第107話 過ぎ去った 嵐の後に 草芽生え
まるで台風のようにトルキイバを引っ掻き回した姫様がこの地を去ってから一ヶ月。
穏やかに吹く風は暖かく、野に緑は芽吹き、子供達は下ろしたてのシャツを汚しながらうきうきと庭で遊ぶ。
まさに春爛漫の今日この頃。
トルキイバは……いや、
大混乱と言っても、またダンジョンで問題が起きたとか、大貴族からの無茶振りがあったとかそういう事じゃあない。
あの姫様の置き土産が炸裂したってだけの話だ。
「押さないでーっ! 押さないでくださーいっ! 握手会、夜霧のヨマネス列の最後尾は劇場の外になりまーす!」
まず第一の被害者は、姫様が観劇の後に握手をしたうちの劇団のヨマネスだ。
彼女は今や完全に時の人扱いで、前から長かった握手会の列がついに劇場の外まで飛び出してしまっていた。
「何ですかあの行列? 階段の下の方まで続いてるみたいですけど」
「そうか、エラはずっとルエフマにいたから知らないのか。サワディの劇場は閉演後には握手会でいつもああなんだよ」
「握手? 役者さんとですか? なんで?」
「エラも握手してみる? すげぇ待つけど」
「いえ、せっかくですけどやめときます」
しばらく会わない間に俺達の中で一番の長身となったエラは、苦笑しながら手を振った。
今日はこいつが久々にトルキイバに帰ってきたという事で、実家の家具屋で働いているジニも呼んで学生時代の平民三羽烏で同期会をしていた。
俺の前世で言えば十七歳なんてまだまだ一緒に高校に通っているぐらいの時分だが、十五で成人のこの世界じゃもうみんな現役バリバリだ。
「しかし、サワディ君が劇場を作る夢を叶えたってのは聞いてましたけど……まさかこんなに繁盛してるとは思いませんでしたよ」
「そうだよなぁ、今やあのクバトア劇場よりも流行ってるんだもんな」
「やっぱ俺って天才だからさぁ」
「天才かどうかは知らないけど、考えなしの馬鹿だから馬車馬みたいに働かされてんだろ?」
「あの巨人を作ってるんですよね? ルエフマからも動いてるとこが見えて話題になってますよ」
「それだけじゃないんだって。こいつん家、今精肉とか革の卸もやってて、人足りなくてヒーヒー言ってんだよ」
「あ、なんかトルキイバは物凄く肉が安いって奥さんが言ってたんですけど、もしかしてサワディ君が噛んでたんですか?」
「ま、まぁな……」
そんなとりとめのない話をしながらエスカレーターを降りていくと、混沌とした劇場エントランスの握手会場が見えてきた。
清楚で慎ましい良家の子女とはいえ、何百人も並ぶともう……とんでもない姦しさだ。
「急がないで、お姫様達。今夜はいくらでも付き合ってあげるから」
「キャーッ!」
「ヨマネス様ーっ!」
「今私に目配せされたのよ」
「私よ私」
「今日はお手紙を添えて良く効く軟膏を差し入れ致しましたの。こうも握手が多くては手袋越しでも手が荒れてしまいますでしょうから」
「素晴らしい心遣いですわ。さすがはエリナ様」
「私はお抱えの薬師が作った化粧水を……」
大混雑のエントランスの耳に痛いぐらいの喧騒の中を、劇場の外に出る列はゆっくりゆっくりと進む。
どうも上手く動線が機能してない気がする、要改善だな。
しかしこうも周りがやかましいと、さすがに男三人で声を張り上げてまで喋るという気にもならず、俺達は押し黙ったまま流れに身を任せていた。
しかし俺達の前を行く婦女子達は、その細い体のどこから出ているのか不思議になるぐらいの大声で……
姫様の第二の被害者である、うちの筆頭奴隷チキンの事を喋りまくっていた。
「あら、そちらのシャツ、もしかしてチキンさんのお店のものじゃなくって?」
「ええ、実はシェンカー家には伝手がありまして、たまたま手に入りましたの。ヨマネス様と同じように、胸の下に少し絞りも入れてありますのよ」
「羨ましいわ。チキンさんのお店ではもうあの可愛らしい印章入りの手提げはおろか、靴下ひとつ手に入らなくなってしまいましたものね」
「そういえば、目抜き通りのデーダート衣服店がチキンさんにスカートの型紙を発注なさったっていう噂は本当なのかしら?」
「どうもそのお話、チキンさんの方から断られたそうですわよ」
「仕方ありませんわよ。ほら、今はシェンカー家もお肉屋さんがお忙しいみたいですし」
「でもシェンカー通り服飾店はあくまでチキンさん個人のご商売でしょう」
「チキンさんも本分はシェンカー家のご三男の婿入り先のスレイラ家の家令でしょうし、あくまで服飾店は本業の余録という事では……」
そう、シェンカー本部ビルにある、うちの筆頭奴隷チキンの経営する「シェンカー通り服飾店」の服が売り切れになるほど売れているのだ。
もちろん、本来は彼女達のような上流階級のお嬢様方が身につけるような質の服ではない。
チキンのブランディングでも、あくまで庶民が対象の商売だ。
店には一般庶民の普段着よりもちょっと背伸びしたぐらいの服しか置かれていない。
それが、時の人であるヨマネスが普段着にしているという事だけで、本来の購買層以外の人達に向けて売れに売れていた。
要するに、ファンアイテムになってしまったというわけだ。
突然の爆売れに泡を食ったチキンが「高級路線の商品を作ってヨマネスに着せる」と言っていたが……服飾品というものは小回りが効かないもの。
今の混乱が収まるのは少なくとも夏物商戦の後になるだろう。
