【2】古民家の主

「ミケ!?ごめんよー!ご飯食べ———」


 築約100年の建て付けの異常に悪い、今時珍しい平屋一戸建ての引き戸を開け、魁斗はいつものように玄関で待ち構えているであろう愛猫あいびょうに呼びかける。しかし、呼びかけに応えたのは愛くるしい白、黒、赤茶色の3色のふわふわした世界一可愛い生き物ではなく…


「よう、魁斗くーん♪ 」


「うあああ!お前!変態…じゃなく!【柏木かしわぎ】」


 ゴツゴツした無駄に筋肉の多い男の腕であった。どこで待っていたのか、いきなり出会い頭に魁斗に抱きついてきたのは、柏木。自称、“珍獣ちんじゅうコレクター” 。


「柏木だなんて水臭い。もう、俺達付き合って10年の仲だろう?【しゅう】と、いつもみたいに呼び捨てにしてくれよ♪ 」


「やめろー!付き合ってるみたいな設定にするの!読者に誤解されてしまう!ってそんなことより、どうやって家に入れた!?」


「何を言う。俺だって交際するなら、もっとふにふにして可愛い女の子がいいわ。でも、魁斗くんは10年前に俺が一生守ってやるって約束したからね…って聞いてる?」


「うわぁ…引き戸外したのか…。これ、地味に直すの面倒臭いんだから…困ったなぁ」


 得意げに腕を組みながら話す柏木を横目に、魁斗は玄関先で座り込んで、ひどくうなだれている。しかし、すぐに何かを思いついたようで、ポンと手を叩くと、玄関先に落ちているあり物ですぐに引き戸を入り口に立て付けた。


「魁斗、相変わらずすげえな。お前の頭ん中どうなってんの?その場にあるものをパズルみたいに組み立てて、いとも簡単に直すのはお前の特技だよなぁ。一家に一台、いや、一家に一人。やっぱりうちに嫁に来な———」


————12————


 柏木の無駄話を呆気あっけなくさえぎったのは、我が家で一番の実権を握る白いもふもふとした…


「ミケちゃーーーん!待ってくれよー!」


 魁斗の愛猫、三毛猫の 【ミケ】。三毛猫だからミケとは、はなはだ安易なネーミングではあるが、これは魁斗とミケが出会った瞬間に、名前が分からないので仮に呼んだ名前が、そのまま定着したというだけのことである。よくある話ではあるが、これには普通ではない理由もある。まあ、それは置いておいて。


「こら、柏木。ミケが嫌がってるだろ?どうせ、引っかれ———」


「いてっ!!!」


「だから言ったのに」


「ひどいよ、ミケちゃん。お兄さんは悲しいよ。こんなに愛してるっていうのに、いつまで経っても一方通行。少しくらいご褒美をくれてもいいんじゃない?」


 ミケに引っ掻かれ、真っ赤に腫れ上がった右手の甲をさすりながらも、ミケを愛おしそうに見つめる柏木を、対象的に睨み付けるミケであったが、


「あ…やば…無駄に力使ったせいで…腹………減った………」


と、飼い主の魁斗が玄関先で力尽きて倒れてしまったのを見ると、すぐに魁斗に駆け寄って、顔を柔らかそうな肉球で押し始める。


「なんとうらやましい!ミケちゃん、差別だー!」


「柏木…うるさい。とりあえず…飯…くれ」


————13————


 台所からトントンと子気味良こぎみよい包丁の音をさせ、じゅわわわと音と匂いだけでよだれが条件反射的に出てくる香ばしい肉の焼ける音がしている。そして待つことたった10分。お盆一杯にお皿を乗せた魁斗が戻ってくる。


 魁斗はテーブルに次々と温かい色取り取りの料理を乗せた皿を並べると、手を合わせ、黙々と食べ始めた。具沢山でいかにも栄養価の高そうな豚汁に、ちょっとした高級料亭で出てきそうなほど丁寧に巻かれただし巻き卵に、焼き立ての生姜しょうがが実に食欲をそそる豚の生姜焼き、男の一人暮らしでは滅多にお目にかかれない自家製の漬物やら、いつの間に作り置きしてあったのか分からない手間隙てまひまかけた煮物など…計10皿もの小皿が食卓を埋め尽くしている。


 魁斗はよほど腹が減っていたのか、無言のまま様々な料理を口に頬張り、ものの5分で完食してしまった。そしてようやく一息つくと、目の前で舌鼓したつづみを打ちながら豪華な夕飯を堪能している男に向かって、呆れ顔で話しかける。


「結局、俺が作ってんじゃん」


「まあ、そう言うなって♪ だって、魁斗くんが作る料理は、下手な料理人が作るよりも美味いんだもん」


「お前が “ はい♪ 飯♪ ” って、俺に買い物袋を渡したときに、一瞬でも期待した俺がバカだったよ。全部食材なんだもんなぁ」


「そうは言うけどなぁ?これでも、4日も我慢したんだぜ?世界一の手料理を4日も!24×4で96時間も!!!100時間超えたら禁断症状出てくるんだから、頼むよー」


「んな大袈裟な」


「それに、魁斗。お前だって1日5食分の食費 まかなうの大変だろ?しかも3人前は食うし。さぞかし、エンゲル係数も高かろうて。ってなわけで、そろそろミケちゃんを俺に売ってくれてもいいんだよー?」


