【5】平凡な日常

[2020年11月4日(水) 横浜にある大学の大講堂]



「本当に、昨日の先生の謎解きはすごかったですよね!」


 そう言って、月曜日の朝イチの二時限続きの講義後に、すぐに教卓で半ば倒れるようにして突っ伏している男の前で、ひどく興奮気味に身振り手振りを交えて話しているのは、考古学研究室研究員兼准教授助手の松野。


 いつもであれば、さすがに寝ている相手に向かって自分勝手に話すほどには自己中心的ではない松野も、この日ばかりは抑えることができないでいる。


「まず、あのモノクロの映像から数少ないヒントを見つけたのがすごい!」


「………」


 松野はよれよれの白衣を頭から被り、考古学研究室準備室に戻る気力すら失われ、教卓で睡眠を取ろうとしている自分の上司、准教授に向かって思わずタメ語を交えながら話している。当然男から相槌あいづちもなければ、全身すっぽりと白衣に隠れているため、はたから見れば誰に話しかけているかも分からないほどだ。


「ああ!誰かに言いたいけど、教えたくない。こんなすごいこと、私だけの秘密にしたいくらい。でも、やっぱり自慢したい!先生、この気持ち分かります!?」


「………」


「しかも、あんなに饒舌じょうぜつに話す先生、生まれて初めて見ました。いつもあれくらい喋ってくれればいいのに!ね、黒音くろね先生?聞いてます?」


「…聞いてません…」


 松野は結局警備のバイトの仕事が終わってからも、一睡もできなかった。本来ならば、朝5時に仕事が終わり、そのまま帰宅して次の午後の講義まで泥のように眠るのだが、一晩経過しても少しも興奮が冷めやらなかった。それほど、昨夜の出来事は松野にとって天変地異とでも言うべき波乱の展開であった。


————34————


「そもそも、先生に警察官のお友達がいて、捜査協力までしてるだなんて!私全然知りませんでした!」


「………」


「魁ちゃんが捜査協力するのは初めてだよ。昨日は、急いでたからねー。特例だって♪」


 広い教室の入り口の扉を開ける音と同時に、昨夜の様子が嘘のように浮かれたテンションの男が、講堂の中央へとスタスタと軽快に歩いてくる。スーツ姿であるのに、学生の中にいても微塵みじんも違和感のない小柄な男は、どう見ても就活生にしか見えないが、こう見えて現職の刑事。寝ている男の親友である。


 大学を卒業以来、大学構内に初めて立ち入った男は、キョロキョロと新設された “ ドゥオーモ ” と呼ばれる大講堂の高い天井を見上げながら、教卓に向かって歩いてくる。


「あ、えーと。 “ 刑事 ” さん?」


「昨日は急いでて、ちゃんと自己紹介してなかったよね。相葉圭二と言います。 “ 圭二 ” でいいよー。昨日は捜査にご協力、ありがとうございましたー」


「こちらこそありがとうございます!あんなに楽しい現場に居合わせられて、こちらの方がステキな経験をさせていただきました!」


「そうそう。昨日はトントン拍子で捜査が解決できたから、楽しかったでしょー?全部魁ちゃんの特殊能力のおかげだよー」


「そうなんです!!!昨日の魁…黒音先生の解読がもう本当にすごくって、私まだ興奮が冷めませんっ!」


 マツコは興奮のあまり、大講堂いっぱいに響き渡る大声で昨日の捜査について語り出してしまった。


 話し相手ができたマツコは(捜査内容は部外秘であるので当然だが)、人懐っこい性格はもとより、寝不足なのも手伝い、ますます興奮していつも以上に楽しげに話している。


 圭二も捜査の一様の解決をみた安堵感あんどかんからか、すっかり上機嫌でマツコの話にうんうんと相槌を返している。


————35————


「まず!真っ先に監視映像の少ないヒントから、場所が “ 銀行の金庫室 ” かもしれない、って言い出した黒音先生の推理ですよ!」


「そう!それ。僕のほっぺをいきなり叩いたと思ったら、その後みるみるうちに場所を推理していくんだもん」


「あの男の子が背にした場所が金属製だったから分かったんですかね?確かに狭そうな場所に見えましたし」


「それは、容疑者が23時を指定してきたわけだから、制限時間がある場所で、かつ密閉される可能性がある場所といえば、あの場合は銀行の貸金庫室くらいだろう、って思っただけだよ。他にもゴミ収集の集積施設、あるいは地下下水道の中なども考えたが、犯人が敢えて我々にヒントを残したところから考えれば、ショッピングモール内にある場所だと容易に推測される。なにしろ、制限時間があるという前提の元では、命の危険を及ぼすものは酸素の供給が絶たれる場所、あるいは外的要因による圧死しか考えられないからね…って…眠いんだけど……」


