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「マホロバコヒーレント」
咲 雄太郎
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軌道エレベータの開発者の一人として名高いエアロ・サブソニックの幼年期は、どんなに過大に見積もってもごく平凡なものだった。
ケニアのナイロビ郊外で生まれ育った彼にとって、当時まだ遅まきの発展を遂げつつあった「同じ国」で比較しても、彼ら家族の生活水準の低さは言うまでもなかった。とは言え、周囲を見渡せばどこの家庭も大した差はなく、そういう意味では誰もが平等な生活を営んでいたとも言えた。平等で、そして平穏だった。
エアロの父は漁師だった。ヴィクトリア湖周辺に住む男の誰もがそうであるように、毎日沖へと出向き、当時東アフリカの国々が外貨獲得のための水産資源として有用だった”ナイルパーチ”の捕獲漁を生業としていた。母親もエアロの学費を稼ぐために内職をしており、”ホテイアオイ”の蔓で編んだバスケットなどを売って日銭を稼いでいた。エアロはそんな二人のことを心から尊敬していたし、何不自由なくとまでは言わないまでも、衣食住には困らない、最低限の暮らしにこれといった不満はなかった。
しかし一昔前までであれば、貧困や売春、疫病でもっとひどい状態が当然の時代もあったという話をエアロの父親はよく息子へと語った。事実彼の父親は、当時”ジャボーヤ”と呼ばれる、女性が漁師から質の高い魚を買うために自身の肉体と一〇ドルばかりのお金を代償として差し出すという“フィッシュ・フォー・セックス”の悪しき風習が残っていた時代に、一人の女性仲買人を母として生まれた。
その後、忌まわしき悪習のせいで幼い弟と母親がHIVに感染し、その治療薬を稼ぐために今のエアロの年とさして変わらないぐらいで船に乗ることを余儀なくされたのだった。
しかし”新人種(ニューレース)”の躍進がもたらしたインフラ設備や産業プラットフォームの整備、そして治療薬の確立によってHIVやAIDSといった従来の難病が悪しき風習とともに根絶されたことを、まるで当時を振り返るようにエアロに話して聞かせたみせた。そして少なくとも人間らしい生活を送る上では困らなくなったということを。父は彼らに感謝しているとも言った。
ポスト・新人種(ニューレース)時代に生まれた子供の一人であったエアロは、そんな父の言葉を聞いてどうして自分は”新人種(ニューレース)”として生まれることができなかったのだろうという失望感を抱くことが多々あった。彼はスクールではいつもトップの成績だったし、近所に住む人々からは誰も考えもしなかったようなことを思いつくことで(それを大抵いたずらや悪ふざけにつなげてしまうことで)ある意味一目置かれる存在だった。そんな彼でさえも心はまだまだ未発達のままで、ティーンエイジャーが一度は通るであろう道のりに出くわし、考えすぎで一晩中眠れなくなることも多かった。
そんな時エアロはおよそ五マイルも先にあるヴィクトリア湖周辺まで歩いて行き、寝転がりながら空を見上げ、夜空の星を数えることにしていた。真っ暗闇にかすかに光る無数の星々とヴィクトリア湖の波の音が、彼の不安をどこか遠くへ消し去ってくれる気がしたからだ。
そんなある夜のことだった。エアロがいつものように満天の星空を眺め、日々の仕事や勉学で疲れ切った心に安らぎを与えていると、そのうちの一つがなんと天から落ちてきたのだ。それはわずかな時間、上空を昼間ほどに明るく照らし、耳をつんざく轟音を伴ってヴィクトリア湖のど真ん中に墜落した。後で知ったことだったが、落ちたのは星ではなく、人工衛星の残骸だった。
エアロは正体不明の「何か」が墜落する光景を一部始終を食い入るように観察し、最終的にそれが湖に落ちたことを確認すると、無意識のうちに父が普段漁で使う船の元へと駆けていた。父からは一通り船の操縦を教わっていたし、夜中に船を出してはいけないとは言われてはいなかった。もちろん「そんなこと」をわざわざ注意せねば分からないほど自分の息子が愚かなわけがないという、父親の心遣いに気づかぬエアロではなかったが。
突然の事態に興奮はしていたが、そんな子供じみた言い訳(エクスキュース)を考えるほどには彼の心に余裕はあった。少なくともエアロ自身はそう思っていた。給油量を事前に確認せずに出発するという初歩的なミスに気がつくまでは。
