黒い影の正体

 十勝君が向かった先は、庭に面している廊下。たぶんマヨちゃんの話に出てきた、庭にいる影を見たと言うのはここなんだと思う。

 だけど追いついたぼくとマヨちゃんは、そこにいた十勝君のすがたを見て、そのまま言葉を失った。


「なあ、来たはいいけど、やっぱり何も感じねーや。影ってのは、本当に近くにいるのか?」


 十勝君は見えないし、感じられないのだから、そう思っても無理も無い。だけど、影は本当に、近くにいるんだ。

 ガラス張りの引き戸の前に立って、雨のふる庭に目を向けながら、のんきな声を出している十勝君。だけどそのすぐ目の前、ガラス一まいをはさんだ向こう側に、そいつはいた。言いようの無い、重たい空気を放っている、黒い影が。


 そしてこんなに近くにいるのに、そいつの正体は分からないまま。だって、頭の上から足の先まで,ほんとに前進真っ黒で、影みたいなんだもの。マヨちゃんがコイツの事を『影』って言っていたのも分かる。

 って、そんな事を考えてる場合じゃないか。まずは、何も知らない十勝君を、早くにがさないと。


「と、十勝君」

「今すぐそこからはなれて!」


 二人の間には引き戸があるけれど、その距離はかなり近い。もしもあの影が引き戸をやぶって中に入ってくるようなことがあったら、十勝君は無事じゃすまないかもしれないのだ。

 だから、ぼくもマヨちゃんも、すぐににげるよう言ったんだけど。


「なに、やっぱりここにいるのか? おい影、オレが相手になってやるから、かかってこい!」


 そんな、逃げてほしいのに。どうしてわざわざ、相手を怒らせるようなことを言っちゃうの?


 背中に、イヤな汗が流れる。すると今までじっとしていた黒い影から、細長いぼうみたいな物がのびてきた。いや、あれはもしかして、腕?


 一見、黒い塊みたいに見える影だけど、もしかしたらちゃんと人か動物の形をしているのかもしれない。のびてきたその腕らしきものは、そのまま十勝君の方へと向かっていって……戸をつきぬけた。

 えっ、何でつきぬけられるの? ぼくはビックリしたけど、よく考えたら相手は妖怪。人間の常識なんて通用しないんだ。もしかしたらあいつにとって、戸やカベなんて意味が無いのかもしれない。


「十勝君、早くにげて!」


 だけどさけんだ時には、すでに手遅れ。戸をすりぬけた腕は、そのままふり上げられ、十勝君の頭をガシッとつかんだ。そのとたん……


「ーーーーッ⁉」


 十勝君の顔色が変わった。一瞬にして、真っ青になって、息も荒くなっている。


「十勝君、大丈夫なの⁉」

「あ……ああ……」


 マヨちゃんはさけんだけれど、十勝君には聞こえているのかいないのか。ずっと一点だけを見つめたまま、固まってしまっている。これはマズイ、影がいったい何をしたのかはわからなかったけど、このまま放って置いたら、大変な事になっちゃうかも。


「と、十勝君からはなれろー」


 ぼくよりも早く、マヨちゃんが腕をふり上げて、十勝君の元へかけよっていく。だけど。


「…………」


 今度は影の全身が動いた。まるで引き戸なんてそこには無いかのようにスルリとすりぬけて、難なく家の中へと入ってくたのだ。


「ーーひっ」


 マヨちゃんの足が止まる。入ってきた影との距離は、もうそんなにない。もしも向こうがその気なら、すぐにでもおそわれるだろう。

 でも、いったいどうすればいいの? 影に頭をさわられた十勝君は、凍ったみたいに固まっちゃってるし。いや、人にばっかり、まかせちゃダメだ。ぼくだって、何かできるはず……


「止めて!」


 影とマヨちゃんの間にわって入って、守るように両手を広げる。

 作戦があるわけじゃない。このまま二人とも、おそわれちゃうかもしれない。何の役にもたたないことをしているとは思うけど、仕方ないじゃないか。気がついたときには、足が動いちゃってたんだから。


「出てって……今すぐここから出ていってよ!」


 声はふるえていたけど、必死になって影に向かってさけんだ。だけど影は、ピクリとも動かないまま。いったいこの影は、何を考えているのだろう? そう思ったその時。


「……オマエ……ちがウ」


 えっ、しゃべった⁉

 しゃべることのできる妖怪は数多くいるけどこの影もしゃべる事が出来たんだ。だけど『チガウ』って、いったいどういうこと?