「なるほどー!次にさー、どこの銀行かって言うのもすぐに言い当てたのもすごかったよねー」


「刑事さん、あの映像内に銀行のマークなんて見えました?」


「だから、それは貸金庫らしきものの金属製の箱の個数が、映像に映ってるだけで縦10×横10の100ほどあったから、室内の広さから入り口の壁を除いて三箇所にあるとして…大体貸金庫の総数は200~300だと推察できるから…って……そろそろ寝たいんだけど……」


「だからかあ。魁ちゃんがすぐに各銀行の支店長に電話しろって言ったの。それで貸金庫の数を確認して、該当の銀行の支店長にはすぐに来てもらうようにって」


「で、その後支店長が来てからが、さらにすごかったですよね!支店長がうっかり忘れた鍵の保管場所も言い当てるし、あろうことか支店長の愛犬の名前まで」


「それは、支店長が単に寝ぼけていただけで、結局は自分で鍵の保管場所を思い出しただけ。俺はそれを思い出す手助けをしただけに過ぎない。愛犬はチラっと見えたスマホの待機画面に、犬と首輪が一緒に映ってたからー」


「あれ?魁ちゃん、いつの間に起きてたのー?」


「…おい。さっきからずっと眠いのに質問してきたのは誰だ…」


————36————


「刑事さん!それでそれで!?その後、私見れなかったから分からないんですが、どうなったんですか?」


「えとねー。貸金庫の鍵を開けたら、魁ちゃんが言ってた通り酸素もギリギリだったみたいで、男の子が息も絶え絶えに床に倒れてたんだよー。あと5分でも遅かったら男の子の命は危なかったかもーって、お医者さんは言ってた」


「あれが成人男性であれば、日曜日の午前中の時点でおそらく酸素は尽きていただろうから、肺活量の少ない6歳児ということが幸いしたってこと」


「あの映像だけで、そこまで分かるんですか!?黒音先生、すごい!」


「しかし、容疑者がそこまで計算して男児をあの場所に拘束するのを決めたとなると…かなりの頭脳の持ち主ということになる」


「それから、男の子はどうなったんですか?無事ですか?」


「うん。男の子は念のために検査入院してたけど、もう帰宅したんじゃないかなー?」


「あぁ、良かった」


「それで、容疑者はともかく、貸金庫を土曜日に開けるには鍵を持っている人物の協力が必要だと思うが…見た限り支店長には少しも怪しいところはなかった。俺の予想によると副支店長が一枚噛んでたと思うんだが、どうだった?」


「その後、結局ねー。魁ちゃんが言ってた通り、副支店長が容疑者に土曜日(10/31)時点から暗示を掛けられてて、貸金庫室の鍵を開けた後、すっかり忘れさせられてたみたいだよー」


「やはりか…。内通者、もしくはよほど金庫破りの技術に長けた者ではないと、厳重な金庫室は解錠できないとは思っていたが、さらに容疑者は暗示にも長けている…ということか。ということは、内通者もなく、現時点では共犯の存在は肯定も否定もできない………やっぱいいや。寝る」


 魁斗が眠りの体勢につこうと、再び顔を突っ伏したところで、鼻先をくすぐる甘い香りが漂ってくる。


————37————


「こらこら。大声で捜査内容について話すのは感心しないわね。君たち♪外まで丸聞こえよ?」


「可愛い子がいるー!!!ああ!こんなとこに来て、どうしたのお嬢ちゃん♪誰かについてきたのかなぁ?迷子かなぁ?あっ!迷子なら大変!お姉さんが案内してあげる!!!」


 講堂の入り口をさえぎるように立つ、圭二よりもさらに小柄な女性は雛川警部である。雛川が二の句を告げるより前に、駆け寄った松野は、その少女(にしか見えない女性)の目の前でかがみみ込み、目をキラキラと輝かせながら少女を見上げている。そして、松野は何を思ったかいきなり小柄な女性の頭に手を乗せると、


「近くで見るとますます可愛いいいい!お人形さんみたい!!!よしよしよしよし」


と、猫を可愛がるように頭を撫で始める。寝る間も惜しんでセットしたであろう女性の髪の毛は、すぐにくしゃくしゃになり、すっかり寝起きの魁斗よりもひどい状態になっている。


「違っ!ああっ…!!!」


「髪の毛もふわっふわぁ♪こんな子妹に欲しいいいいいいいい!」


「ちょ…っ!だ…誰かぁぁぁぁ!」


「マツコくんは可愛いものに目がなくてね。特に、可愛い女性と可愛い生き物を見ると、我を忘れてしまうんだよ。申し訳ない」


 その時、講堂中に響き渡る巨大な鐘の音で、講堂にいた全ての人間が停止する。大学構内の中央広場の中心にある教会の鐘が、1日に2回時を知らせるうちの1つ、12時のチャイムの音である。


 結局、暴走する松野を制したのは、“ 鶏 ”としての松野の使命とも言えるチャイムの音であった。


と、同時に突っ伏していた男が、今度こそ悲痛な叫びを発する。


「腹………減った………」


————38————

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