人工衛星の残骸が燃える炎を頼りにエアロは船の指針を取った。到着する頃には既に炎は消えかけており、残骸は破片となって水面に四散していた。漂う一つを手に取ってそこで初めてエアロはそれが人工的な何かであることを理解した。彼くらいの年頃だと未知との遭遇には極めて真っ当な恐怖心と期待感を抱くものだが、それが「人工物」である以上、それを「作った」者がいて、さらにそれを「使う」者がいたという道理をエアロはきちんと理解していた。
ついに船の周辺に漂う破片をほとんど拾ってしまうと、パイレーツ時代の海賊よろしく、そそくさとずらかろうと船のエンジンをかけたのだった。しかしエンジンは動かず、静かなままだった。給油メータは、まさに「ちょうどそこが終わり」と言うように、きっちりとゼロの値を指し示していた。ようやくそこで、初めて自分が余程慌てていたことに気がつき、好奇心に任せた直情的な行動を少しだけ反省した。
ある程度試したところでエアロはついに諦めた。予備のバッテリで無線装置だけを駆動させ、定期的に救難信号を送ること以外にできることは他にはなかった。そして浜辺でいつもそうしているみたいに甲板の上に仰向けに寝転がった。普段であれば星々を見つめながら無限に続く宇宙に想いを馳せるところを、今日ばかりは”新人種(ニューレース)”について考えていた。彼らと自分たちとの違いについて。そしてスクールで習った彼らが行った功績について。
そしてエアロは気がつく。世界は決して”新人種(ニューレース)”が思い描く姿をとるとは限らないということを。彼らでさえも宇宙を意のままに操ることなど到底できないのだということを。ヴィクトリア湖に墜落した人工衛星がその何よりの証拠だった(この時エアロはどういうわけかそれが”新人種(ニューレース)”の創造物であると勝手に決めつけていた)。彼らが生み出したテクノロジーも湖に落ちれば廃品とさして変わらない。
それからわずか数時間で救助の船はやって来た。さすがのエアロもこの時ばかりは波のさざめきよりも人工的なエンジン音に安心したのは言うまでもなかった。
この出来事によってエアロの心は大きく変化した。つまり人工衛星の正体は彼に一つの夢を与え、そして一つの夢を奪ったのだった。
一〇年後、エアロは順調にアカデミーの階段を登り、イギリスのケンブリッジ大学にリモート入学が許可された。彼は地元で父親の漁の手伝いをする傍ら、必要な単位を取得するために講義をブロードキャストし勉学に勤しんだ。あの事件以来、彼は宇宙飛行士を志していた。
そんな彼の運命を変えることになった出会いがこの大学時代にあった。それは何気なく選択したある講義でのことだった。高等教育が効率主義に支配されていた当時では非常に珍しい、定年を間近に控えたとある老人講師のクラスだった。モニター越しに映るその老人を一目見たエアロは、安易に”生きた化石(リビング・フォッシル)”というあだ名をつけた。目新しさもあり半分余暇のつもりで受けた講義だったが、その老人がエアロの人生の指針を決定づけることになるとは彼自身にも想定し得ないことだった。
プロフェッサー”リビング・フォッシル”の講義スタイルは、彼がこれまで歩んできた人生のエピソードを語る時間に費やされるのが専らだった。話題は全くとりとめもなく、話し方も単調で、時々入るどこで笑っていいのかもわからないジョークにほとんどの生徒は辟易していた。もちろんエアロの他に講義をブロードキャストしている者がいるとしたらの話だったが。
しかしその中で一つ、エアロの興味を引くエピソードがあった。
それはリビング・フォッシルが当時”SEDA(軌道エレベータ開発機構)”という組織を設立した時の話であった。とある建設会社のCEOだった彼は、仕事をする傍、エアロ同様に宇宙への羨望をひた隠しに持っていた。ビジネスで知り合った仲のよい何人かの同業者と軌道エレベータの基礎理論を築き、その半生をかけて組織を設立したのだった。
しかし軌道エレベータの実現は机上の空論に終わった。それは主原因である「ケーブルの素材」という問題が最後まで彼らを苦しめたからだ。当時有効だと考えられていた”カーボンナノチューブ”でも技術的にはまだまだ未熟で、完成に時間がかかるとされていた。長さ一〇万キロメートルという超長距離のテザー伸長は言うまでもなく、地上のステーションを始め、各軌道ステーション、カウンターウェイトを繋ぎ、エレベータ本体を支え得るために必要なひっぱり強度を実現させるという点でも問題が山積みだった。
