第24話 エステルの苦悩
フェルネンド王国から北へ二十キロほど進んだ場所にあるベンガン渓谷。
そこでは王国聖騎隊による大型魔獣討伐に向けた大規模作戦が展開されていた。
作戦の中枢を担うのは歴戦の猛者たち。
彼らをサポートする役として、ルーキーながらも抜擢された者たちがいた。
成長著しいエステル・グレンテスと聖騎隊大隊長の息子であるクレイブ・ストナー。さらに実績を積み重ねてきたエドガー・ホールトンとネリス・ハーミッダの計四人である。
四人はベテラン女性兵士のヘルミーナ・ウォルコットの指揮下にあり、彼女の命令を受けて魔獣討伐の障害となる低ランクモンスター狩りに駆り出されていた。
今回の任務は低ランクモンスター狩りなのだが、狙いはもうひとつ別のところにあった。
それは、トアがフェルネンド王国を去ってからすっかりスランプに陥っているエステルに自信を取り戻させるというものだ。
「そっち行ったぞ、ネリス!」
「分かったわ!」
エドガーとネリスのふたりが巨大なカマキリに似た虫型モンスターを追い詰めていく。《弓術士》のジョブを持つネリスがオレンジ色のツインテールを揺らしながら矢を放ち、エドガーが得意の剣術で目的の場所まで誘導。最後はエステルの攻撃魔法でフィニッシュ――それが作戦であった。
「今だ、エステル!」
「任せて!」
クレイブからの合図でエステルが詠唱を始める。だが、
「!?」
失敗。
予定ではエステルのかざした手から炎の渦が放たれるはずだったが、特に何も起こることなく、虚しく詠唱の声が響き渡るだけだった。
「ど、どうして……」
「! エステル! 気を抜くんじゃねぇ!」
魔法が失敗に終わったことで動揺していたエステルは、自分に向けて両手の鎌を振り上げているモンスターの存在に気づけないでいた。その事態をいち早く察知したエドガーが身を挺してエステルを守った。
「! え、エドガーくん!?」
自分に覆いかぶさる格好となっているエドガーは肩口から出血をしていた。
エドガーは作戦失敗を引き起こした元凶である自分を庇って怪我をした――その事実を理解した時、エステルはあまりのショックに意識を失った。
◇◇◇
「それで、エステル・グレンテスはどうしている」
「今はテントで休んでいます。……ですが、心身ともに疲労が激しく、今後の作戦参加は難しいかと」
「そうか……」
大型魔獣討伐のためベンガン渓谷へ遠征に来ていた聖騎隊は、近くの川の畔を拠点地としていくつかのテントを張っていた。
クレイブ・ストナーはそのテントのうちのひとつ――自分たちの指揮官であるヘルミーナのテントを訪ねていた。理由は今日の戦果報告だ。クレイブからの報告を受け取った直後、ヘルミーナは頭を抱えて唸った。
「まだ調子は戻らないか」
無造作に頭をかいたので美しい長い金髪は乱れ、眉間に寄せられたシワが一層深いものへと変わった。
悩みの種は戦果報告にもあるエステルの不調。
大魔導士という稀有なジョブを持つ彼女は最初こそ順調に任務をこなし、着実にステップアップを果たしていた。
だが、ここ数週間の遠征で彼女が挙げた戦果はゼロ。
本日に至っては自らのミスで同じ隊の仲間であるエドガーに怪我を負わせてしまうというおまけつきだ。
「モンスターは我々で駆逐できましたが、肝心のエステルはさらに負のスパイラルに呑まれていったようです」
「困ったな……まさかあのエステル・グレンテスがここまで不調に陥るとは……完全に計算外の事態だ」
いくら大魔導士といえど、中身はまだ十四歳の少女。ミスをすることは決して悪いことではない。ただ、これまでのエステルであれば、それをカバーするくらいの機転と技術力が伴っていた。それがここ最近はまったく発揮されていないという状況なのだ。
その原因の一端を担っているのがトア・マクレイグ――そしてもうひとり。
「それで、コルナルド家のディオニス殿はなんと?」
クレイブが問うと、ヘルミーナはまたひとつ大きなため息をついて天井を仰いだ。
「相変わらず関与を否定している。新聞社が勝手に書いたと言って、な」
「! そんなわけが……」
「記事の作成に関わった新聞社の人間も『自分たちの独断』と言いきっている。ただ、明日からコズロー隊長立ち合いのもと、紳士的話し合いをする予定だ」
「こ、コズロー隊長が……」
聖騎隊のトニ・コズローといえば、拷問趣味で有名な聖騎隊一のドSである。
恐らく、ヘルミーナの言う「紳士的話し合い」とは、裏を返せばコズローの独壇場とも捉えられる。本当は何をされたのか、後でコズロー自身に聞いてみようと思うクレイブだった。
そんなクレイブ自身もコネを使い、水面下で調査を進めていた。それによると、養成所の関係者はほとんど全員トアに対して好意的な印象を抱いていることが発覚。座学も実技も熱心に取り組むその姿勢は、多くの大人たちから高い評価を得ていたのだ。
そういった次第で、今回発生した「トア除隊事件」は各方面に小さくはない影響を及ぼしており、かねてより論じられてきた聖騎隊上層部に蔓延する「ジョブ至上主義」を見つめ直すいいきっかけになろうとしていたのだ。
もし、このままコルナルド家が強引に事態をうやむやにしようとするなら、少なくはない反発が各所から起こるのは間違いない。
