第106話 焼き焼きて 焼き焼き焼きて もう飽きて
このトルキイバの街に生まれ、中町の片隅で定食屋をやって三十余年。
飲食店の入れ替わりの激しいこの中町で長くやってこれたのは、色んな人に支えられての事だというのは俺が一番良くわかってる。
客筋は良く、常連も多くでき、こっそりと平民の服を着てまで通う貴族のお客までいてくださる。
何の不満があるんだと言われれば何の不満もねぇ。
……いや、それは嘘だな。
俺はもう、本当のところ不満だらけだった。
「おやっさん、
「んな定食ねぇ!」
「はいはい、今日は卵焼きとシチューね」
十人も入れば一杯の店内は、今日も客と料理と煙草の煙で一杯だ。
「こっちも卵焼き定食」
「たまにゃあ卵じゃなくて
「はいはい、卵焼き定食一丁」
「外の看板読んでみろ! 今日のおすすめは何だ!? 今日はトマトの煮豆が一番美味いんだよ! なぁ母さん!」
「はいはい、お次卵焼き定食」
「かーっ! 卵焼きはもう作ってても楽しくねぇ!」
そう、俺の不満はこの飯屋の看板料理扱いになっちまった卵焼きだ。
子供の頃からずーっと作ってる料理で、俺が一番最初に覚えた料理でもある。
だからこそ、評判を取ってもやり切れねぇ。
これは俺の料理人としての三十年の研鑽なんか、全く関係のない料理だからだ。
「おやっさん、今日もいい味だったよ!」
「ごっそさん!」
「やっぱここの卵焼き食わねぇと調子が出ねぇんだわ」
「うるせぇ!」
ありがたい、本当はありがたい事だ。
この料理のおかげで娘を三人も大きくして嫁にやって、今もその世話にならずに母ちゃんと二人で食っていけてるんだ。
でもよ、俺のほかの料理だって捨てたもんじゃねぇ。
よその店よりも絶対に美味い。
自信があるんだ。
だからこそ……俺はもうこの卵焼きが疎ましくて仕方がなかった。
「おやっさん! 卵焼きと酒!」
「おいサーフ! たまには特製ソースのペペロンチーノでもサービスしてやろうか?」
「あ、いや……いっす」
「かーっ! これだ! 俺が若い頃は出されたもんは何でもありがたく食ったっつーのに……」
「あンた! 卵焼き三つ、さっさと!」
「もう我慢ならねぇ!」
「我慢なんないのはこっちだよ! 今すぐ焼きな! あんたの尻に焼き入れてやろうか!」
我慢ならねぇ。
我慢ならねぇならどうする?
そりゃあ、値上げだ。
これまで四ディルだった卵焼きが、明日からいきなり八ディルだ。
こりゃあ効くぜ。
そんじゃあ卵焼きはやめて、ほかの料理にしときましょうって話になるわけだ。
効くだろうな。
効きすぎるかな?
……うちの店、潰れたりしない?
母ちゃんにしこたま怒られつつも意見を押し切り。
不安な気持ちのまま店を開け、一人目の客がやって来た。
「卵焼き定食」
「卵焼きは今日から単品八ディルに値上げだよ、焼き魚なら三ディルだ」
「え……マジかよ、おいおい……まいったねこりゃ……」
「悪ぃな、ペペロンチーノなら大盛りで五ディルだ」
「あ、じゃあ卵焼き、定食で」
「麺の気分じゃないか? ゲハゲハの大葉包み揚げ定食ならどうだ? 六ディルで腹いっぱいだぞ!」
「いや、卵焼きで」
「なんでだよ!」
「あンた! さっさと焼きな! 今日は定食は豆のスープだよ!」
母ちゃんに尻を蹴られながら卵を割るが、納得できねぇ。
なんでそんなに卵焼きがいいんだよ!
「あっ! 卵焼き値上げしてる!」
次に入ってきた客も入り口に貼られた張り紙を見て驚いてるようだな。
よしよし、さすがに卵焼きに八ディル払う物好きばかりってわけじゃあないだろ。
「そうなんだよ! 代わりに揚げ鶏はどうだ! パンとスープもついて六ディルだ!」
「卵焼きで」
「なんでだよ!」
「さっさと焼くんだよこの馬鹿亭主!」
「親父さん、俺若い時金ないのにたらふく食わせて貰ったこと忘れてないよ」
憮然とした顔の若いのが、腕を組んで俺を睨む。
「ああ!?」
「だから……! 親父さんが苦しい時ぐらい食って支えるっつってんだよ!」
「苦しくねぇよ! 馬鹿野郎!」
「苦しいよ! あんたが毎日出もしないメニューの食材めちゃくちゃ買ってくるから!」
また母ちゃんに尻を蹴られた。
でも新しいメニューは常に考えてないと流行に置いてかれちゃうだろ!
