第2話 新しい生き方と新しい出会い

「はあ……少し休むか」


 トアは見知らぬ森の中をひとり歩いていた。

 フェルネンド王国聖騎隊遺失物管理所――またの名を役立たずの集まり。

 そこを辞め、寮を出て、最低限の荷物を背負ったトアは特にこれといった目的地を定めたわけでもなく、一週間ほど各地を渡り歩いていた。

 魔獣討伐と幼馴染を守り続ける。

 二つの大きな目標を失ったトアは生ける屍と化していたが、さすがに二週間も過ぎると吹っ切れようと前向きな思考に至り、とりあえず定職を探さなくてはと新たな目標を打ち立てたのだった。


 その目標を達成するため、トアは南を目指して歩いていた。

 南には大陸で二番目に大きな国のセリウス王国がある。

 あそこならば、きっと職に就けるだろう。

 未だに《洋裁職人》の力を発揮させた経験はないが、これも使いこなせれば王都一番の服屋になれるかもしれない。


「まあ、食うに困ることはなくなりそうでいいかも」


 もはや失う物は何もない。

 幼馴染で想い人であるエステルを守る。

 そして両親や村人たちの仇を取る。

 それらの夢を叶えるためにも聖騎隊の一員にならなくてはと張り続けてきたトアは、フェルネンド王国を出たことで身も心も軽くなり、思考もそれに合わせて軽快なものへと変わっていた。きっと、これまでなら、そのような楽観した考えには至らなかっただろう。

 

「セリウス王国か……名前しか聞いたことがないけど、どんな国なんだろう」


 すでに次の生活に向けたビジョンを思い描くトア。

 と、その時だった。


 ポツポツポツ――


 空から舞い落ちる水滴。

 トアは顔を上げた。


「げっ……雨か」


 いつの間にか空はどんよりとした鉛色へと変わり、分厚い雲が陽光を遮っていた。


「土砂降りになる前に雨宿りできそうな場所を探さないと……」


 現在地は森の中のため、大きな木の下でやり過ごそうと辺りを見回していると、ある物が視界に飛び込んできた。


「あれは……建物か?」


 木々に囲まれていて全容は把握できないが、明らかに人工的な石造りの建物が見えた。せめて雨宿りだけでもさせてもらおうと走り出す。

 トアのダッシュが合図だったかのように、ザーッと音を立てて雨足が強くなった。


「うわわっ!」


 なんとか建物までたどり着いたが、すっかりびしょ濡れになってしまった。


「やれやれ……」


 濡れてしまった衣服を脱ぎ、下着姿となったトアはひとつ大きくため息をついてから腰を下ろした。

 

「それにしても、これは一体なんの建物なんだ?」


 落ち着いてくると、辺りの様子が気になりだした。明らかに宿屋や民家といった構造をしていないその建築物。無性に建物の正体が気になったトアは雨が止むまでの間、少し見て回ろうと思い、腰を上げた。

 高い天井。

 広い面積。

 各所に見られる堅牢な造りの柱。

 明らかに一般家屋ではない。

 

 まったく手入れがされておらず、あちらこちらにたくさんの植物が見られ、なんとも不気味な雰囲気が漂っていた。


「だいぶ長い間、放置されていたみたいだな」


 歩きながら目に見えて分かる情報を口にする。しばらくすると、階段が出現。どうやら二階があるようだ。上に行けば、この建物について何か分かるかもしれないと、足場が崩れ落ちないよう慎重に一段一段上がっていく。

 すると、屋外へ通じる半壊したドアが現れた。


「ここから外へ出られそうだな」


 未だに雨足は強いため、壊れたドアの隙間からそっと外の様子を窺うだけにする。視界の先にあったのは石造りの床。それがどこまでも続いていた。さらに、大粒の雨の向こう側に何やら大きな塔らしき建造物が見えた。雨の影響もあってぼんやりとした輪郭しか確認できないのだが、それも含めたらかなりの敷地面積がありそうだ。


「随分と大きいけど……あ――」


 屋内へと戻ったトアの目に飛び込んできたのは破れた大きな旗であった。赤を基調にして黄色のラインが横へ引かれ、真ん中には鋭い眼光を飛ばす猛禽類が描かれている。


「この旗は……旧ザンジール帝国のものか」


 旧ザンジール帝国。

 それはトアが生まれる以前に存在していた独裁国家。

 圧倒的な軍事力を武器に各国へ侵略戦争を仕掛けたが、最終的にフェルネンドやセリウスなどが加わった連合軍を相手に敗戦し、国自体が消滅した。養成所にいた頃、王国戦史の授業で学習した内容である。

