【3】赤色灯

 結局、魁斗は “たまたま” 家の外に横付けしていた “いわくつき” の車を出すことにする。


「ごめんねー。魁ちゃん」


「いいよ。早い時間にお前に飲ませた俺にも責任あるし。って、それはいいけど…」


 魁斗はこの日一番の大きなため息をつく。その理由は、面倒臭がりで運転嫌いな魁斗が久しぶりに車を運転せざるを得ない状況に置かれたからではなく、当然現場に車で送り届ける圭二に対してでもない。


「なんで “お前まで” 付いてくんだよ」


 後部座席の後ろから、のっそりと起き出してきた男に、魁斗はバックミラー越しににらみ付ける。


「そりゃ、魁斗くんの運転してる姿なんて滅多に見られないんだから、見逃す手はないでしょ?」


「…運転してるとこなんて見て、何が楽しいんだか」


「楽しいに決まってるだろ?なんて言っても俺の嫁が運転してくれて、この後ドライブに連れー」


「てかないよ」


「じゃあ、せめて運転してる姿を撮って、SNSにー」


「やめろ。第一、もうこんな時間なんだから家に帰ればいいだろうに」


「家って魁斗ん家?いいのか?ミケちゃんと2人きりにして」


「うぐ…。それは(色んな意味で)困る。ってか、お前が帰るのは自分の家だって」


「ところで魁斗くん。油断したね?俺の嫁って言ったのに、否定しなかったな?ようやく認める気になったか」


「しまった…ハメやがったな。この変態セレブが」


「あはははは」


 それまで助手席で難しい顔をしたまま黙り込んでしまっていた圭二が、不意に吹き出す。


————19————


「やっぱり、魁ちゃんとなっちゃんは仲良しだー。安心したよー」


「いやいや、安心したのは俺らの方だって。アイ、大丈夫か?」


「うん、だいじょぶ。だいぶ落ち着いたから。とりあえず、捜査内容は言えないんだけど、最近横浜も物騒になってきたから、魁ちゃんもなっちゃんも気をつけてね」


「そうだね。冬になると “物騒な事件” が増えるからね。特に11月と12月は」


「たまに魁斗って意味不明なこと言うよな。しっかし、この車やたら寒くねえ?さっきから寒気すんだけど」


「だから、お前は来んなって言ったのに」


 柏木は筋肉質でガタイが良く、見た目通り豪快で大雑把おおざっぱな性格をしているが、実は非常に霊感が強いのだ。当の柏木本人には少しも自覚がなく、 “そのときの記憶” は残っていないため、説明のしようもない。それもあって、魁斗は特に柏木だけはこの “いわくつき” の車には乗せたくなかったのだが、家に置いてくるのはもっと “危険” なので仕方がない。


 寒気を感じ始めると、いよいよ身に危険が迫っている証拠なので、魁斗は少しだけ車を飛ばすことにする。


「本当に、お前は(人間より)変なもんにばっかり好かれるよな…」


 魁斗はバックミラー越しに映る柏木の姿をチラチラと見ながら、柏木の “後ろ” に向かって睨み付ける。


「っくし!へ?」


「いや、何でもない。とりあえず、 “つかれたら” すぐに俺に報告するように。いいね?」


「あっ、魁ちゃん!そこ右曲がってすぐのとこだよー」


————20————


 魁斗の家から慣れない車を走らせること15分。深夜であっても煌々こうこうと明かりが灯されているのは、救命救急センターの緊急搬送口の明かりと、救急車の赤色灯。この明かりを見ると、人は不安感をあおられるというが、実際に魁斗の胸を締め付けたのは、これだけのせいではない。


「ごめん。急ぐから…魁ちゃん、ありがとう」


と、車が停止するのを待てず、圭二は車から飛び降りてしまった。緊急搬送口に転びそうになりながら走り込む圭二の後ろ姿を見ながら、魁斗の中には不安感以上に、ある想いがあふれ出していた。それは、魁斗の脳裏に流れてきた映像のせいであった。