大混雑の劇場からやっとの思いで外に出ても、そこはまだまだ人の渦の中だった。
ちょっとうんざりしながらも握手会の最後尾と駐車場へと向かう人の流れから抜け出し、大通りに向かって歩きだす。
まだ昼の公演が終わったばかりの時間だ。
晩飯を食ってから解散するにしても時間は十分にある。
どこに行こうかと話し始めた所で、エラが「そういえば……」と手をあげた。
「ちょっとサワディ君にお願いがあるんですが……」
「え、何? 虫歯でもできた?」
「違いますよ。実は奥さんにねだられている物がありまして。できたら都合して頂きたいんですが……」
「なんだろ。ヨマネスのサインとか?」
「サイン? なんでそんなもの欲しがるんですか? 服ですよ服。サワディ君とこの野球チームの服が欲しいらしいんですよ」
「あ、あの赤い上着だろ? 最近良く着てる人見かけるよな」
「あー、あれかぁ……うーん。まだあればいいけどなぁ……」
エラとジニの言っている上着とは、俺が野球場で姫様に着せたシェンカー
なんの気無しに手渡した服が姫様効果で爆売れ、そういう話だ。
むくつけき男どもの聖地だった野球場は突如ブルゾンを求めた淑女達で溢れ、野球場のスタッフ達は劇場ほどじゃないとはいえ大変な思いをしたらしい。
中でも球場の支配人はトルキイバの錚々たる貴族子女達に呼びつけられ、何度も何度も品切れのお詫びをする羽目になったのだとか……
そんな姫様の被害者最後の一人、『達弁』のコルヴスは劇場双子座の裏にある野球場にいた。
「
野球場の支配人室の中で、腰の軽そうな黒髪の中年男のコルヴスは漫画みたいな揉み手をしながらそう言った。
こいつは槍術士という触れ込みでうちに入ってきたのだが……
最初に入った冒険者組では班員相手に高利貸しをしていた事がバレて頭目の鱗人族のメンチに半殺しにされ……
次に配置された工場では工員達を丸め込み独自の工程改善を行い、しかしそれを上に報告せず勤務時間を勝手に短縮していた事がバレてチキンに激詰めされ……
しかし「今度やらかしたらクビ」と宣告を受けて送り出された販売業務では、得意の口先で八面六臂の大活躍を見せてみるみるうちに業績を上げまくり……
そんな回りすぎるぐらいの口先に加え、謎に心得のあるマナーや礼儀なども買われ、現在は見張り付きで野球場の仮支配人を任されている……
そういうどうにも食えない男がこのコルヴスだった。
「この服、最近売れてるらしいね」
「そうですとも。毎日大変な数のご婦人方がこちらを求めていらっしゃいますが、現在はこうして特別な方にお渡しする分の数しか確保できておりません」
「今は大変でもいつかは熱も収まるから。値上げとか無理な増産はしちゃ駄目だよ。ブームってのはあっという間だから、無理に乗ろうとしたら足を掬われるから」
「ブ……? は、まぁ……現状維持でよろしいという事ですね?」
「そうそう。どうせ似たようなのが他の店から出て落ち着くんだから」
そこから発展して定番のファッションアイテムにまでなってくれれば、こっちもそのオリジナルって事でそこそこ儲かるはずなんだが……
まぁ、たかがいち地方都市のブームでそこまで行くかは疑問なところだな。
と、そう思っていた俺に……
王都の
「姫様が王都であの上着を着てた!?」
「と、王都の服飾店の方々は仰っておられますが……」
柔らかな午後の日差しが差し込む新築の
その執務室で、やたらと大仰な文字で
「それをお気に召した王都の貴婦人方が、あの服はどこの服だと懇意の店に問い合わせたそうでして……」
「とんでもない事になってきたな」
寝耳に水とはこの事だ。
というか、まさか姫様があの
てっきりうちの屋敷に置いて帰ったものだと思っていたのだ。
「どうしましょうか? 先方はとりあえず百着ほど買い付けたいと言ってますが……」
「つってもなぁ……うちだって在庫ないぞ」
「その旨はお伝えしてあるんですが、とにかく欲しいと速達で返答が」
とにかくって言ったってなぁ……
「夏の終わりまで待つので送って欲しいと、このように同封した為替で手付金まで先払いで」
「なんちゅう強引な……」
「それも一軒だけじゃないんです。三軒から同じ内容で来てます……うち一軒は伯爵家からの添え書き付きで……」
「伯爵家!? そんなんもうパワハラだろ!」
「パワ……? 何ですか?」
「とにかく断れないわけだろ」
「ご主人さまの
「その親戚のせいで大変な事になってんじゃん……」
なんだか頭が痛くなってきた。
自分に回復魔法をかけながら、考えを纏めていく。
とにかく、手っ取り早くいこう。
「現状でうちの縫製工場の手はいっぱいいっぱいなんだったな」
「支給用の下着から各部署の制服まで色々な物を作っていますから……」
「下着とか制服とか、既製品に置き換えできないか?」
「できるものもあると思いますが、そんなに同じものばかりは手に入らないかと……」
「下着はバラバラでもかまわんだろう、制服の統一もできる限りでいい」
「なるほど」
あ、そういえばチキンの店も在庫がなくて大変なんだっけ。
まあチキンの店も
一緒に解決してしまおう。
「あと縫製工場を拡大しよう。元お針子で今他の仕事についてる連中に話をして、戻ってもいいって奴には戻ってもらう」
「え!? あ……はい……」
なんでそんな大げさに驚くんだ?