 トアは旗を手に取った。

 下部には「ディーフォル」という名が刺繍されている。


「ディーフォル? ……そうか。ここが噂の《無血要塞》か」


 同じく、養成所時代に王国戦史の授業で学習した記憶があった。

《無血要塞》ディーフォル。

 その堅牢な守りと苛烈な砲撃によって敵の接近を許さず、兵の血を一滴も流すことなく戦いに勝利したことで名付けられた――というわけではなく、完成を前にして戦争が終結し、しかもかなり無茶な設計だったようで、至るところに欠陥が生じているというポンコツ要塞というのが真の姿である。おまけに、広大かつ頑丈に造り過ぎた結果、解体するにも相当な費用がかかるということで、ザンジール消滅後もこうして残っているのだ。無血という異名は、血を流す兵士を投入する間もなく廃棄されたことへの皮肉が込められたものだった。


「……おまえもお荷物ってわけか。お互い苦労するな」


 使うあてもなく放棄された要塞に、トアは自身の半生を重ねていた。

 そう思うと、なんだか親近感が湧いてくる。


「少しの間、君の体を貸してもらうよ」


 壁にそっと手を添えて、トアは呟いた。

 止む気配のない雨をこの廃要塞ですごそうと決めたのだ。

 その時、不思議な感覚がトアを襲った。


「……なんだ?」


 壁に手を添えた状態でいると、頭の中に「言葉」が浮かんできた。

 それが何を意味するのか分からない。

 だけど、口にしなくてはいけない気がした。


「……《拠点(ベース)》」


 本能が導くままに、トアは思い浮かんだ言葉を発した。

 すると、一瞬、強烈な閃光が走った。

 驚いて目を伏せたトア。

 それからしばらくしてゆっくりと目を開けるが、特に周囲に変化が起きた様子は見られなかった。


「今の光は一体……」


 正体不明の光に動揺していると、「ぐぅ~」と腹の虫が鳴った。


「……今は空腹を満たすことを優先しよう。食糧なんて残っちゃいないだろうから、食べられそうな木の実か野草を探してこよう」


 考えているだけではどうしようもない。しんみりした空気を振り払うように、トアはあえて明るく振る舞う。

 もう自分はフェルネンドの人間ではない。魔獣討伐は優れた適性を持った同僚たちに任せるとして、生きるための道を模索することに専念しよう。

 幸いにも、養成所で行われた座学を真面目に受けていたトアは、食べられる野草や木の実に対する知識は豊富にあった。それを駆使して食料集めに奔走する。


「う~ん……おっ? こいつはゼトリの実だ」


 一時間も散策しているとちょうど一食分に相当する木の実が集まった。さらに、傷薬や整腸作用のある薬草もいくつか手に入った。これは嬉しい誤算だ。

 手に入れた木の実を食べ、お腹を満たすことには成功したが、まだ外は雨が激しく降っており、出るのは躊躇われる。


「まあ、急ぐ旅でもないし、気長にいくか」


 腹も膨らんで気持ちに余裕が生まれたのか、楽観的に物事を捉えるようになっていた。

 それから、雨が止むまで周辺を調べていたのだが、いつしか日が暮れ、外はすっかり夜の闇へと包まれていた。

 夜はモンスターも活発に動き出す。

 仕方なく、トアはこの要塞で一夜を過ごすことにした。

 とりあえず、モンスターが寄ってこないよう、火をつけようとした時だった。


「うん?」


 トアは物音を感じて振り返ったが、そこには何もない。気のせいだったか、と思いきや、再び音がする。不気味に思いつつも誰か他に人がいるかもしれないと音がした方向へと歩き始めた。念のため、足音を殺し、細心の注意を払って進んでいくと、音がだんだんと大きくなっていく。


「あの辺りか?」


 大体の見当をつけたトアであったが、次の瞬間、ぼわっと目の前が橙色で照らされた。その正体は――火だ。


「! だ、誰かいるのか?」


 この要塞に、自分以外の誰かがいる。

 こんな辺鄙な場所に来るくらいだから、まともな人間ではないのかもしれない。それでもやはり、心細さがあったトアはその人との接触を試みた。


「あ、あの!」


 思い切って声をかけた――が、タイミングが悪かった。


「えっ……?」


 灯りをつけたのは少女だった。

 年齢はトアと同じくらいで十五か六ほど。

 淡い火の灯りに照らし出された金色の長い髪を後ろでまとめたポニーテールヘアーがよく似合う可愛らしい子だ。

 それだけなら別段問題はない。

 一番の問題点は――少女の出で立ちにあった。

 おそらく、トアと同じように豪雨の中を走ってきたのだろう。あの火は灯り以外にびしょ濡れになった服を乾かすためのものであったようだ。

 つまり、今の少女は服を何も着ていない状態――簡単に言えば全裸であった。


「きゃあっ!」

「ぬあっ! ご、ごめん!」


 腕で胸を隠しながらしゃがみ込む少女。

 慌てて背を向けるトア。

 