焦る男の後ろ姿…


次々に起きる事件…


混乱する捜査線…


犠牲になる男の大切な存在…


絶え間ない人々の嘆き、怒り、焦り…


焦燥感、喪失感、絶望感…


 人々の無数の感情が色になって、ごちゃ混ぜに混ざり合って、みるみるうちにひとつの色へと収束していく。それは黒より暗い黒。


そのまま、空間が暗い闇へと落とされていく…なにもかも、すべてが。


 あまりの息苦しさに、魁斗は運転席に突っ伏したまま、動けなくなってしまっていた。


 魁斗を不安感以上に締め付けるのが、無意識のうちに見えてしまうイメージなのだ。これらの映像は、実際に魁斗が過去に見た記憶のときもあれば、人々の体から染み出した感情が、可視化されて見えることもある。あるいは、両方を脳が自動的に取捨選択を行い、これから起こる未来予測のようにして見せてくる場合もある。


 その無数に流れ込む映像を途絶えさせたのは、背後から聞こえる悲痛な男の嘆きの言葉であった。


「ぎもぢ…悪い…」


————21————


 後部座席で寝ていた柏木は、いつの間にか車内にいる “いわくつきのもの” に当てられてしまったようだ。


 吐きそうにもだえる大男を抱えながら、魁斗は救急搬送口のすぐ隣にある訪問口から、病院の中に失礼することにする。


 中に入ると、すぐ左手に医師や看護師、その他病院スタッフなどが扉の向こう側でせわしなく動いているのが見える。日曜日の深夜なのだから、これも当然である。


 夜間受付窓口の守衛も、柏木の様子を見てすぐにスタッフを呼びにいこうとするが、柏木の具合の悪さは医師で治せる類でないため、


「すみません。車に酔っただけなので」


と、トイレだけを借りるために中へと入れてもらう。


「うう…ぐぅ…気持ち悪…」


と、青ざめている柏木の背中に手をやろうとしたとき、魁斗の耳に馴染みのある声が聞こえてくる。


先に救命救急センターに入っていった圭二の声であった。


 元々、魁斗と出会った頃の相葉圭二という男は、常に落ち着きがなく、何かから逃げるように事あるごとに焦った様子を見せることが多かった。もちろん18歳で落ち着き払っていた魁斗の方が珍しいぐらいではあったが、同年代の男性の中でも圭二の落ち着きのなさは異常なほどであった。


 よく、クラスの女子からは “顔は可愛いけど、一緒にいても落ち着かないのよね。一緒に連れ歩くにはいいかもしれないけど、頼りなさすぎて本当に子供っぽくて嫌になる” などと揶揄やゆされていたのを耳にした。


————22————


 これは圭二の生まれ育った環境に起因するものが大きいが、彼自身が自分の身の上について話したのはただ一度。20歳になりたての頃、無理に飲まされた酒に酔い、当時の彼にしては饒舌じょうぜつに語り始めたときである。


 当時、19歳にしてすでに大学の講師を受け持っていた魁斗にとって、圭二はただの自分の講義を受ける生徒の一人にすぎなかった。同い年なのに、立場が違う圭二が魁斗に対等に話せなかったのも、立場上仕方のないことである。


(特例として、柏木は魁斗と出会った当初からタメ語であった)


 18歳で大学院博士課程を修了し、日本に戻ってきた魁斗にとって、同年代の友人関係は築きにくく、ましてや閉鎖的な人間関係を築きやすい日本人と対等に話せる機会は少なかったので、柏木と圭二の両名の存在はありがたかった。


