第15話 不本意な進展
思っていた通りに、横に伊織はいなかったし、その場所は未来の高級ホテルの一室ではなかった。
「伊織さん…ごめんなさい。ってか今日は土曜だし、やる事ないじゃん!あーっ神様、アタシに何も考える暇もないくらいに何かを与えてよ」
「どうせやる事がないんだしジムにでも行くか。シェープアップ、シェープアップっと。その前に朝飯にするか」
智美がいつも通りにコーンフレークにヨーグルトをかけていると、携帯電話が静かに鳴った。
「ん?あっ!ち…千脇さん?」慌てた智美はコーンフレークをこぼしてしまったが、構わずに電話に出た。
「はい!相崎です」
「Good moning!Miss Aisakiご機嫌はいかがですか?」相変わらずのネイティブな発音に、智美はげんなりした。
「ご機嫌って、貴男、今病院でしょ!なにを考えてるんです」智美は思わず母親が我が子を叱りつけるように怒鳴ってしまった。
「チッチッチッ、今朝、退院したのですよ。検査がどうだの、後遺症がこうだの日本のDoctorは
「そんな無理して、本当に後遺症かなにかで亡くなったらどうするんですか!?」智美の声は小刻みに震えて、確実に涙声と分かるものに変わっていた。
「Sorry!泣かないで下さい。しかしそれは少し大袈裟ではありませんか?いくらなんでも急に死ぬだなんてそんな事…」
「あるんです!人間なんて簡単に死んじゃうんだから」強い口調で話す智美に薫は申し訳ない気持ちが込み上げてきた。
「分かりました。後日、必ず病院に行き、検査を受け直します。ですから許して下さい。だから今日は食事にでも行きましょう」どう言う理屈かは分からなかったが、今日は暇な事を神頼みしたくらいであるし、先日の痴漢撃退のお礼もしたかったので薫の誘いを受ける事にした。
待ち合わせは智美が暮らす最寄り駅から三つ目、勤め先の駅からは五つ目の、ちょうど急行電車の中間停車駅があるスポーツジムの最寄り駅がその場所だった。
「Who am I(だ〜れだ)?」智美の視界を暗闇が覆った。
「もう、良いって。薫さん」未来の伊織と同じ行動をする薫に、智美は思わずファストネームを呼んでいた。
「フッ、分かるんだ。残念だなぁ。じゃあ行きましょうか」薫は今までの雰囲気を一変させて、クールな感じに答えた。薫の格好はいつものスポーティなものとは違い、見慣れないフォーマルなものであった。
(やっぱりDNAなのかなぁ?伊織さんと同じ行動をするんだ。にしてもいつもと違って素敵な服装をしてるのね。こう言った事って口にした方が良いのかな?)そんな事を思っている内に、薫はNO社の一流ホテルへと入っていった。
「ちょ…千脇さん。こんなところ…」智美が戸惑って言うと、薫は静かに振り向き答えた。
「心配はいりません。ここの38階のレストランを予約しました。夜景が美しい席が取れましたので、是非とも」薫は
エレベーター内で急速な気圧低下があり、耳がキーンとなった。智美は思わず唾気を呑み込んだ。
「ハハッ、この耳鳴り、慣れませんよねぇ」静かな箱の中、知らんぷりが出来ないほどに大きな音を立ててしまったが、薫はそれを誰でもある事と笑い飛ばしてくれた。
(へぇ、意外とジェントルマンなんだ)智美は改めて薫を見直した。
二人は店のギャルソンにより、一番奥の窓際の角席に案内された。窓の外は駅前を囲むように立地された住宅街の灯りが、見事なグラデュエーションにより彩られていた。
「素敵な景色ですね」智美はおっとりとした雰囲気で話した。
「えぇ、でもこの景色も目の前の女性を見てしまえば、
「ありがとうございます。そんな風な事、言われ慣れてないから…でも嬉しいです」乾杯前にも関わらず、智美はほんのりと頬をさくら色に染めた。
やがてソムリエールから選択された赤ワインが運ばれて来て、二人は乾杯をした。テーブルに添えられたエンジ色のビロードカップのキャンドルが二人を艶やかに写し出していた。
料理はコース仕立てになっており、アミューズに "イクラのサーモンジュレ仕立て" オードブルに "フォアグラのテリーヌダージリンソース" と智美が口にした事がない料理たちが運ばれてきた。
「なにこれ?あん肝かな?」智美の味覚は、自身の経験上を
「これはフォアグラ、ガチョウの肝ですね。フォアグラのネットリとした濃厚さを、この紅茶のソースがさっぱりとさせて、次の料理を食べる準備をさせてくれますね」屈強な身体付きからガサツに思われがちな薫であったが、この高級レストランにおいてのマナー、食に関する知識は目を見張るものがあった。
「こ…こう言うお店って慣れていらっしゃるんですか?」智美は薫を
「まぁね。アメリカでフィットネスの勉強をした後、向こうで知り合った中国人の友人と一緒にハリウッド近くでジムを開設しました。私たちのジムはMovie Starに受けましてね。顧客との食事にこう言った店は良く利用しましたね」薫の意外な経歴を聞き、智美はすっかり面食らってしまった。その時、ある人物の顔が浮かんだ。
「ねぇ、もしかしてジャスティン・リップとか知り合いだったりします?」智美は憧れの米国映画俳優の名を引き合いに、興奮していた。
「ジャスティン?あぁ、何度か食事をしましたね。後、歌手のレィディ・ココとかキャリー・マリー、それに映画 "タイタンの最後" のクィンティプリオなんかも良く来ていましたね」涼しい顔をして次々と放たれる映画スターやブロードウェイを彩るビッグネームに、智美はすっかり薫を遠い存在に感じ始めていた。
それからも魚料理に肉料理と豪華な食事が運ばれてきた。その度に聞かされる料理のうんちくやアメリカでの薫の生活は、智美を夢見心地へと
「名残り惜しいですが、これで最後になりますね」目の前に置かれたデザート "ティラミスのラズベリーソース" を前に、薫は夜景の見える
「そうですね。今日はありがとうございました。こんなご馳走、初めていただきました」智美は席についたまま、丁寧に頭を下げた。
「いえ、
「Miss Tomomi?智美さん。僕と結婚を前提としたお付き合いをしてもらえませんか?」唐突に言われた薫の言葉を消化するのに少し時間がかかった。しかし智美の想いは遠い未来に向けられていた。
(そう言われたって、アタシには伊織さんって言うれっきとした
「はい、お願いします」(……???)智美は開いた口から出た、自分の台詞に驚いた。はっきりと断るつもりであった訳ではないのだが、遠回しに何気なく恋人の匂いを漂わせて、諦めてもらおうかと思っていた。なのにである。
「ほ…本当ですか?ブラボー!…おっと失敬、失敬」テーブルマナーを熟知する薫も、嬉しさの余り、大声を上げてしまった。
(ど…どうしよう。違うんです。違うんですって言葉が口から出てこない)焦る智美を横目に、薫は智美の手を引いて、
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