「……ここにハ……いなイ」


 いなイ……いないって、だれかがいないって言いたいの?

 だけど、考えられたのはそこまで。それまで真っ黒だった影に、急に色がつき始めた。それはまるで、テレビのヒーローが変身する時みたいに、だんだんと体が変化していって、少しずつ、新しい姿が作られていく。

 そうしてうかび上がったすがたは、二メートルはある大きな体。全身に茶色い毛が生えていて、二本の足で立っている。そして頭には、大きな角が、二本のびていた。


 もしかして……身体中に毛が生えてはいるけど、これは……


「鬼だ……」


 マヨちゃんの声が聞こえてくる。うん、ぼくも同じ事を思ったよ。

 鬼と聞いてすぐにうかぶ、赤鬼や青鬼とはちょっと違うみたいだけど、角を生やしたそのすがたは、まちがい無く鬼。しかもこの鬼、かなり力が強そうだ。もし戦ったとしても、絶体に勝てないだろう。


 十勝君と同じように、今度は僕とマヨちゃんが、怖くてで動けなけなる。この鬼はいったい、何が目的なの?


「……アシタ」

「えっ?」

「アシタまたクル……コンドはちゃんト、しとめル」


『アシタ』って、『明日』の事? それに『しとめル』っていったい……

 だけど不思議に思うヒマなんて無くてもなく、鬼は来たときと同じように、戸をすりぬけて庭へと出て行ってしまった。


「アシタダ……ケッチャクをつけル」


 鬼は意味不明なことを言ったかと思うと、また黒い影のすがたにもどって、そのままどこかへと走って行ってしまった。

 結局、何がしたかったのかは分からない。だけどどうやら、ぼく達は助かったみたい。思わず安心して、息がもれる。

 だけど安心したその時、全身の力がぬけて、ぼくはその場に崩れ落ちてしまった。


「コウくん!」


 すぐに動いたマヨちゃんが、心配そうにかけよってくる。でも平気、腰がぬけただけで、どこかケガしたわけじゃないから。

 それにしても怖かった。鬼が近くまで来た時は、死んじゃうかと思ったよ……あ、そうだ!


「十勝君!マヨちゃん、ぼくはいいから、十勝君が大丈夫かどうか見て」

「あ、そうだった。十勝君、平気?」


 十勝君は固まったままだったけど、声をかけてゆさぶっているうちに、ハッと正気にもどる。


「あれ、オレ今まで何をしていたんだ?」

「覚えてないの? あ、その前にまず見えないか。十勝君はね、あの黒い影におそわれたの。で、あの影の正体は、毛もくじゃらの鬼だったんだよ」

「鬼って、あの赤とか青とかの、角の生えた鬼か? でも毛もくじゃらって……ハ、ハクション!」


 大きなクシャミをする十勝君。そう言えば、まだ顔色が悪いような気が……


「本当に大丈夫? どこかいたかったりしてない?」

「ああ、そう言えばさっきから、やけに寒気がするな。これがお前らの言っていた、ゾワゾワやヒヤリってヤツか?けどもう鬼はどこかに行っちまったんだろ?」

「そのはずなんだけど……」


 そもそも十勝君は、妖怪の事を感じたりはできないはず。なのに寒気がするってことは、ぼくやマヨちゃんの感じたイヤな気配じゃなくて、本当に体調が悪いのかも。


「ボク、お母さんに言ってくる。十勝君は、部屋で休んでて」

「あ、ああ。わりぃ」


 両手で身体をさすりながら、寒気をガマンしている十勝君。今日は雨がふっているけど、むしむししてて暑いくらい。だけどこの様子。これはやっぱり、何かがおかしい。それに、鬼が言っていた事も気になる。


(あの鬼が言ってたのって、ひょっとして『明日また来る』って事かな? ぼくたち、あんなのを相手にしなくちゃいけないの?)


 もしも明日本当にまた来たら、今度もちゃんと追い返すことが出来るかなあ? いや、今日のだって追い返したわけじゃ無い。鬼が勝手に出て行っただけだ。なぜ行っちゃったのかは分からないけど、もしも本気でぼく達をおそってきたりしたら、その時はどうなっちゃうだろう?

 

 自分達がどれだけ怖いモノと戦おうとしているか。ぼくは今になって、ようやく分かってきた。

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