「出た。まーた、その話。残念。ミケは売り物じゃありませーん。どんなに困っても売らないから」


————14————


 こんなにもミケを欲しがるのは、何も柏木だけではない。何しろ、ミケは世にも珍しい猫なのだ。


「って言うとは思ったけどな、こうもボロッボロの不用心な家に置いとくくらいなら、俺が大事に大事に飼った方がずっといいと思うんだよな。だって、魁斗。お前 “ 三毛猫のオス ” の市場価格…というより、裏市場の価格知ってるか?数千万円から、下手すりゃ数億円でも手に入れたいってコレクターが世界中にゴロゴロしてるんだぜ。いつミケちゃんが誘拐されやしないか、俺は気が気じゃなくって、夜も良く眠れないし、飯も喉を———」


「おい。今食べてるそれなんだ?」


「魁斗の飯は別♪ 別腹ー♪ 」


「はいはい」


 ミケは三毛猫のオスであり、三毛猫にオスが生まれること自体がまれなのだ。それは遺伝子の異常によって生まれるのがオスであり、通常生まれるはずがないためと言われている(クラインフェルター症候群)。


 難しい話は抜きにするが、ミケを譲ってくれと言ってきた人物は、これまで数え切れないほどにいる。それどころか、ミケをどうにかして誘拐しようと網を張る者もいた。ミケ自身が警戒心が異常に強いこともあるし、この家にはとある結界も張られている。一見ボロボロで隙だらけに見えるこの平屋も、たとえよこしまな者が近づいたとしても、絶対に侵入を許すことはない。


「お金に困ったら、真っ先に俺に言えよ?ミケちゃんも、お前も一緒に引き取ってやるから」


「はいはい」


 食卓の向かい合わせで会話をする男2人を見上げたミケの耳がピクッと反応し、何かの気配を感じたようで、玄関先へとすっ飛んで行ってしまった。


 魁斗もミケの後を追うと、玄関先にはスーツ姿のままうつ伏せで倒れてる人物がいた。ミケはその人物の頭に尻尾を擦り付けるようにして甘えている。ミケが飼い主以外に心を許すのは、警戒心という文字すら頭にないであろう、この男だけである。


「たす…けて………お腹空いたー…」


「あ、いらっしゃい」


「ミケちゃん、ひどい!差別だー!!!」


————15————


 食卓で魁斗と負けず劣らずに、勢いよくご飯をかき込んでいるのは、【相葉あいば 圭二けいじ】。圭二と魁斗は10年前からの親友で———


「俺の紹介がまだなのに、何でアイ(相葉)から紹介する!?魁斗まで、差別だー!!!」


「分かった分かった。ちゃんと、後でじっくり紹介してやるから」


「ぶー!」


 紹介を再開する。圭二は年齢は27歳。顔は年齢よりも10歳は若く見える童顔で、薄茶色の髪の毛を軽く左耳に掛けている。童顔に見合った身長で、160cmそこそこである体には見合わない長いベージュ色のトレンチコートを、事あるごとに踏みそうになるのが特徴である。


 圭二の両親が、息子を将来刑事にしたかったかはさておき、次男でもないのになぜか名前には “二” がつく。そして、名前の通り圭二は現職の刑事でもある。しかも、お人好しを更にいい人で覆ったような性格の圭二が、捜査一課の刑事というから驚きである。


 今年の9月から晴れて念願の捜査一課へと配属された圭二だが、それを機に実家から追い出されるように一人暮らしを余儀なくされ、結局食事目当てでほとんど毎日のように魁斗の家に入り浸っている。それだけではなく、魁斗がうっかりミケの世話を忘れたり、どうしても家に帰れないときなどに、ミケの世話や郵便物の受け取り、ごくごく一部の家事なども担っている。


 魁斗が唯一家の合い鍵を渡している人物でもあり、お互いに忙しいこともあり、一緒に過ごす時間は少ないものの、魁斗にとって圭二は家族のようなものである。


「で?俺は?ねえねえ」


「待ちなさいって」


 急かす柏木を手で制し、魁斗は圭二に3杯目のご飯をよそいながら、先程から圭二の胸ポケットで鳴り続けている着信が気になって仕方がない。着信音も振動すらも切ってあるが、なぜか魁斗にはこういったことが分かってしまうのだ。満足げにお腹を摩る圭二の表情をチラチラと確認しつつも、いつ切り出していいものか迷っていると


