第25話 逢引は ちゃちな芝居と 奴隷の巣
朝、ベッドまで柔らかな陽の光が差し込んできてゆっくりと目が覚める。
気配を察した使用人がやってきて、丁寧に髪の手入れをしてくれる。
私は暖かなお茶を飲み、ぬるま湯の洗面器で顔を洗う。
戦場とは大違いだ。
攻撃魔法の地響きで起き、土煙に塗れた日々も嫌いではなかった。
夜明けと共に敵を焼き、死体の下に隠れて微睡み、将官に作戦を提示して「それは無理だ」と言われれば心が踊った。
戦場はどこまでも真っ直ぐだった。
将軍も奴隷も、生きるか死ぬかだ。
だが、私もいずれは家庭に入る身なのだ、もう佐官時代の事は忘れてしまったほうがいいのだろう。
「もう少し胸を寄せたほうがいいだろうか?」
「ローラ様、もう充分にございます」
「一応、もう少し寄せておこう」
流行りの編みのブラジャーを使って、更に谷間を作る。
汎用の鎧を着れずに困った原因である無駄に大きな胸も、色恋事でならば有用な武器に早変わりだ。
小さな
もっとも、あの子がもっと好きなのは私の引き締まったお尻らしいが。
この間も視線が熱かったが、彼のためにも伝えた方がいいのだろうか?
「なあミオンよ、旦那様が後ろから尻を見てくるのだが、バレてるぞと言ってさしあげた方がいいんだろうか」
「ローラ様、見せておやりなさいな」
お母様の代からの側仕え、百戦錬磨のミオン婆がそう言うのなら間違いないのだろう。
しょうがないな。
だが他の女の尻を見たら足を踏んでやろうか。
「ベルトの位置を少し高くしておきます」
「ま、よかろう」
今日のデートで見る芝居は『戦争もの』らしい。
異世界からやってきた天才軍師が劣勢の国を知略で勝たせていくという話らしいが……さて、どんなものだろうか。
「来られましたよ」
「ああ、すぐ行く」
玄関に出ると、学校と大して変わらない服を着たサワディ君が立っていた。
私よりも頭一つ分背が低い彼は、中肉中背を絵に描いたような見た目で。
顔こそ貴族顔だが、特別端整だとかそういうわけでもない。
とてつもなく普通、そういう男だ。
私がこういう普通の男と一緒に歩ける日が来るとは思っていなかった。
十中八九戦場で死ぬと思っていたからな。
「あ、ローラさんおはようございます」
「ああ、おはよう」
む、寝癖がついているぞ。
家族は誰も教えてくれなかったのか。
「寝癖がついているぞ」
「はぁ」
私が頭を触って教えてやっても「それが何か?」という態度だ。
まぁ、男などこういうものか。
「これでどうですか?」
「君はなかなか器用なやつだな」
自分の指先から熱を出して髪を真っ直ぐにしたのか、やはり精密な魔力操作は教師顔負けだな。
これで攻撃用の魔力が問題なく精製できていれば、指揮官にとって大変便利な砲兵になっただろう。
いや、いかんな。
それならばこの出会いもなかったか。
彼の乗ってきた町馬車に乗って、劇場へと向かう。
熱心に今日の芝居の裏話を話す彼だが、若い男特有の甘い匂いが隣から漂ってきて集中できない。
つい座席の間を詰めてしまう。
彼のぴょこぴょこ動く襟足の毛を片手で触りながら、楽しそうな横顔をずっと眺めていた。
私の開いた胸元の谷間に視線が行きそうになるのを、必死に外を見たり壁を見たりして視線を逸らす小さな
このまま劇場ではなく別の場所に連れ込みたくなったが、そこはぐっと抑えた。
はしたない女と思われたくはない。
『つまりこの陣ならば戦える味方の数は敵よりも多い、これを狭路殲滅陣と名付けます』
『おおっ!なんということだまさに天才だ!』
『すごい!』
『すごい!』
『すごい!』
『すごい!』
『すごい!』
『やめてくださいよ、誰でも気がつく当たり前の事を言っただけです』
『なんと謙虚なのだ!』
『すごい!』
『すごい!』
『すごい!』
『すごい!』
『すごい!』
隣の彼や他の客も、演者と一緒に『すごい!』と叫んでいる。
あの状況なら前線を死兵で押し留めて後方に絨毯爆撃をするのではいかんのか?
