第10話 一方その頃、フェルネンド王国では
トアがフェルネンド王国を出てから二週間が過ぎようとしていた。
「すまない」
「なんでしょうか」
「先日の南方遠征にて、馬車の中にハンカチを置き忘れてしまったと思うのだが」
「ハンカチですね。探して参りますのでこちらに氏名をお書きください」
「うむ」
フェルネンド王国聖騎隊所属遺失物管理所。
聖騎隊の名を語ってはいるが、その中身はいわゆる落し物係である。
「こちらでよろしかったでしょうか」
「おお! それだ! いや、本当に助かったよ。これは娘から誕生日プレゼントでもらったものでね」
戦いとは無縁でのほほんとした雰囲気の遺失物管理所。
獰猛で強大な魔獣と戦う聖騎隊においては異質と言っていい部署であり、中には「こんなヤツラに給金を与えるのは税金の無駄だ!」と訴える者もいる。だが、実際、彼らの存在をありがたがっている者もいるので、なんやかんやあって現在まで存続しているのだ。
そんな遺失物管理所に、珍しい来客が訪れた。
「失礼する」
現れたのは少年兵士だった。
褐色の肌に短く切り揃えられた青い髪が特徴的だった。顔立ちも端正で、どこか風格さえ感じる。
だが、その少年を視界に捉えると、遺失物管理所職員の間に流れる空気が一変した。
一線から身を退いた老兵や、戦闘に役立たないジョブを受けた者たちのたまり場でもあるここは基本的に緩い空気なのだが、少年の登場によってピンと張りつめたような緊張感が支配する。
それもそのはずで、少年――クレイブ・ストナーは《戦神》の異名を持ち、代々王国聖騎隊の重職を任されているストナー家の人間だったからだ。
「く、クレイブ殿、今日はどういったご用件で?」
それまで新聞を読んでいた小太りの中年男性――管理所長がすぐさま飛んできて対応に当たる。
「ここにトア・マクレイグという新入りがいるはずなのだが」
「と、トア・マクレイグですか?」
所長はもちろんトアを知っている。だが、若手のホープとして上役たちからも期待を寄せられているクレイブ・ストナーともあろう者が、なぜあのような使えない能力適性を持つ者を気にかけているのかが解せなかった。
「トア・マクレイグでしたら、先日聖騎隊を辞めましたが……すでに除隊届も受理されているはずです」
「何っ!?」
声を荒げるクレイブ。
「ど、どうかなさいましたか?」
恐る恐る尋ねる所長。
クレイブはハッと我に返り、コホンと一つ咳払いを挟んでから話を始めた。
「そのトア・マクレイグという男は、俺にとって無二の親友なのだ」
「えっ!!」
今度は所長が声を荒げた。
生まれながらにしてエリートであり、戦闘面において絶大な効果を発揮すると言われる激レアジョブ《指揮官》を持つあのクレイブ・ストナーが、《洋裁職人》のトア・マクレイグを親友と呼ぶとは。
「し、親友なのですか?」
「ああ……彼と彼の幼馴染であるエステル・グレンテスは、俺をストナー家のクレイブとしてではなく、一人の仲間として見てくれた。同じ貴族で、家族ぐるみの付き合いがあるエドガーを除けば、そんなふうに接してくれたのは彼らぐらいだった」
目を細め、養成所時代を思い返すクレイブ。
クレイブの父で聖騎隊大隊長のジャックは贔屓をしない男だった。
実の息子であるクレイブも特別扱いなどせず、実力で地位を築くよう他の者たちと同じように扱った。それでも、周りの見る目は違う。一族の多くが歴代の大隊長としてその名を刻むストナー家の長男――今のうちから仲良くしていれば将来は安泰と考え、そうした下心を持って接触を試みる者は決して少なくなかった。
だが、トアとエステルは違った。
元々、山奥の農村出身である彼らにはそういった出世欲というものに乏しく、ただ純粋に気の合う仲間としてクレイブと接していた。
だから、クレイブも二人を心から信頼していたのだ。
「彼らがいなければ、俺はもっと歪んだ価値観を持っていたかもしれない」
「は、はあ……」
「そんな俺の親友が聖騎隊を辞めたと聞いては黙っておれん。何か、原因に心当たりはないのか?」
「でしたらきっと……その幼馴染のエステル・グレンテスの婚約発表だと思われます」
「エステルの婚約発表だと!?」
再び大声を発するクレイブ。
どうやら、クレイブはその件について初耳らしい。
「バカな! あり得ない! 一体どこの誰がそんな世迷言を!」
「あ、え、えっと……最初に言いだしたのはうちのトムです。あそこの窓際のデスクに座っている」
名指しをされた職員トムはダラダラと汗をかきながらビクッと体を震わせた。クレイブがトアの名前を出した時から、「もしかしたら」という嫌な予感がしていたが、まさか的中するとは思わなかった。
「トムとやら。どこでその情報を入手した」
「い、いや、その……前日の夜に、街の酒場で耳にしました」
「誰がそんなことを?」
「よ、よくは覚えていません。酔っ払いの誰かが言っていたような……」
「……そのような曖昧な情報を聖騎隊の中へ広めようとしたのか?」