「「な、なんでこんなところに人が!!」」


 二人の声が綺麗に重なった。

 お互い、こんな時間に場所で自分以外の人がいるなんて思っていなかったのだから驚きは相当なものだ。

 しばらくの沈黙の後、先に口を開いたのは少女の方だった。


「……もうこっち向いていいわよ」


 立ち去るべきか謝罪すべきか、いろいろと考えている間に動きが封じられていたトアは、少女に言われるがまま振り返る。少女はまだ乾ききっていない服に身を纏い、トアをジッと見つめていた。

 真正面から少女と向き合って初めて分かったが、彼女は人間ではなかった。長く伸びたその耳は、少女がエルフ族である何よりの証し。


「君は……エルフだったのか」

「そうよ。名前はクラーラ。出身は東国にあるオーレムの森。あなたは?」

「俺はトア。出身はフェルネンド王国だ」

「フェルネンド……あの大国の出身なのね。私が言えたことじゃないけど、あなたはどうしてここに?」

「えぇっと……あ、新しい自分を探しに?」

「なんで疑問形なのよ……」


 あやふやな答えに、エルフ少女――クラーラは渋い表情を浮かべた。


「まあ、いいわ。覗かれたってよりは、ただの事故みたいだし。今回ばかりは不問にしてあげる。感謝しなさい」

「あ、はい。ありがとうございます」


 釈然としない感じはしたが、大事にしないというのでここはこれ以上掘り下げることなくやり過ごすとしよう。


「話を戻すけど、君はどうしてここに?」

「私? 私は……これのせいね」


 そう言って、クラーラは腰に携えていた剣を手にした。


「剣? もしかして、君のジョブは《剣士》?」

「そんなしょぼいものじゃないわよ! 私のジョブは《大剣豪》なんだから!」

「だ、大剣豪!?」


 ドヤ顔で自分の適性について語るクラーラ。

 そんな態度が許されるほど、大剣豪という適性は凄い物であった。

 エステルの大魔導士に匹敵するレア度で、これもまた聖騎隊のメンバーだったら主力として部隊を任されるほどである。実は密かにトアが欲しいと思っていたジョブでもある。


「まあ、私がここにいる理由はそのジョブが原因でもあるんだけど」

「え? どういうこと?」

「私、ずっと剣術系の適性が欲しいなって思っていたの。村のしきたりで、一定の年齢になったら適正職診断を受けるんだけど、そこで見事に大剣豪を引き当てて――」

「分かった。修行の旅ってわけだね」

「いいえ。嬉しさのあまり剣を適当に振るっていたら村長の家を全壊させて村を百年間追放の刑になっちゃたの。それが今から一週間くらい前の話ね」

「ええ……」


 なんて物騒なエルフだ。


「話は変わるけど、あなた食料持っていない? できたらわけてもらいたいんだけど」

「ああ、木の実でよければあるけど」

「ホント!? それもらっていい?」

「構わないよ。ていうか、そこら辺にいっぱい生えているし」

「私、その辺の知識に疎いのよね」

「……森に住むエルフなのに?」

「うっさいなぁ! 木の実を採取するより剣を振っている方が好きなの!」


 本当に物騒なエルフだ。

 しかし、こうした会話のやりとりがあったおかげで、先ほどまでのギクシャクした空気は消え去っていた。

 王都を出てからずっと一人で行動をしていたトアにとって、久し振りの会話は弾み、楽しい時間をすごすことができた。

 その話し相手であるクラーラは自身の知るエルフとはイメージがだいぶかけ離れていたのだが、気さくで話しやすく、まるで古くからの付き合いがある友人と接しているような感覚であった。

 その後、小雨にはなったが夜も更けてきたということで要塞を出るのは明日の朝にしようということになった。

 


 ◇◇◇



「―――――」

「…………うぅ?」

 

 誰かが自分を呼んでいるような気がして、トアはゆっくりと目を開けた。眩しい朝の陽射しが飛び込んできて見づらいが、目の前に誰かが立っているのは確認できる。


「クラーラ?」

「残念ながら違います」


 返ってきたのは男の声だった。


「っ!」


 驚いて飛び起きたトア。その視線の先にはいたのは見知らぬ存在であった。


「おはようございます、マスター」


 古びた西洋甲冑がトアの顔を覗き込んでいた。

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