第104話・シンクの現在

 ヤシャ王国、とある渓流─────。


「ふぁ……んん」


 岩と岩の隙間に身体をねじ込むようにして眠るのは、真っ赤な髪と瞳を持つ少女。

 水着のような服を着て、分厚いコートを着込む少女は、巨大な漆黒の金属義手を器用に操り、眠そうな目元をこしこし擦る。


「イルククゥ……」

『おはようございます。シンク』

「ん……」


 彼女の名は、シンク。

【嫉妬】の大罪神器を持つ、四肢を持たない少女。

 正確には、漆黒の義足義手を持つ、魔神に魅入られた少女である。


「ごはん……」

『昨日の食べ残しがありますよ』

「ふぁい……」


 シンクは、昨夜仕留めた魔獣の元へ向かう。そこには、シンクの数十倍はあろうかという巨牛が、内臓を抉りだされて死んでいた。

 適当に肉を骨付きでほじくり返し、義手を真っ赤に加熱させてその上に肉を乗せると、ジュワァ~っといい音がする。


『全く。肉を焼くのに『魔四肢』を使うとは』

「だって楽だし……はむ」


 生焼けの肉を齧り、すでに虫が集っている巨牛を眺める。

 シンクにとって、この程度の魔獣は脅威でない。魔獣を放置しているのも、この魔獣を餌に、他の魔獣をおびき出すためだ。

 いわば、撒き餌である。


「来ないなぁ……」

『今日は場所を変えましょうか。この渓谷は広いですし、気長に行きましょう』

「ん……」


 シンクは、食べ終わった骨付き肉をポイっと投げ捨てる。

 投げ捨てた先には、無数の死骸があった。

 巨牛を狙って現れ、シンクに返り討ちにされた哀れな魔獣たちの亡骸であり、シンクに捕食された魔獣たちだ。

 そんな魔獣たちの死体に目もくれず、シンクは朝霧のかかる渓谷を歩きだす。

 

「ふふ……『第七相』、はやく会いたいなぁ」


 シンクの顔は猛獣のように歪む。

 そう、狙いは、この渓谷に眠ると言われている『第七相』。


 第七相『霊鋼亀れいこうき』ガラパゴ・タルタルガ。

 八相最高の硬度を持つ、伝説の亀魔獣だ。


 ◇◇◇◇◇◇


 シンクは、渓谷の中を練り歩く。

 ヤシャ王国の中で最も危険な渓谷だが、シンクにとっては他人の家の庭と変わらない。むしろ、食べられる魔獣がたくさんいるので、ここに住んでも構わないとすら感じている。


「腕、足、切り落としたいなぁ」

『我慢してください。それに、あなたが強い魔獣と戦いたいと言ったのでしょう?』

「んー……強いの」

『そうです。シンク、あなたは【大罪神器】最強の【嫉妬】のシンクなのです。いいですか、もっと強くおなりなさい。人間も、勇者も……女神すらも、相手にならないくらい、ね』

「女神……?」

『ええ。いつか戦わせてあげますよ。とっても強いクソ女神……失礼、女神とね』

「うん! ねぇねぇ、女神の手足ってどんなの?」

『とぉーっても綺麗ですよ。あなたが見たら【嫉妬】で狂ってしまいそうなくらい、ね』

「…………うひ」


 シンクは、獰猛に嗤う。

 S級賞金首『四肢狩り』のシンクは、戦った相手の四肢を切り落とす。恐ろしいことに、女も子供の関係ない、狙われた者は四肢を奪われ、生かされるのだ。

 シンクは、殺しはしない。生かしたまま四肢を切断するのを好む。

 

「七相のカメさん、手足ある?」

『あると思いますが……たぶん、短いでしょうね』

「そっかー……なんかつまんない」

『ふふ、そのぶん、あなたを満足させる強さを持っていますよ』

「ん!」


 シンクは歩く。獲物を狩り、第七相をおびき寄せるために。

 