「ひっ!」
十四歳の少年に睨まれて怯える二十八歳。
だが、それも無理はない。
常人ならばすくみ上りそうな迫力がクレイブの全身から迸っている。少し動いただけで喉元を噛み千切られそうな気さえした。
空気がさらに張りつめていく中、部下の失態は上司の管理能力を問われる――咄嗟にそう判断した所長がデスクから一枚の紙を持ってきた。それは婚約発表の記事が載った号外新聞であった。
「で、ですが、この通り、新聞にも婚約発表と書かれています!」
「なんだと……」
所長から新聞を奪い取ったクレイブは記事に目を通すと、両肩がプルプルと震え出した。
「あのろくでなしめ……」
新聞を力任せに丸めて床に叩きつけると、「もし戻ってきたり、連絡があった場合は必ず居場所を聞き出して俺に伝えてくれ」と言い残して管理所を立ち去る。
管理所の建物前では、すでに馬車が待機しており、それに乗り込むと、御者にフェルネンド城へ向かうよう伝えた。
「いなかったのか?」
どこか疲れたような反応を見せていたクレイブへそう尋ねたのは、同期でこちらも期待の若手として将来を嘱望されているエドガーという名の新兵であった。
「ああ……まったく、ジョブ至上主義など時代遅れだというのに、未だにそれに縛れている者がいるとは」
ぶつぶつと独り言で文句を垂れるクレイブ。
ジョブ至上主義は時代遅れ――これは彼の父でもある聖騎隊大隊長ジャック・ストナーの持論であった。
近年、優れた能力を持った者でも、性格に難があったり、能力が優れているあまり本人が努力を怠って力を発揮しきれないといった事例が増加傾向にある。それに危機感を抱いた一部の聖騎隊メンバーは、能力の良し悪しだけでその者の立ち位置を決めるようなマネはしないようにするべきという改善案を出していた。
だが、旧体制をいじりたくないという一部幹部の思惑もあって、あまり進展が見られていなかった。
「しかしどうする? エステルは遠征から戻ってきたらトアに会えると張り切っているらしいぜ。これがもし聖騎隊を辞めて国を出たなんて伝えたら……考えただけで寒気がしてきた」
「……あの子のためにもどうにかしないとな」
実は、トアが《洋裁職人》という能力だと発覚してからも、クレイブはトアの勤勉さと誠実さを高く評価しており、彼を聖騎隊の本隊へ合流させるよう上層部にかけ合っていた。
その結果、本隊への合流が認められそうだという結果を聞いたのが今から三日前。今日、その報告へやってきたのだが、まさか本人が辞めているとは思わなかった。当日まで黙っていてサプライズ演出をして驚かせてやろうという考えが裏目となってしまい、クレイブは酷く後悔する。
「俺は……彼の人生を台無しにしてしまった」
「おまえは何も悪かねぇよ。黙っておいて驚かせようと言いだしたのはそもそも俺だ。だからそう思い詰めるなって。そういうとこ、おまえの悪い癖だぞ」
「う、うむ……」
大人なら誰しもが臆してしまうストナー家の嫡男に対してもズバズバと思ったことを口にする。それがエドガーの性格だ。
「それにしても、大陸にその名を轟かす《蒼撃のクレイブ》ともあろう者が、一兵卒にそこまでご執心とは。これはもう恋じゃねぇか?」
からかうように言ったエドガーだが、クレイブは至って真面目な顔つきと口調で答えた。
「恋、か。……確かに、俺のこのトアに対する溢れ出る想いは恋に等しいといって過言ではないかもしれない。それほど、俺はあいつが欲しい」
「……それは自分の相棒というか、仕事仲間として?」
「? 当然だろう」
「だ、だよな! ……おまえ、さっきの言葉を絶対にエステルの前で言うなよ」
「なぜだ?」
「なんでもだ!」
「?」
エドガーがなぜそこまで怒っているのか、クレイブは本気で見当がつかなかった。
長い付き合いのエドガーだが、クレイブの言動が天然なのか本気なのかがたまに分からなくなる時がある。
「と、ともかく、トアがこの国に必要な人材であることは俺も重々承知をしている。だから、捜索隊を結成して探しに行こうぜ」
「捜索隊……」
「ああ。――ただし、事態をややこしくさせた連中にはきっちりと責任を取ってもらうがな」
エドガーが言う「事態をややこしくさせた連中」とは、間違いなくコルナルド家のことだ。
軟派で女性との交際経験豊富なエドガーには分かる。トアとエステル――この二人が互いをどう思っていたのかを。自分がエステルに猛アプローチをかけてもまったく相手にされなかったのは、彼女の中にもう「決めた」人間がいて、それがトア・マクレイグである感じ取っていたのだ。
「聖騎隊への復帰とエステルの件が誤報であったこと……こいつを手土産に、どっかをふらついているトアを探し出して連れ戻そうぜ」
「そうだな」
クレイブとエドガーは「トア連れ戻し計画」を立案し、エステルが遠征から戻ってきたら行動を開始しようと動き出す。
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