 と、魁斗の身の上については、いずれ嫌というほど語るとして…


 圭二の語った身の上話は、


幼少期のかなり小さい段階で、両親と死に別れたこと。


その後、親戚の家を転々としたこと。


最終的には孤児院に預けられていたこと。


15歳になったときに、遠い親戚を名乗る夫婦が引き取ってくれたこと。


しかし、この夫婦が圭二を引き取ったのは、圭二の両親が残してくれた遺産目当てであったことを知り、圭二は20歳を目前にした時点で心を閉ざしてしまっていた。


 魁斗にとって、圭二が特に家族のように感じられるのは、上記3つの身の上が自分自身と酷似していたのもある。


 もちろん圭二自身は、酔って魁斗に話したことをすっかり失念している。このことについて、魁斗と語ったことはない。


 18歳時点では落ち着きがなく、20歳を目前にして人との関係を拒絶し無口になり、その後ゆっくりと少しずつ人との信頼関係の構築に成功し、今の相葉圭二が形作られた。


————23————


 圭二本人からではなく、柏木から圭二の幼少期について、いくつか聞いたことがある。


圭二と柏木とは、同じ幼稚舎ようちしゃに通う者同士だったこと。


幼稚舎の年長になった頃、急に圭二が幼稚舎に来なくなったこと。


噂によると、引っ越してしまったらしいということ。


その後、10年も経過してから、柏木に圭二の行方を知らされたこと。


柏木の知らない空白の10年間に、圭二が相当な不幸な生活を強いられていたこと。


その不幸な生活の内容は、柏木が口にするのもはばかられるような残酷な内容であること。


などである。


 これらも、柏木が圭二から直接聞いたのではなく、あくまで周囲の噂話…とりわけ柏木家の家政婦が耳学問なこともあり、家事がてらに一人で話しているのを柏木が聞いただけ。というものであり、信憑性しんぴょうせいはかなり疑わしい。


 それでも、圭二から時折流れてくる悲しみの色に彩られた記憶の断片を感じる魁斗には、噂話のほとんどが真実であることが分かってしまっていた。


火のないところに煙は立たない。この言葉の通りであった。


 いつだったか、圭二がふと「クリスマスは苦手なんだ」と呟いたことがある。クリスマスイブが圭二自身の誕生日であるにも関わらず…だ。


 それもあり、クリスマスイブ当日には魁斗は圭二と会ったことはない。


 いくら親友といえども、踏み入れてはいけない領域は確かにある。それが、魁斗と圭二、柏木3名の間の暗黙の了解であった。


————24————


 今、圭二の声から心を閉ざしていた当時の感情に似た悲しみの色が滲み出ている。


「柏木、お前一人で大丈夫だよな?」


「え…?あ、ああ。ちょっとここで寝てるわ」


 魁斗は関係者以外立入禁止と表示のあるICUの扉を勢いよく開けると、中には圭二と、腕に包帯を巻いている魁斗の初めて見る顔が見つめ返していた。中にいる2人は一方は驚きと、もう一方は一種の感動を覚えたようで、顔を気付かれない程度に紅潮させていた。魁斗自身は、2人の意外なほどキョトンとした表情で、すっかり呆気にとられてしまう。


「圭二!?あ…あれ?」


「う、ふえっ!?あれー、魁ちゃん、どしたの!?」


「え?あれ…?なんでも…なかったか…良かった」


 さっきまでの悲しみが嘘のように、圭二からは何の感情の色も見えなかった。というよりは “見せないようにしていた” のだろう。刑事という仕事柄、被疑者を尋問する手前、感情をいかに周囲に悟らせないようにし、どんなアクシデントにも動揺せずに対応できるよう訓練した賜物たまものなのかもしれない。


「あ、この人ねー。9月から面倒見てもらってるー」


雛川ひなかわ あいですっっ!!!藍ちゃんって呼んでくださいっ」


 紹介する圭二の手も話もさえぎるように、包帯を左腕に巻いた女性が魁斗に向かって話しかけてくる。


見るからに快活で物怖ものおじしない性格の女性は、ベッドから興奮気味に立ち上がると、小さな身体と腕を目一杯広げて、パタパタと振っている。極端に小柄な容姿に、どう見ても幼児にしか見えない体型、とりわけ顔が童顔で、大人の刑事とは到底思えなかった。


