第121話・氷の山
翌日、第二相が目撃された山のふもとまで四人はやってきた。
途中、近くの村の宿に大金を渡し、馬の世話をするように頼む。札束を渡された宿屋の主人は何度も頭を下げ、宿の従業員全員に厩舎の掃除をするように怒鳴っていた。
先輩と後輩は大丈夫だろう。出発前に様子を見たが、綺麗な厩舎で野菜を食べながら満足そうにしていた。
だが、馬よりも厄介なのは……この吹雪だった。
「っく……とんでもないな」
「吹雪……これが第二相の?」
「うん。噂じゃ、この山の頂上にいるみたい……見る前にみんな死んじゃったみたいだけど」
ライトが防寒着のフードを被り、マリアはリンに抱き着き、ちょっとうっとおしそうなリンはライトを見ながら顔をしかめる。そして、シンクは。
「…………いる、上」
「お、おいお前、寒くないのか?」
「うん」
シンクは、防寒着を着ていない。
水着のような上下に黒いコートとブーツ、戦闘態勢なのか、四肢は強靭な爪と義足になっている。
だが、マリアは気が付いた。
「あなたっ……リン、この子を影の中に!」
「え?……あ、わかった!」
「?」
リンが影を広げると、ライトたち四人は影の中に入った。
四方が闇で、上下左右が全く分からない空間だった。そこに、小さな狼が寝そべっている。
リンがマルシアを抱き上げ、マリアが慌ててシンクに言う。
「あなた、凍傷にかかっていますわ! 酷い……リン、治療を」
「いたくないよ?」
「バカ! ああもう、なんでこんな……」
「シンク、こっち向いて……」
リンは、シンクの治療を始める。
酷い凍傷だった。四肢はともかく、生身の部分が青くなっている。だが、今ならリンにも治療できる範囲だ。もう少し遅ければ皮膚が腐り落ちていただろう。
ライトは、シンクに……正確には【嫉妬】のイルククゥに聞く。
「誓約だな?」
『……ええ。この子は誓約で『温度』を奪われています。なので、熱い寒いといったことは一切感じません。ですが、感じないだけで火傷や凍傷にはかかります。何度も注意しているのですが、この子は……』
「…………温度、か」
シンクが最も大事にしていたもの、温度。
ライトには、なんとなくわかった。きっと温度が大事だったのではない。
シンクが最も欲しかった、大事だったのは……『ぬくもり』ではないか。
「…………」
「どうしたの?」
「……いや」
小さく首を傾げるシンクは、どんな人生を送ってきたのだろうか。
◇◇◇◇◇◇
シンクに無理やり防寒着を着せ、マルシアの影は山をスイスイ登っていく。
影の中は広いが何もない。天井が空いており、そこから差し込む光と景色だけが外の情報だった。
「どのくらい登った?」
「うーん……一時間くらいは進んだけど、わかんない」
ほんの少し顔を外に出すだけで、刺すような冷気がリンの顔に当たる。
恐ろしい吹雪だった。木々は氷り、岩も凍り、酸素も凍っている。ここを登ろうとするなんて、登山者や冒険者は何を考えていたのだろうか。
「……あれ?」
リンは、妙なオブジェが並んでいるのに気が付き……。
「うっ……これ、人間よね」
オブジェではなく、凍った人間だと気が付いた。
見事なまでに凍り付いている。氷の塊を彫刻したような、芸術品のようにも見えた。
人間だけではない、獣人もいる。武器や装備もカチカチに凍り、この雪山の冷気の凄まじさを実感した。
「いつまでも影の中じゃ……あ」
見つけた。
凍り付いた岩の亀裂、ではなく……洞窟があった。
影を移動して洞窟の中まで進む。運がいいことに、ただの洞穴のようだ。奥行きは深く、行き止まり。生物の気配もなく、休むにはちょうどいい。
ライトたちは影から出ると、大きく伸びをした。
「ふぅ……寒いけど外の空気はいいな」
「ええ。影の中というのは、いまいち慣れませんわ」
「おなかへった」
「はいはい。簡単な食事にしましょうか」
影の中に収納した道具を取り出し、パンと干し肉を挟んでみんなに渡すリン。すると、シンクがパンを齧りながら言った。
「スープ、飲みたい」
「ここじゃ無理ね。第二相を倒したら、馬を預けた村で鍋を食べましょうか」
「ん!」
シンクはニッコリ微笑み、パンを完食した。
ライトたちも食べ終え、再び影の中へ。体力温存のため、ひと眠りしてから移動することにした。
「見張り……は」
「必要ないでしょ。魔獣も凍ってるし、情報通りなら第二相だけしかいないと思う」
「わかった。じゃあ寝るぞ」
「ライト、一緒に寝ていい?」
「ダメだ。リンかマリアのところに行けよ」
「むー……」
「ふふ、シンク、おいで」
「ん!」
「リン、わたしも」
「えー……」
第二相まで、もう間もない。
◇◇◇◇◇◇
雪山の頂上に、大きな『氷の城』がある。
ファーレン王国にある王城よりも大きく、優雅で、美しい。素材は全て『氷』……そう、この城の主が作り出した、氷の世界。
『はぁぁ……寒い、けど美しい。氷の世界、私の世界』
この城の主は、美しい女性だった。
だが、普通の女性ではない。真っ青な肌に氷柱のような髪、雪をそのまま着込んだようなドレスを纏い、氷の城のダンスホールをクルクルと舞っている。
『うふふ、うふふふ……』
フゥッと息を吐くと、ピシピシと空気が凍る。
城の主は、退屈していた。
『誰か、私と遊んで……お願い、遊んで?』
氷の世界の女王は、暇を持て余していた。
クルクル回る度に冷気が舞い、息を吐くだけで世界が凍る。
暇を持て余した氷の女王は、せつなげに言う。
『誰でもいい……凍らせたい、あぁ……にくい、憎いわ、女神フリアエ……ッ!!』
ビシビシ、ビシビシと氷の城が凍り付く。そして、城から吹き荒れる吹雪が、下界を侵食していく。
女神を憎む氷の女王は、涙をこぼし……その涙も凍り付く。
『お願い、誰か……ここから私を解放して。そして……遊びましょう?』
第二相『氷結の女帝』クレッセンド・ロッテンマイヤー。
哀れな氷の女帝の涙が流れることは、ない。
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