「ふっはぁ。ほんっと、魁ちゃんの作るご飯は世界一だね。どうやったらこんなに美味しいもの作れるのー?不思議だよねー、なっちゃん」


「どうって、どうなんだろう?なんとなく?」


「そりゃ、魁斗くんが料理の天才だからだろー♪ 」


「あっ!忘れてたぁ。今日さ、大変なことがあったんだよー」


————16————


 何かをようやく思い出したかのように、あわてて圭二が椅子から立ち上がるので、魁斗はスッと圭二に駆け寄る。


「セーフ…」


 魁斗が駆け寄ると同時に、圭二の胸ポケットからスマートフォンが落ちるが、落ちたその瞬間にはすでに魁斗の右手に握られていた。


「うわぁ!魁ちゃん、鮮やかー!なんで分かったのー?」


「いや、そんなことより。さっきから着信が10回くらい鳴ってるみたいだから、出た方がいいんじゃ?」


「ええっ!?やっばー。ちょっと出てくるー」


 玄関をガラガラと大きな音を立てて、圭二は電話をしに外に行ってしまった。


 柏木に催促される前に、仕方がないので柏木の紹介をしておくとしよう。


 【柏木かしわぎ しゅう】は、おちゃらけた見た目から想像もつかないほどのお坊ちゃんである。“ 筋肉は自宅で鍛える主義 ”と、意味の分からない主義を掲げる筋肉質で、身長は190cmくらいある大男である。肩より20cmは長いであろう長髪を、後ろでひとつに結んでおり、遠くからでも目印になるのが何よりの特徴である。


 相葉 圭二とは幼稚園からの幼馴染であり、互いを “ アイ ” “ なっちゃん ” と呼ぶ間柄である。なっちゃんと呼ぶ所以ゆえんは、圭二本人に聞かなければ本来誰にも分からないが、魁斗は柏木から圭二を紹介されたその日のうちに見抜いた。 “ かしわぎ しゅう ” 略して “ かしゅーなっつ ” 。そこからなぜか名前に1文字も入ってない “ ナッツ ” を取り出して、なっちゃんと呼ぶらしい。


 ともかく、柏木と圭二とはずっと昔からの親友同士であり、2人の間には割って入れない特別なきずながあるのだ。


 更に、柏木本人はひた隠しにしているようだが、実は日本でも有数の大企業の会長の孫ということもあり、柏木の住む高級マンションには、毎日欠かさずお手伝いさんがやってくる。何も、魁斗の家で食事をしなくても、食に困ることなどない。


 柏木には何やら隠れた仕事があるらしく、自称珍獣コレクターと呼ぶ仕事とは別に、時折どこかに怪しいビジネスをしに行っているようだ。魁斗は私生活でまで怪しいことに巻き込まれたくないこともあり、えて詮索せんさくしないことに決めている。


 まあ、柏木も圭二同様、魁斗の家族のようなものである。


————17————


 ミケを懲りずに追いかけ回しているガタイのいい男を横目で見ながら、ふと魁斗は違和感を覚える。しかし、その違和感は鼻先を一瞬かすめた控えめな香水のように、一瞬で消えてしまった。


「気の…せいか」


 皿洗いを終え、ちょうど食卓の椅子に戻ろうとした魁斗の耳に、ガタリと引き戸の開く音が聞こえる。


「あ、圭二おかえり。酒のお代わりいる?」


と、外に出ていて冷えたのだろうか。くしゃみをしながら食堂に戻ってくる圭二に、魁斗は手を拭きながら呼びかける。


 戻ってくるや否や、圭二の様子がおかしいことに気づく。それを箇条書きにまとめると…


顔面蒼白がんめんそうはく

視点が定まっておらず、あちこちに目を向けている。

全身を小刻みに揺らしている。

額から汗が滴り落ちている。(外の気温は8℃を下回っているはず)

外に電話をしに行ったはずなのに、手にスマホを持っていない。(動揺しすぎて落としたのだろう)


これらのことにより…


「なにか…あった…よな?事件か?かなりやばい事件なのか?」


と魁斗は圭二に問いかけると、ようやく息をすることを思い出したように、圭二は魁斗に小さくうなずきかける。


「う…うん。どうしよう、魁ちゃん」


 事件だとして、捜査内容は外部に漏らせないだろうし、そもそも動揺しずぎて要領を得ない圭二にこれ以上聞くのは酷であろう。そう思っていた矢先、ミケにすっかりもてあそばれていた柏木が戻ってくるなり、圭二の肩をポンと叩く。


「ひっ!!!」


「おわ!ビビりすぎ!アイ、ほれ。ミケちゃんがお前のスマホ持ってきてくれたぞ。って、お前!どしたんよ!?震えてんじゃん」


「なっちゃんかー…ちょっと…いや、うん。行かないと」


「行く?現場に?けど、圭二さっきお酒飲んでなかった?」


「あああっ!飲んじゃったー。どうしようー…なっちゃん車ー」


「んあ?俺免許持ってないって知ってるだろ?」


 男2人の熱い視線が、一斉に魁斗の元に注がれる。


「分かったよ!」


————18————

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