第140話・涙声

 リリティアは、異空間に作った自分の家に帰ろうとした。

 女神は、基本的に万能だ。不完全な力しか出せない魔神と違い、大抵のことなら指を鳴らすだけで実現可能だ。

 帰ってお風呂に入ってデザートを食べて、一休みしてからフリアエに報告。その後はお昼寝でもしながら、のんびり日光浴でも……。


 そう、考えていた。

 翼を広げ、異空間の入口へ向かって飛び――――。


「え?」


 ガクンと、動きが止まった。

 能力による停止ではない。物理的な力で動きを止められた。

 リリティアは振り返ろうとして……。


「捕まえたぁ……」


 片目が真っ赤に光るライトと目が合った。

 ゾワリと、リリティアの背筋から冷たい汗が一筋流れ、ようやく自分を拘束している物の正体を知った。


「な、なにこれ。手……うわわっ?」


 それは、巨大な『漆黒の手』だった。

 ライトの左腕が伸び、手が肥大してリリティアの胴を掴んでいた。

 そのまま左手を伸縮させ、完全に油断しているリリティアを引き寄せる。そして、ライトはリリティアの背中に抱きついた。


「な、き、きったない!? 触んないで!!」

「離さなねぇ……っくく、くはははは、なぁ、まだ気付かねぇのか?」

「え?」


 リリティアの背中に抱きつき、右手を首に回し、片足をリリティアの脚に絡めていた。桃のような甘い香りがライトの鼻孔をくすぐるが、そんなことどうでもいいのか、凶悪な笑みを浮かべている。

 リリティアが本気になれば、ライトの拘束程度簡単に抜け出せる。

 そして、ライトは言った。


「上、見ろよ」

「え、っぽごもおっぼべぇげべべべべべべべっどぶぎゃばばばっ!?」


 リリティアが素直に上を見上げた瞬間、黒い紐のような物が口の中に侵入してきた。しかもそれは長い。さすがのリリティアも、肉体に異物が入る感覚は無視できない。苦しみ、嘔吐する。だが黒い紐は止まらない。

 涙を流すリリティアの耳に、ライトは囁く。




「第五階梯・『咀嚼する悪魔の左手ヴァイト・オブ・ディアボロス』……あらゆる形状に変化、巨大化、硬質化する万能の左手……食事のために調理器具であり、魔神カドゥケウスの『食器』だ」




 果たして、リリティアに聞こえただろうか。

 異物が、リリティアの腹に、内臓全体に行き渡っている。今まで感じたことのない『何か』に、リリティアは……リリティアは?