 ◇◇◇◇◇◇


 シンクが渓谷に入って10日ほど経過した。

 未だ、第七相は現れない。シンクも面倒くさくなったのか、ため息が多くなる。


「イルククゥぅ~……もう飽きたぁ」

『……ふむ、噂を頼りにここまで来ましたが、やはりガセ情報だったのでしょうか』

「はぁ~……もう帰ろう」

『そうですね。無駄足でした……』

「ぶぅ……まぁいいや。キャンプ楽しかったって思えば」

『ふふ、あなたはポジティブですね』


 渓谷の中腹まで歩き、川の水で顔を洗う。

 少し臭うので、そのまま水浴びをすることにした。

 シンクは服を脱ぎ、義手義足に命じる。すると、巨大な爪やパーツがガシャガシャと落下し、しなやかな漆黒の義手義足が現れた。

 まるで、黒い薄手の布を巻き付けたような、美しい手足。シンクは川に飛び込み、顔と髪を洗う。


「っぷぁぁ、きもちいい……」

 

 真紅の髪は水を吸って重くなる。だが、シンクはこの髪の色が好きだった。

 まるで、血のように赤い髪。血で濡れているようなルビーの光沢は、シンクにとって何よりも自慢の身体の一部だ。


「…………」


 シンクは、四肢を眺める。

 生まれつき、手足のない状態で生まれたシンクは、家族にとって重荷だったらしい。

 三歳の頃に捨てられ、死を待つだけだったシンク。だが、【嫉妬】の大罪神器に目覚め、歪な四肢を手に入れた。

 最初は、動かすこともできなかった。でも、少しずつ動かせるようになり、今では文字通り手足のように扱える。

 同時に、シンクは……他者の手足に異常な執着を見せるようになった。

 

「きれい、きれい……手足、きれい」


 全裸のまま仰向けに浮かび、漆黒の手を空にかざす。

 真っ赤な髪が水の中で血のように広がり、かざした漆黒の四肢が太陽の光を遮断する。

 

『……ん? これは……』


 イルククゥが、何かを察知した。

 シンクはぼんやりとしていたが、ちゃんと聞いていた。


『……これは、人間の気配ですね』

「え!」


 ザバッと起き上がり、川から出る。

 ネコのように身体をぶるぶる震わせ水を払い、服を着て近くの木に登る。


「どこ!」

『…………む? おかしい。気配はあるのですが位置がよく』

「イルククゥ、早く!」

『お待ちを。やれやれ、そんなに狩りたいのですか?』

「うん!」


 シンクにとって、人間は狩りの獲物だ。

 男であれ女であれ、手足があるならなんでもいい。


『……………………なんだこれは?』

「イルククゥ?」

『この反応……真下から?』

「え?」


 ズズン、ズズン────────地震だ。

 木が揺れ、シンクは落ちそうになるのを堪え、枝に掴まる。

 キョロキョロと周囲を見るが、魔獣の気配は────────。


『シンク!! これは……真下からです!!』

「え……」


 バッゴン!! と、地面が割れた。

 割れたのではない。開いた・・・

 まるで、大きな口がバガッと開き、シンクを丸ごと飲み込もうとしているように見えた。


「ッッ!!」


 シンクはワイヤーハンドの義手を近くの木に伸ばし、自分の身体ごと一気に移動させる。

 たった今いた場所は、巨大な咢に飲み込まれた。そして……ようやく気が付く。


「敵……!!」

『まさか、これは……バカな、こんな巨大な生物が!?』


 渓谷の一部が、動きだした。

 山だと思っていたのは、巨大な甲羅だ。

 全長数キロ、高さ数百メートル。体重……数千トン。

 

「…………ほわぁ~」


 目の前に、一軒家よりも大きな『目玉』があった。

 イルククゥはようやくわかった。この渓谷の一部が、第七相そのものであると。

 シンクが浴びていた川も、第七相の出現で崩壊してしまった。

 この日、ヤシャ王国渓谷の地形が変わった。


 第七相『霊鋼亀れいこうき』ガラパゴ・タルタルガの出現。


 奇しくも、ライトが第四相を倒した翌日のことだった。

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