ペンギンのようだ。魁斗は女性の容姿にあまりにも失礼ではあるが、思わず吹き出しそうになるのをこらえるのに必死になってしまった。


————25————


「あい…雛川さん。初めまして、くろー」


「聞いてます聞いてますっ!さんですよね?相葉がいつも話してますもん、自慢の親友がいるって。一目見て分かりましたー!うわぁ、嬉しいなぁ!期待以上にー」


「ちょ!雛川先輩、腕大丈夫なんですかー?折れてるんですからー」


「痛っ!!!痛い痛い!!!うえーん」


「だからおとなしくしてなさいって言ったのにー」


 雛川はギブスをはめたばかりの腕をでながら、涙目になっている。先輩と圭二が呼んだところから推察するに、28歳はゆうに超えているということであろうが…どう見ても、容姿、言動共に小学生にしか見えない。と、再び魁斗は笑いが込み上げてくるのを、何とか抑えていた。


 なによりも、圭二と相川から流れてくる感情が、ICUという場所には似つかわしくないほど明るいため、魁斗の気持ちが軽くなったおかげでもある。


 心を閉ざしていた頃に比べて、随分と圭二の人見知りが治ってはいるが、ここまで圭二が心を許している様は珍しい。それほど、この相川という女性は人の中にある警戒心を解く術を身につけているのだろう。それに、電話を受けたときの圭二の反応は…


 雛川を見る圭二の視線に、心からの安堵あんどとわずかな熱を感じ、魁斗はその場からそっと離れようする。すると、不意に雛川が何かを思い出したように立ち上がる。


「だめだめー。雛川先輩は頭も打ったんですから、今日一日はここ(病院)でおとなしくしててくださいねー」


「あっ!そのことなんだけど!ねぇ、相葉くん。私の代わりにやって欲しいことがあるんだけど、いい?」


————26————


「え?仕事のことですかー?」


「そうなの。実は、ここだけの話…とある容疑者を拘置所へと搬送中、その容疑者が妙なことを言い出してね。暗号なのかなんなのか、一応県警本部でも調べてはいるんだけど、すっかり対応に追われてるみたいなの。だから、お願い♪オフのところ悪いけど、ちょっと私の代わりに本部に行って、手伝ってくれない?」


「暗号なら、ここにいる魁ちゃんが解くの大得意だけどー」


「え!?そうなの?けど、これ専門家が数時間かけても、全然手掛かりさえも見つからないものよ?」


「んー。ねー、魁ちゃん。こゆの好きだよね?」


「好きというか…ってか、捜査情報なんじゃないの?それ」


「雛川先輩。これくらい平気ですよねー?」


「え、まぁ。というか、容疑者が言うには一刻も争うかもしれないから、この際構わないでしょう」


「だって♪ね、魁ちゃん、どう?」


 どう?と圭二は小さな手には見合っていないスマートホンの大きな画面を、魁斗の前に差し出してくる。その液晶には、小さな数字や記号がたくさん書かれているが、その中でも一際目を引いたのが


【 (2B)12.………/ (B7)12.……… 】


【 (1A)12】


という表記であった。


「えー?どうって。面倒臭いのは勘弁だけど…ってこれ?座標じゃないの?ちょっと、待ってて…」


 魁斗は圭二のスマホの画面を見るや否や、何かをピコピコと打ち始め、1分も経過しないうちに何かしらの解を見出したようだ。


————27————


「はい。これで、おそらく合ってると思う」


 新しくスマホの画面に打ち出された数字は、


【経度;35.512929/緯度;139.565523】【11時ちょうど】


と、誰もが馴染みのある3つの数字へと変換されていた。


「えー!!!なになに!?何が起きたの!?奇跡?なに、この天才児は!!!」


 初めて魁斗の解読を目の当たりにした雛川は、再び自らの右腕にギブスがはめられていることも忘れ、スマホを手にして興奮気味にワナワナと小刻みに揺れている。


「これは十二進法で…って、詳しく説明してもいいですけど、時間が午後なのか、午前かによっては急いだ方がいいのでは?」


 時計を見ると、現在の時刻は22時を37分も回ったところであった。


「うわー!ちょ…雛川先輩!ど、どうしよう」


「この腕じゃ運転できないし、本部から人を呼ぶにも最低でも5分はかかるし…」


「それに、雛川先輩は1日検査入院しないとだめですって!」


「と言うことは…?」


 今度は圭二と雛川2人の熱い視線が、魁斗へと注がれる。


「はいはい。分かりましたよ…」


————28————


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