ただでさえシェンカーが色んなメニューを流行らせてんだからさぁ。
そう、シェンカーだ。
今やこの街の実質的な支配者とも言える、マジカル・シェンカー・グループ。
シェンカーの人達にはうちの店も贔屓にして貰ってるが、俺は正直なところ目下一番のライバルだと思ってる。
小麦粉を細く長く伸ばしたペペロンチーノ、食感が楽しいうどん、最近で言えば贅沢に肉を使用したハヤシ
街で噂の幻の屋台なんてのもシェンカーだと聞くし、とにかくあそこは食への探究心が半端じゃねえ。
アストロバックスだってべらぼうに高いがきちんと美味しいんだ、母ちゃんと娘達と一緒に一張羅着て食べに行ったんだからな。
シェンカーに負けないためには、卵焼きだけじゃ駄目だ。
駄目なんだが……
「おやっさん、卵焼き定食」
「こっちも卵焼き、あと酒」
「あンた! 卵焼き二つ!」
出るのは卵焼きばかり。
俺、料理の才能ないのかなぁ……
その後も色んな事を試した。
逆に激安のメニューを出してみたり、卵焼き以外を頼んだら酒を割引したり。
いっそ卵焼きを出すのを止めちまおうかとも思ったんだが、それは母ちゃんと娘達が許さなかった。
俺はこのまま、卵焼いて死ぬのか。
なんて、開ける前の店前でそんな事を考えながら煙草を吸っていた時に、不意に懐かしい顔を見かけた。
「おぅい! ピクルスじゃねぇか!」
「え? あっ! おっちゃん……」
ピクルスは小さい頃に他所の土地からトルキイバに売られてきた馬人族で、体がでかいからいつでも腹を空かせていた子だ。
うちにもよく飯を食いに来ていたのに、最近は体がデカいから店の迷惑になるとか言って寄り付かねぇ。
うちにゃあそんな事気にする客はいないってのによ。
「この野郎、うちの前を素通りしようなんざふてぇ野郎だ! 冷てぇじゃねぇか、情がねぇじゃねぇか。何か食ってけよ! 腹減ってんだろ?」
「あのぅ……おっちゃん……今日は……」
「心配すんな、いつも通り払いは麦粥一杯分でも構わねぇよ。若ぇ時はみんな腹減ってんだからよ! 遠慮せずに食ってけ食ってけ!」
「いやその……護衛の仕事中でぇ……」
護衛の仕事?
こいつ冒険者じゃなかったか?
そういえば、今日のピクルスはあんまり見ない格好をしていやがるな。
カッチリとした、まるで軍服みたいな……
「ピクルス、知り合い?」
「あ……ご主人様、昔からお世話になっているお店の店主さんで……」
ご主人様だぁ……?
あ、ピクルスんとこの親方っつったら。
もしかして、サワディ……サワディ・スレイラか!?
「もう晩飯時だしさぁ、せっかくだから何か頂いていこうよ」
「ご主人様がそう仰るなら……」
「え? え? シェンカーの……サワディさん?」
「どうも」
黒いコートを着たクセ毛の若者が、こちらに向けてニコリと笑った。
唐突な大物の来店に、急遽貸し切りとなった店内のカウンター。
そこに地面に膝をついたピクルスと、コートを脱いだサワディさんが並んで座った。
俺はもう膝がガクガクだ。
サワディさんの名前を聞いても全く動じない頼もしい母ちゃんの腕に縋り付くようにして、ギリギリで厨房に立っていた。
「あ、あの……それで、何にしやしょう」
「ご主人様、ここは卵焼きがオススメで……」
「うーん、昼も卵料理だったからな。あのオススメって書いてある特製ペペロンチーノ定食で……」
「それじゃあ私もそれで」
「へ、へえ! 母ちゃん特製ペペロンチーノふたつ!」
「あンたが作んだよ!」
いつものように母ちゃんに尻を蹴られ、慌てて鍋を火にかけた。
まずったなぁ、そこらの貴族よりもよっぽど恐ろしい人を店に呼び込んじまった。
なんせ相手はあの
なんか粗相があって肉の卸しなんかを止められちまったら、うちなんか来週には食い詰めだ。
震える手で茹で上げた麺を引き上げ、緊張で曲がらない肘を突っ張ったまま、操り人形のように器にスープを注ぐ。
落ちつけ、今日のペペロンチーノは自信作の創作料理なんだ。
店に出し始めて五日、まだ誰も頼んでないけど……
食ってもらえばわかる、絶対に美味いんだよ!