こうしてリビング・フォッシルの夢は潰えた。技術的な問題だけでなく、軌道エレベータがもたらす宇宙開発の重要性について世間の同調を得られないといった従来の流れも情勢的に不利に働いたのだ。解決の糸口は見えず、SEDAはその役目を失った。
エアロはこのエピソードをモニターの前で聞いていたとき、なにか鋭いもので胸の内を引き裂かれたかのような衝撃を受けた。宇宙飛行士になるための現実的な課題がのしかかっていたことも合わさり、彼はすぐにリビング・フォッシルのいるイギリスのオフィスへ訪れるためにアフリカの地を飛び立った。
リビング・フォッシルは、この彼方からの訪問者をはじめは快く招き入れ、詳細を話してくれた。しかし、いつしか話は議論へ、議論は口論へヒートアップし、ついに喧嘩が始まった。空中を物が飛び交い、部屋のあちこちの備品が無残にも破壊された。リビング・フォッシルも老体にムチをうち、奇跡の粘り強さで応戦したが、最終的には外出中だった彼の助手が人を呼んでなんとか事態は収集したのだった。その時の心情をエアロは後にこう回想する。
「原因は皆無だ。ただ湧き上がる感情を抑えることができなかった」
結果的に言えば、エアロの愚行によって彼が大学を追われるようなことに発展しなかったのは不幸中の幸いと言えたが、そんな事件を経て彼は長年の夢を「別の方法」で叶えようと決意した。
カレッジを卒業後、とある大手ゼネコン企業へと就職した彼は軌道エレベータ実現を目指し、リビング・フォッシルがついに成し遂げられなかったあのケーブル開発の研究に没頭した。
そして転機が訪れる。とある研究者が新たな素材の開発に成功したのだ。ニュースを聞きつけたエアロはすぐにその研究機関を訪れた。
まさにそれは化学界の革新だった。
従来のカーボンナノチューブを構成する元素は炭素である。カーボンナノチューブには様々な伸長方法があるがその三次元構造を構築するには特定の技術が必要であり、量産は難しい。しかし二次元構造であるカーボンナノシートは実に簡単に生成される。そしてある特殊な配列で構成されたカーボンナノシートに特定の電磁波を照射すると、驚くことにそのシートは「捻れる」のだ。ある程度の幅を持ったシートであれば長さに応じて捻じれのかかった一本の「糸」のようなものができる。しかもその捻じれ具合は電磁波の照射によってコントロールができることが分かったのだ。まさに大量生産におあつらえ向きの新特性と言えた。
エアロはその技術に出資した。そしてさらなる発見を生み出した。
カーボンと同族元素の一つである”シリコン”にも同様の性質が備わっていたのだ。シリコンは地表に最も多く存在する元素で、剛直だがもろいという性質がある。それをカーボンの柔軟性と組み合わせることで強度的に申し分のない素材を生み出そうとした。
具体的な技術としてはシリコンとカーボンのナノシートを並べるようにして電磁波を照射し、二重螺旋を描く一本の糸に仕上げる。シリコンとカーボンの界面は分子間力によって一つ一つは弱いエネルギーで結合している。弱いといってもそれが延々と続けば非常に高い引っ張り強度を実現し、同時に伸縮性も備えるのだ。
こうして生み出された新素材をエアロをはじめとした研究者は「SiC.Spiral(シック・スパイラル)」もしくは簡単に”シック”と呼んだ。
”シック”の完成は軌道エレベータの実現を加速させた。軌道エレベータに関する諸問題の多くはエアロの人望によって解決した。
そこでエアロの類稀なる特性の一つに、絶大な求心力が上げられる。元々素質として備わっていた物だったのか、あのリビング・フォッシルとの事件以降大きく開花した。
つまり軌道エレベータによる「宇宙開発」が”地球”で生きるの人々にとっては全くの無駄なものだという従来の情勢を覆し、それどころか”あらゆる面”で有用だとする科学的根拠を各機関の協力を得てはじき出したのだ。それは決してエアロ一人による功績ではないが、最初にビリヤード台を置いたのは彼の強い意志だった。
各国の政府がこぞって開発費を投じ始めた頃から、エアロは非営利の完全な独立機関であるUSER(軌道エレベータ再開発連合)を発足した。これは後に国連の下部組織として統合されることになるのだが、当時は複数の企業と研究機関が協力して運営していたに過ぎなかった。
USERの代表として当時四八歳を迎えようとしていたエアロの名前が筆頭として上がったが、彼は自ら「待った」をかけた。そして、かつて喧嘩別れをしたリビング・フォッシルの元へ、代表の就任依頼をしに訪れたのだ。