魔法がない世界っていうのはどうも想像できない。
召喚された異世界人の主人公が出世していく軍政のドラマはなかなか楽しめたが、肝心の軍略は穴だらけに思える。
まあ、楽しんでいるところに水をさすのはどうかな。
私も『すごい!』と言っておくか。
『すごい!』
ああ、笑顔が可愛いな。
芝居が終わってから、彼が経営しているという下民用の店に連れて来てもらった。
味には自信があるとのことだが、私も華の王都の出、そうそう味に驚く事はないだろうがな。
「これ、うちで人気の珈琲なんです。上のクリームを混ぜると甘いですよ」
「ほう、珈琲のシャーベットみたいなものか。見た目はいいじゃないか」
「味も見てみてくださいよ」
珈琲の茶色とクリームの白の境界線が美しいそれに口をつける、ほう、なかなか豆にも気をつかっているな。
甘くすることを前提にして選定、焙煎したのか。
酸味と苦味のバランスがいい。
冷たさが舌を麻痺させる中でも、きちんと味と匂いがわかる。
安い味だが、悔しいが美味い。
さじでクリームを混ぜる。
一気にまろやかになり、もうこうなると珈琲とは別の飲み物だが、これも美味い。
頭を使った後なんかに欲しい味だな。
「どうですか?」
下から覗き込むように聞く彼に「負けたよ」と言って頭をくしゃりと撫でる。
いかんな、よく体に触るはしたない女だと思われていないだろうか。
「お待たせしました」
「ああ、これはパンケーキです、女性には人気があるんですよ」
侍女が持ってきて、彼が差し出すのは茶色いパンに白いクリームとベリーのソースが乗ったものだ。
「ありがとう、しかし貸し切りにしてもらって良かったのかい?この店、流行ってそうだけど」
席数はなかなかあるんだが、今は一番日当たりのいい席を私達2人で独占してしまっている。
この店が彼の小遣いの元なら、邪魔してしまったかなと思う反面……
貸し切りにしてもらって嬉しいという気持ちもある、度し難いな。
「ああ、いいんですよ。気にしないでください。それより食べてみてくださいよ」
「そうか、じゃあいただこうかな」
彼がクリームとソースをパンの上に押し広げるようにして食べるのを真似してみる。
ナイフで切って、おっと、パンの中に何か入っているな。
これはシロップか?
とことん甘い食べ物なんだな。
甘いものは美味しい、だからこれもまずいわけがない。
おっと。
白いものはさっきのクリームと違い冷たかった。
「それ、クリームを冷やしたんです。『アイスクリーム』とでも言いましょうか」
「なるほど新鮮だ」
バニラが入っているようで、複雑な甘みのそれが予想外に口をスッキリさせる。
あっという間に皿の上が空になってしまった。
ああ、口のはじにクリームがついている。
仕方ないな。
「あっ、すんません」
「いいんだよ」
ハンカチで拭いてあげると、別にすまなさそうでもない感じで礼を言われた。
後で袖口かなにかで拭うつもりだったな?
男の子というのは、まったく。
「他に何か食べますか?どれも美味しいですよ」
「ふーん、絵付きの品書きとはわかりやすいな」
「このボロネーゼとかは人気です。あとこのマルゲリータとかも」
「見たことのない料理ばかりだね、異国の料理人でも買ってきたのかい?」
「いや、僕が考えたのを料理人達が一生懸命作ってくれたんですよ」
ふぅん、今日見た芝居みたいだ。
あれもこの国の料理を異世界で出して蛮人どもを喜ばせていたな。
とりあえず、白赤緑の彩りが綺麗なマルゲリータとやらを頼んでみるか。
「これを頼んでいいかい?」
「かしこまりました」
側に仕えていた侍女が頭を下げて厨房に向かった。
なかなか豪奢な服を着ているじゃないか。
「あの服」
「はい」
「ああいうのが好みなのかい?」
「そういうわけじゃないんですけど、拘ったらああなってしまいまして」
「今度着てあげようか?」
「え?あ、いや……はは」
「どうした、嫌なのかい?」
「いや、サイズがね……」
言葉を濁す彼の視線は、私の胸元に来ていた。
口元が緩む。
やはり、寄せて正解じゃないか……ミオン。
店を出ると、もう夕方だった。
店の前には町馬車が待っていて、その周りを揃いのブレザーを着て武装した女たちがたむろしていた。
「ご主人様、お疲れ様です」
「ああ、お疲れ様」
鱗人族の女が彼に頭を下げているが、実家の商会の私兵なんだろうか。
なかなか体格のいい奴隷だ。
向こうにいるケンタウロスはかなりの恵体だな。
馬部分もそうだが、人間部分もコンパクトながら筋肉の塊だ。
どういう鍛え方をさせているんだろうか。
「実家の私兵かい?」
「いえ、奴隷冒険者なんですけど、こういう時は警備を頼むんですよ」
「冒険者か、この娘などは軍なら曹長並だな」
「こいつ、元軍人ですよ」
そう言われた鱗人族は素早く脱帽時の敬礼をした。
なるほど、自分で治せるのならば奴隷というのはなかなか掘り出し物が多そうだな。
「奴隷で軍隊でも作るつもりなのか?」
「いえ、魔結晶を集めて貰ってるんですよ。うちは商家ですから」
「ああ、なるほどな」
無駄に鍛えられているのは彼の酔狂ということか。
戯れに軽い殺気を飛ばしてみる。
鱗人族は迷うことなく私とサワディの間に入り壁となった。
離れた場所にいるケンタウロスは鬼のような形相で片手に投げ槍を構え、筋肉を弓のように引き絞っている。
よく見ると他にも赤毛の魚人族が背中で剣を抜いているし、他の奴隷たちも大半が武器に手を添えている。
よく躾られているじゃないか。
草刈りの者なりに、それなりに死線は超えているようだ。
「よく鍛えているじゃないか」
私は鱗人族の肩に手を置いた。
金色の目の奥が全く油断していないな、いつでも死ぬ気だ。
たかが奴隷にここまで忠誠心を持たせる……か。
また一つ、彼の魅力が見つかったな。
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