というのは?」

「マッケラン草という植物の花だが」

「……聞いたことのない名前だ」


 トアの視線がフォルとクラーラに向けられるが、どちらも首を大きく横へ振る。手がかりはなしか――と、全員が落胆していたら、思わぬところから救いの手が伸びてきた。


「マッケラン草なら作っているのですよ~」


 妖精族のリーダーであるリディスだった。


「本当か、リディス殿!」

「本当ですよ~。何なら今から収穫してきますよ~」

「おお……ありがとう! あなたは娘の命の恩人だ!」


 ジンは石造りの床にヒビが入るくらいの勢いで土下座した。


「大袈裟ですよ~。同じ村に住む仲間なんだから気にすることないです~。それより~、村長たちにも手伝ってもらいたいです~。あれの収穫はちょっと厄介なのです~」

「お安い御用さ!」

「私も行くわ!」


 こうして、精霊リディスにトアとクラーラが助手としてつくこととなり、父ジンとフォルは要塞内で待機という形になった。


「興味本位でなんでも育てようとする精霊族に感謝しないといけませんね」

「まったくだ。聞いたな、マフレナ。もうすぐだからな!」


 ベッドで横になるマフレナに熱いメッセージを込めるジン。すると、どこからともなく女性の声がした。


「失礼。ちょっとよろしいかな、そこの甲冑兵くん」


 どこから入ってきたのか、ツッコミを入れようとするよりも先に、最初に挨拶をした成人女性よりも若い少女――年齢にして十四、五歳だろうか。

 村人たちの間でざわめきが広がる。

 この場所に、新しく人がやってきたのはモンスター組以来だったからだ。


「……どちら様でしょうか?」


 来客へ応対したのはフォルだった。


「何、大した者じゃないよ。そうだね。ただのしがない美人考古学者とでも言っておこうか」


 とりあえず変人であることは分かった。

 隣にいる少女も苦笑いをしている。


「あの、お名前など……」

「ああ、名前か。私の名前はシャウナ。そしてこっちは――君たちの村長の幼馴染だ」

「!?」


 あまりの衝撃に、フォルは絶句した。

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