あ、そうか……チキンの店の服はそういう連中に仕事を頼んでるって前に言ってたな。
じゃあ工場のラインの一部をチキンの店用に……
いや、これから先のためにも、もっと汎用性のある仕組みにした方がいいんじゃないか?
「えー、あー、うーん……あ……そうだ! チキンお前、増やした工場のラインの一部を借りろ!」
「えっ? 借りるんですか?」
「そうそう、金を払って直接そのラインにお前の服を作らせるんだよ」
「でもそれって職権を濫用してるって事に……」
「だから、そういう仕組をつくるんだよ!」
チキンはメモを取っていた手を止めて、不思議そうな顔で俺の顔を見た。
「仕組みって、どういう仕組ですか?」
「この先、シェンカーからお前みたいにでっかく商売を始めるやつが出てくるかもしれないだろ」
俺は人差し指をピンと立てて、内緒話をするように彼女に顔を近づけ小さくこう言った。
「そいつら全部、シェンカーで面倒を見てやれ」
「め、面倒を見るんですか?」
「そうだ。どの工場のラインでも金で貸りれるようにしてやるんだ」
チキンがごくりと唾を飲む音が聞こえた。
「幸いうちには何でもある。製粉、牧場、精肉、革加工、縫製、木工。一通り揃ってる。人材派遣だってやってる。時計職人までいる」
自分でも言ってる間にだんだんとてもいい考えに思えてきた。
「うちの人間がその力を借りて商売できるようにすれば便利になると思わないか? 工場そのものの人数も増やせるから、こういう緊急事態の時にも対応できるようになるだろ」
個人個人で人や物を揃えるよりも、用意したものをみんなで使ったほうが楽で簡単だ。
前世でもシェアハウスとかシェアオフィスとか流行ってたしな。
あとそうだ、前世じゃあ終電を逃した時によく会社の近所のマンガ喫茶に行ったものだ。
ちょっとしたお金を払うだけで新作マンガも読めたし、映画も見れてゲームもできた。
快適すぎてうちの会社ではそこに住んでる人もいたぐらいだ。
リソースの共有ってのはいい、用意する側の節約にもなるし利用者側からしても便利だからな。
「…………」
「あれ?」
俺が懐かしのマンガ喫茶に思いを馳せている間に、チキンは物凄い真剣な顔で固まってしまっていた。
「あれ? もしもーし」
俺が顔の前で手を振ると、目をぱちくりさせた彼女はバキバキと首を鳴らしてからふぅーっと長く大きなため息をついた。
そしてメモ帳に何事かを大きく書き付け、これまで見たこともないような笑顔で俺を見た。
「ご主人さま、それは素晴らしい考えです」
「そうだろうそうだろう。やっぱこれからはリソースの共有が大事だと思うん……」
「そのやり方なら! これまでシェンカーの外に出ていっていたお金や技術をシェンカーの中で回せます! これはとんでもない儲け話ですよ!」
そう言われればそうかもしれないけど。
チキン、お前目がギンギンで怖いよ……
「シェンカーから生まれた物がシェンカーを更に大きくする! 目から鱗です!」
さっきの話の何が彼女の琴線に触れたのだろうか。
何やら凄く盛り上がってしまった彼女から視線を逸らすと、机の上に開かれたままのメモ帳が目に入る。
メモ帳には大きく『シェンカー
「見ていてくださいご主人さま! これからの退役者は飲食店ばかりじゃなく、色んな商売ができるようになりますよ!」
春、それは寒さからの解放の季節。
雪は溶け、草は萌え出で、人は盛り上がり椅子に登る。
俺は小躍りするチキンを見つめながら、彼女の休みを増やす事を固く固く心に誓ったのであった。
…………………………
シェンカーの財閥化の始まりというお話でした
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