しかしリビング・フォッシルは随分と前から不在だった。当時喧嘩を仲裁してくれた助手は既に学長になっており、エアロに話をしてくれた。彼の不在を聞かされたエアロは時間の経過に愕然とした。
学長が教えてくれた墓地へと訪れたエアロは、全てを投げ打ってまで軌道エレベータの実現に尽力したであろう男の前に跪いた。
リビング・フォッシルの本名が刻まれた石の前で、エアロは静かに泣いた。それは悲しみではなく感謝の涙だった。
USERが発足してから一〇年後、世界初となる軌道エレベータがアフリカのヴィクトリア湖のど真ん中に建設された。それはエアロの悲願だった。当時自分の人生を変えてくれた出会いへの感謝のしるしとして、遥か上空まで伸びる巨大な建造物をまるで楔のように打ち込んだのだ。
エレベータの本体は四本のシック・ケーブルによって運搬される。昇降機はわずか十分足らずで高度一〇〇キロを抜け、「規定上」の宇宙へ出る。一日経つ頃には火星と同等しかかからない重力圏まで到達し、三日後には月重力圏を抜け、静止軌道に到達する。
しかし軌道エレベータの設計上、まだそこはケーブルの”半分”の長さにも達していない。
静止軌道から伸びるケーブルには二種類ある。一つは地球へ向けて下ろすためのケーブル。もう一つはさらに上(もはや宇宙空間ではどちらが上かはわからないが)へ、地球から遠ざかる向きへ伸長するケーブルである。この地球から遠ざかるケーブル(アウターケーブル)の先には「カウンターウェイト」という”重り”がついている。これは静止軌道にステーションを留めておくための原理である。つまり地球の重力とカウンターウェイトに及ぼす遠心力によって釣り合いを保っているのだ。
こうして全長一〇万キロメートルという地球の直径の八倍強の長さを誇る建造物が完成した。例えばキャンパス一枚の上に軌道エレベータの全体図を描こうと思うと、ケーブルによる長さスケールとの相対比によって全てのステーションは目視できないほどの小さな寸尺に追いやられることになるだろう。長さで言えばその九九パーセントをケーブルが占めており、反対に重量の九九パーセントはケーブル以外のものが占めている。この一見して直感に反するバランス比率を持ったものは自然界には存在しない。まさに神に匹敵するほどの、知的生命体が生みだした極地の一つには違いない。
こうしてエアロ・サブソニックの功績は世界の宇宙産業を根底から変えた。今までロケットでしか地球を脱出できなかった人類が、鉄の箱の中で数日の間バカンスを過ごすだけで、宇宙へ進出できるようになった。制限の無い流通が生まれたのだ。そして流通は次に、雇用を生んだ。やることはたくさんあった。軌道ステーションの建築、ケーブル防衛セキュリティの拡充、宇宙デブリの一掃。もちろんあらゆる研究機関もこぞって参入した。
またヴィクトリア湖周辺の地価が高騰し、「アフリカの春」が訪れた。ヴィクトリア・ターミナルを中心としたパイプラインが建設され、湖を取り囲むようにして超高層ビル群が立ち並んだ。まさにそこは世界と宇宙をつなぐ入口となった。
エアロ・サブソニックが初めて軌道エレベータに乗った時、インタビュアーに対してこう語った。
「私は宇宙飛行士では無い。しかし今、私は宇宙にいる」
こうしてかつての片田舎の青臭い少年は誰も予期しない方法で夢を叶えた。
しかしエアロの挑戦は終わらなかった。
彼は次々に軌道エレベータの建設に着手したのだ。一基目の軌道エレベータの存在によって、二基目の建設は大幅に効率化された。なぜならば、二基目の機材は全て「最初」のエレベータによって宇宙空間に運搬されるからだ。
運ばれた機材によって、はじめにステーションが完成し、それを目的の静止軌道に向かって「落とす」だけでよかった。あとはそのステーションから地球に向かってせっせとテザーを伸長するだけである。
軌道エレベータが新たに二基、「ハイチ」と「シンガポール」に建設される頃にはエアロは七五歳の誕生日を迎えようとしていた。そう、かつての師リビング・フォッシルの年齢を追い越していた。
しかし軌道エレベータという人類史上最大級の技術革新に浮かれ、人々は忘れていた。同時期に、もう一つ重大な事象が運命のカウントを静かにゼロに進めているのを。
それはまさに宇宙という神の盤上で繰り広げられる、ゼロサム・ゲームだった。秩序によって決定付けられた万物の約束である。
その時を知って、エアロを含めた人類が血相を変えたのは無理も無いことである。
To be continued...
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