怖いか?・・・・

「っひ……」

「なぁ、教えてくれよ……」

「っあぁ……や、やだ」


 ぐりゅんぐりゅん、どぎゅんどぐん……。

 ライトの左腕が、リリティアの内臓を蹂躙する。

 そして……。


「女神リリティアの内臓って、どんな色をしてるのかなぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

「お゛ぉっおオ゛!? おぉぉぉオ゛オオ゛オぉぉっぼぼぼえげぇぶべべべべべっ!?」


 ライトはリリティアの腹の中で左腕を膨張させる。すると、リリティアの肉体が、腹が、パンパンに膨らんでいく。

 ライトはリリティアを蹴り飛ばし、全力で左腕を引き抜いた。


「うがぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

「!!!?!?!?!?★pxqwjっdcjw**!!??」


 ぼちゅぼちゅちゅびちゅ、ぼちゅびちゅちゅッ!! と、気持ちの悪い音が響く。

 声にならない声を上げ、リリティアの顎が外れ、喉が裂け、ピンク色の臓物が口から引きずり出された。


 即死。即死。即死。生きているハズがない。

 ライトはリリティアの内臓を投げ捨て、ぺらっぺらの骨と皮になったリリティアを見下ろした。


「俺の勝ちだ」


 ◇◇◇◇◇◇


 マリアとシンクは気絶していたが、リンは全てを見ていた。

 傷の治ったライトが左腕を伸ばしたところ、女神リリティアを拘束し、内臓を引きずり出して殺したこと。


「…………ぁ」


 リンは、自分の下半身が生温かく濡れていることに気が付いた。

 ライトは、女神を殺した。

 マリアとシンクを治すことも忘れ、リンは女神リリティアの投げ捨てられた臓物を見て、吐き気を堪えられなかった。


「おっぶえぇぇっ!! うげぇっ!!」


 尿を漏らし、吐瀉物を撒き散らす。

 内臓を引きずり出し、女神を殺した少年。果たしてアレは、同い年の少年なのだろうか。リンは自分を保とうと、マリアとシンクの治療を始めた。


「女神を、殺した……殺した」


 震える手で、リンは二人を治療した。


 ◇◇◇◇◇◇


『イルククゥ……これ、マジなの?』

『現実でしょう。まさか……女神を殺すとは』

『ライト、あいつ……とんでもない奴ね。マジで全ての女神を殺せるんじゃない?』

『ええ。可能性はあります。くっくく、大罪神器を全て集め、全ての女神を滅ぼせる日は近い……!!』

『ほんっと、信じらんない……』


 イルククゥとシャルティナは、この結果に驚いていた。

 不完全なカドゥケウスで、最弱の部類であるとは言え、女神を殺した。

 これは、とんでもない快挙だった。


「っぅ……」

『おはようマリア。女神は死んだわよ』

「ん~」

『おはようございます。シンク』

「ん~……おはよう」

「女神が、死んだとは……? あ、リン」

「二人とも……」


 リンは二人の治療を終えた。傷一つない姿にホッとする。

 三人の視線はライトへ向き、立ち上がり傍へ。

 ライトは、ペラペラのゴミみたいなリリティアを見下ろしていた。


「よぉ、終わったぞ」

「お、お疲れさまですわ……ぅ」

「ぺらぺら。なにこれ?」

「女神。内蔵引きずり出して殺した」


 あっけらかんと言うライト。

 マリアは口を押さえ、シンクは平然としていた。リンは蒼くなり、リリティアの臓物を見ないようにしている。

 ライトの左腕が、リリティアを掴む。


「カドゥケウス、喰えよ。お待ちかねの女神肉だ」

『ああ……その、相棒』

「ん?」

『悪かったな、いろいろ……オレは相棒を舐めていた』

「別にいいよ。それより喰えよ。こんなおぞましいの掴みたくない」

『ああ――――いただきます』


 女神リリティアの死体は、カドゥケウスの左腕に吸い込まれていった。

 ついでに臓物も左腕に吸い取らせ、女神リリティアの存在はこの世から完全に消えた。女神を、喰ってしまった。


『――――――』


 カドゥケウスは、何も言わない。

 どうしたのかと声を書けようとして―――。




『――――うめぇ』




 ポツリと、言った。

 そして、カドゥケウスの声が泣き声のような、感極まるような声色になる。


『ああ――――旨い、美味い、うまい……こんなの、初めてだ』

「カドゥケウス……」


 ピシ、ピシ、ピシ。


「え……」

『ありがとう、ありがとう相棒――――オレ、魔神でよかった』


 ピシ、ピシシ、ピシ……。


「お、おい? カドゥケウス……お前、亀裂が」


 カドゥケウス本体の拳銃に、亀裂が入った。

 ピシピシと亀裂が入り、パーツがばらばらと落ちて……。


「え……うわっ!?」


 カドゥケウス本体が砕け散った。そして……ライトの右手には、全く新しい拳銃が握られていた。

 一回り大きくなった大型拳銃だった。銃口が二門あり、今までは6発装填だったシリンダーが12発装填になっている。

 カドゥケウスが、進化した。


「か、カドゥケウスが、変わった……」


 カドゥケウス・セカンド。

 ライトの新たな力の誕生だった。

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