「へいお待ち!」
スープを零さないように体の震えを抑えながら、なんとかカウンターに器を差し出す。
そうしてフォークを差し込んで一口食べて、細く息を吐きながら天を見上げる。
え? どっちだ!?
美味いのかまずいのか!
「これは……」
「ど、どうですか!?」
「ちょっと待って……まさかなぁ……」
サワディさんは丼を持ち上げてスープを啜って一つ頷き、顎に手を当てて言った。
「これ、ラーメンじゃん!」
「ラーメンですか?」
「うん、ラーメン」
「ラーメンってのは何ですか!?」
おんなじような料理がどこかにあるんだろうか?
「ラーメンってのは東の方の料理で……それよりこれ、麺はどうやって縮らせたんですか? こんなド内陸でかん水なんて手に入らないはずなのに」
「その麺はスープに絡ませるための特別製で、ふくらし粉を使ったんでさぁ! スープは豚の骨とゲハゲハの干物をコトコト煮込んで……」
俺の説明に熱心に頷きながら、サワディさんはもう一度麺をズルズルと啜った。
「本当にラーメンだ! まさかこんな所で食べられるなんて!」
「そんなに美味しいですか?」
「めちゃくちゃ美味いよ! 元々揚げ麺はこれを目指して作ったんだ」
「へぇ~」
知らなかった。
軍にも納品されてるっていう保存食の元がこの特製ペペロンチーノだったとはな。
「しかし本当に、美味い。美味いなぁ……ローラさんにも食べさせてやりたいよ」
目尻に涙まで浮かべたサワディさんは一気呵成に麺を吸い込み、スープまで全て飲み干してしまった。
あんなに気に入ってもらえると、料理人としては冥利に尽きるってもんだ。
しかし、サワディさんはラーメンなんて料理を一体どこで食べたんだろうか?
「あンた! 定食だよ!」
「おっといけねぇ、今日は定食はシチューだよ」
「ラーメンに、シチュー……」
空になった丼の横に並べられたシチューの皿を見て、サワディさんはなんとも言えない顔をした。
シチューがお嫌いだったのかな?
「おっちゃん、卵焼き頼んでもいいっぺか?」
「もちろんだ! 卵五個使った特製にしてやるよ」
「ありがとうねぇ」
特製ペペロンチーノを褒められたからだろうか、さっきとは打って変わって体が動く。
今日はじめていつもの訛りが出たピクルスに卵焼きを出してやる。
「美味そうだな、一口ちょうだい」
「あ、どうぞどうぞ」
出汁の入ったフワフワの卵焼きを頬張って、サワディさんは幸せそうな笑顔を見せた。
やっぱり、サワディさんも卵焼きの方が好きか。
仕方ねぇよな、そういうもんだ。
「ピクルス、シチューあげる」
「あ、頂きます」
シチューをピクルスにあげて、卵焼きを食べるんだろう。
俺は頼まれるであろう卵焼きを作るために、卵を二つ手に取った。
「店長」
「へいっ!」
「特製ペペロンチーノ、もう一杯!」
「へいっ! って、えっ!?」
俺の手が卵を割るのと、隣の母ちゃんから尻に蹴りが入るのはほとんど同時だった。
あの日から、俺は卵焼きの値段を元に戻した。
なんというか、安っぽく言えば自信がついたからだ。
あんな大人物におかわりまでされるって事は、俺の腕はそう捨てたものじゃない。
俺は卵焼きだけの男じゃない。
わかる人はきちんとわかってくれるのだ。
「おやっさん! 卵焼き定食!」
「あいよっ!」
「こっちも卵焼き! あと酒!」
「はいはいっ!」
「このサワディ定食って奴をもらおうかな」
「サワディ定ね!」
あの特製ペペロンチーノは違いのわかる男サワディさんから名前を頂いた。
名前のおかげか、シェンカーの人達もぼちぼち頼んでくれるようになった。
やっぱり、料理ってのは研鑽だ。
コツコツ研究をしていれば、こうして色んな面から認められる時が来るもんだ。
ただ、お貴族様の嫁さんを連れてきたサワディさんが、定食の名前を見て苦虫を噛み潰したような顔をしていたのには申し訳なかった。
やっぱり、入婿のサワディさんの事だ。
お嫁さんの顔を立ててスレイラ定食にしといた方が良かったんだろうか?
…………………………
大袖振豆もちが美味しすぎる
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