保健室のマヨちゃん

 保健室にやって来た僕たちは、変わり果てたマヨちゃんの姿を見て愕然とした。

 どうして……どうしてこんなことに……。


「あーもう、朝から最悪だよー!」


 声をあげるマヨちゃんは、全身泥だらけ。

 上着やらズボンやらそこらかしこが泥で汚れていて、酷い有様で椅子に座っている。


 ただ汚れてはいても、怪我をしているようには見えないし、元気そう。これはいったい?


「マヨちゃん、怪我は大丈夫なの?」

「そうだ、もうすぐ救急車が来るって聞いたぞ」

「救急車? 何それ?」


 ケロッとした様子で答えるマヨちゃん。次に十勝君に目を向けると、慌てたように口を開いてくる。


「お、俺は嘘なんて言ってねーぞ。真夜子が木から落ちて死にそうだって、確かに聞いたんだからな!」

「え、ボク死んじゃうの? ヤダよ、今夜見たいテレビがあるのに」


 あ、うん。たぶんそれは大丈夫なんじゃないかなあ。だって全然死んじゃいそうにないもん。

 するとこれにクスリと笑ったのが、保健室の主、牧恵先生。

 長い髪をした若い女の先生で、慌てる僕達をなだめるように、穏やかな笑顔を向けてくる。


「マヨちゃんが死ぬわけないじゃない。木から落ちたのは本当だけど、ちょっとお尻を打っただけよ。だいたいこの子、これくらいいつものことだもの」


 そういえばマヨちゃん、転校してきてからというもの、外を走り回ってはちょっとした怪我を繰り返していたっけ。その為牧恵先生からはすっかり顔を覚えられている。


「本当は念のためベッドに寝かせた方がいいかもしれないけど、こんな泥だらけじゃあ、寝かせられないわね。まあマヨちゃんなら大丈夫でしょう」


 その一言で片づけられちゃうのもどうかと思うけど、まあマヨちゃんなら。


「だけど、どうして木に登ったりしたの?」

「一年生の子達がね、ニャンコが木に上って降りられなくなってるって困ってたの。そこにたまたまボクが通りかかって、登って助けようとしたんだけど」

「途中出足を滑らせて落ちちゃったってこと? でも、よく無事だったね」

「もう大分降りた後だったし、地面がぬかるんでいたから大して痛くなかったよ。ニャンコも無事だったからよかったんだけど、泥だらけになっちゃって。あーあ、お母さんに怒られちゃうなあ」


 珍しくしょげた様子のマヨちゃんだったけど、たいした怪我がなくてよかった。泥だらけになっただけで済んだのは、むしろ幸いだったかも。


「けど、真夜子が木から落ちるなんて珍しいな。いつもはスルスル登ってのに」

「きっと雨で滑ったのね。だめよ、あんまり危ない遊びしちゃ。マヨちゃんも、それと十勝君もね」


 マヨちゃんだけでなく、十勝君にも注意する牧恵先生。

 十勝君は「何で俺まで怒られるんだ?」って言ったけど、先生は目をつり上げる。


「何言ってるの、あなただって普段は似たようなものじゃない。一年生の頃から、どれだけ大変だったか」

「うっ……」


 ああ、言われちゃってるねえ。確かに十勝君もよく無茶をして、保健室のお世話になってるイメージがある。


「君はこの二人と違って、ヤンチャはしなさそうね」

「まあ、そうかもしれません」

「それじゃあ、二人のことは君に任せたわ。無茶をしないよう、君が見張っててね」

「はい……」


 とんだ大役を任されてしまったけど、果たして僕につとまるかなあ? とても手に負えないような気がするけど。

 そんなことを思っていると、牧恵先生は保健室の入り口へと目を向ける。


「で、そっちの子達は何かな?」


 そっちの子達?

 って、あれ。そこにいるのは。


「あれ、加藤さん?」


 皆の視線の先、保健室の入り口から顔を覗かせているのは、さっき教室で分かれたばかりの加藤さん達三人だった。


「美春ちゃん……まだ何かあるの?」


 昨日あんなことがあったせいか、少し警戒ぎみのマヨちゃん。だけど、その加藤さん達は弱々しく頭を下げてきた。


「マヨちゃん、昨日はあんなこと言ってゴメン」

「私達、マヨちゃんのこと誤解してた……怪我、大丈夫?」

「えっ? う、うん」


 てっきりまたケンカが始まると思っていたマヨちゃんだったけど、謝られて毒気を抜かれちゃったみたい。だけどすぐに、いつもの笑顔を見せる。


「分かってくれたのなら良いよ。ボクもゴメンね。昨日は言い返したりして」


 昨日あんな大ケンカをしていたとは思えないくらいの素直な様子で、ぺこりと頭を下げて。

 良かった、ちゃんと仲直りしてくれた。

 決して根に持たずに、終わったことは全て水に流すのがマヨちゃんの良いところ。だけど加藤さん達は、依然として浮かない表情のままだ。


「そ、それで、怪我をしたって聞いたんだけど、平気なの?」

「うん、全然大丈夫だよ。服はちょっと汚れちゃったけどね」

「そ、それなら体操服を着ると良いよ。私、隣のクラスから借りてくる」

「いいの? ゴメンねわざわざ」


 昨日とはうって変わって、やけに親切な加藤さん達。無事に仲直りできて、本当に良かった。良かったんだけど……。


 なんでだろう。僕には加藤さん達の笑顔が、変にぎこちなく思える。何だか無理をしていると言うか、うーん……。

 すると同じことを思ったのか、十勝君がそっと耳打ちしてくる。


「アイツらって、あんなに親切だったか?」

「うーん、昨日あんなことがあったから、今度は仲直りしようと頑張っているのかも?」


 本当は自分で言ってて釈然としなかったけど、マヨちゃんも機嫌良さそうだし、まあいいか。

 変に突っついて、蒸し返す事も無いしね。


「ほらほらあなた達、仲良しなのは良いけど、もうとっくに始業ベル鳴ってるわよ」


 あ、そうだった。皆すっかり忘れていたけど、早く教室に戻らないと怒られちゃうよ。


「じゃあ私、急いで体育服借りてくるね」


 勢いよく保健室を飛び出して行く加藤さん達。僕と十勝君もマヨちゃんを先生に任せて、一足先に教室に戻ることにする。


 けど良かった。怪我も大したことなかったし、誤解も解けたし。これで万事解決、一件落着だね。


 と、この時はそう思っていたんだけど。本当に大事になるのは、むしろこれからだと言うことに、僕はまだ気づいていなかった。

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