「それよりも今はエステルを立ち直らせることが先決だ。それができなければ、今後の作戦にも大きな支障をきたすことになる」
「ですが、彼女を以前のような調子に戻すとするなら、それはトア・マクレイグの復帰以外にありえません」
「そのトア・マクレイグの行方は?」
「……未だ掴めません」
ヘルミーナから見えないよう、両手を後ろに回して拳を握った。
「戦場では感情を殺せ」と教えられてきたクレイブにとって、その行為は一族の教えに背く行為でもあったからだ。
「打つ手なし、か」
「その件について、私からお話があります」
ここで、新たに会話へ加わった者がいた。
同じく期待のルーキーとして遠征に参加しているネリス・ハーミッダだ。
淡いオレンジのツインテールに大きな瞳が印象的な少女だ。
「ネリスか。エドガーに付き添っていたのではなかったか?」
「容態が安定してきて寝入ったので、その報告に来ました。それで、先ほどの会話の内容が漏れ聞こえきたのでつい」
「そうだったか。それで、話を戻すが、その話とやらを早速してくれ」
「はい。エステルに休暇を与えてほしいのです。休暇ということで彼女を連れ出し、そこで心行くまで遊んでリフレッシュさせるというのはどうでしょうか」
「俺も休暇には賛成です。実をいうと、この後でヘルミーナ隊長にその件をお話しする予定でした。それと、トア・マクレイグの消息を追うためにも、少し時間的な猶予をいただきたいと思います」
「ふむ」
優秀なふたりが揃ってそのような提案をしてくる。
上からは四人のルーキーを王都へ帰還させるようとの命令も来ているので口実としては申し分なかった。
「分かった。では休暇を許可しよう。トア・マクレイグ捜索の件も、上には私から報告をしておく」
「「ありがとうございます!」」
ヘルミーナに深々と頭を下げたクレイブとネリスは早速このことを報告しようとエステルのもとを訪ねようとテントを出たのだった。
◇◇◇
「はあ……」
小さなテントの中。
簡易ベッドで横になるエステルは小さくため息を漏らした。
最近の自分は何をやってもダメダメだ。
今日に至っては仲間のエドガーに怪我まで負わせてしまった。
「はあ……」
寝返りをうってもう一度ため息。
思い浮かぶのはトアのことばかり。
「トア……今どこにいるの? どうして何も言わずに出て行っちゃったの?」
トアを責めるような発言をするが、思い返せば自分だってトアへ会いに行かなかった。言い訳になってしまうが、どんな顔で会えばいいのか分からなかった。自分のジョブに対して、トアのジョブは――そう考えると、何をやってもトアを傷つけてしまうのではないかと臆病になってしまい、なかなか会いに行く勇気が湧かなかった。
それを今、とても後悔している。
もっとトアに会っていたら。
もっと話をしていたら。
変わらず、かつて住んでいた村にいたときのように、養成所でお互いに切磋琢磨し、聖騎隊入りを目指していたあのときのように。
「トア……会いたいよ……」
エステルは体を丸めてうずくまり、まるで呪文のようにトアの名を呼び続けていた。
◇◇◇
フェルネンド王都郊外――コルナルド家の屋敷。
その一室に、コルナルド家の長男であるディオニス・コルナルドはいた。
黒檀の執務机に両肘をつき、組んだ手を額に当ててひとつ息を吐く。
「ブレット」
名を呼ばれたのは近くに立っていた執事のブレット。
年齢は三十代半ばほど。執事服越しでも分かる筋肉質な体に、傷だらけの顔には左目を覆う黒の眼帯。厳つい風貌は執事というより殺し屋と言われた方がしっくりくる。
「例の件はどうなっている?」
「手回しはすでに済んでおります、ディオニス様。以前入手したあの情報がある限り、新聞社の連中が裏切ることはないでしょう。もっとも、裏切ったらそれ相応の報いを受けてもらうことになりますが」
「そうか……くそっ! 聖騎隊の連中め。思いのほか早く動いたな」
「今やエステル・グレンテスは聖騎隊の象徴そのもの。そんな彼女がここのところ不調に陥っているとするなら、聖騎隊の反応も過敏なものとなりましょう」
ブレットの言葉を受けて、ディオニスは大きく舌打ちをする。
「あの厄介な無能者の幼馴染が消えてくれたことで楽にエステルを手に入れられると思っていたが……まだあいつの心にはあの幼馴染がいるようだな」
「そのようです。――そこで、ディオニス様」
「なんだ?」
「私に良い案があります」
「ほう……話してみろ」
不敵な笑みを浮かべながら主人であるディオニスへ案を提案するブレット。
やがて、ディオニスの顔もひどく歪んだ笑顔になる。
「いいじゃないか……それでいこう」
「分かりました。では、そのように準備を進めて参ります」
「頼むぞ」
「それでは早速調査をしてきます――トア・マクレイグの居場所について」
そう言い残して、ブレットは部屋を出た。
「くくく……あいつさえこの世からなくなれば、エステルは俺のモノになる」
屋敷内にはディオニスの不気味な笑い声がいつまでもこだましていた。
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