第3話 僕が20世紀と暮していた頃 When I was living with the 20th Century

 何度も読み返す本というのは、皆、何冊かは持っているものなのだろうか。漫画は何回も読む、映画も何回も見る、曲も何回も聞くだろう。それでは本はどうだろう。

 僕が昔好きだった人は、普段は小説はほとんど読まなくて、夏目漱石の「こころ」をいつも持っていて何度も繰り返し読んでいた。なぜ「こころ」だったのか、今となっては尋ねることもできないが(というか当時も何度か尋ねたが、結局要領を得なかったのだった。)。

 ところで、僕にも繰り返し読む本というのがあるが、「こころ」みたいな大手を振って「何回も読んでいます!」という本は一冊もない。今回はそんなところから話を始めてみたい。


 野田秀樹を知っているだろうか。この人の名前をキーボードで打ち込むと、一回で変換されるから、きっと有名なんだろう。


 彼は、現役東大生の頃(といっても、彼は裏表で合計7年間の間大学生をしている)に、夢の遊眠社という劇団を立ち上げ、日本における演劇ムーブメントを率いた日本演劇界の第一人者だ。夢の遊眠社において上演された演劇の脚本は、どれも野田秀樹が書いている。僕が特に好きな作品は「贋作 桜の森の満開の下」だが、これは坂口安吾の「桜の森の満開の下」その他の短編小説をモチーフに作られた作品で、この作品を見て初めて、僕は「贋作」の甘みを知ったのだ。

 その他にも、「赤鬼」とか萩尾望都(これも一発で変換された!)原作の「半神」、「ゼンダ城の虜」など、とにかく題名からしてすばらしい作品を連発している。残念ながら夢の遊眠社は解散してしまって、現在は野田地図ノダ・マップの名のもとに、劇団俳優ではなくテレビや映画で活躍してる俳優を使って、お金のかかった豪華な演劇作品を上演している。

 

 さて、そんな野田秀樹の作る舞台の特徴は、複合的なストーリーと、言葉遊びだ。古来より、シェイクスピアであれ、歌舞伎や浄瑠璃・落語であれ、演ずることとは、言葉で遊ぶことだった。野田秀樹の作品には、ハムレットの「言葉、言葉、言葉」よろしく、さまざまな言葉遊びがふんだんに用いられており、これを舞台の上ではすごい速度で、マシンガンのように節にのせて言い募る。さらに、身体的フィジカルな動きが加わり、狭い舞台の上をジャングルジムのようにして所狭しと駆け巡る。その上に、ストーリーが一本ではなく、過去・現在・未来、此の世とあの世、現世界と異世界、神話と伝説、という具合に複数同時進行で交わりながら進む。言葉で書くと、目が回るようだが、これがムリなく(いや時々ムリはあるものの)エンターテインメントに仕上がっているところが、野田マジックのなせる業である。


 そういうわけで、彼は言葉選びがとても上手なので、エッセイがめちゃくちゃ面白い。標題の「僕が20世紀と暮していた頃」は、自分で読み、人に薦め、貸しまくり、返ってこなくなって手元からなくしては、また購入するということを繰り返している本だ。Amazonで調べたら、もう絶版になっているようだが、古本で安く売っている。もし興味のある方はご一読いただきたい。僕から貸してあげることはできないので。


 「僕が20世紀と暮していた頃」の概要を説明すると、今さらちゃぶ台をひっくり返すようで申し訳ないが、エッセイというわけではない。といっても、純粋な創作・小説でもない。勿論戯曲でもない。どういうのか、創作・エッセイ、フィクション・エッセイとでもいうべきか。

 内容はこうだ。


「2035年の年の瀬もおしつまっていた。

 その老人が、20世紀のことを語りはじめた、その最初のコトバはこうであった。

「20世紀には、牛乳配達という人間がいたんだな」

「なにをする人なの?」

「牛乳を、朝、家まで配達してきたんだよ。自転車の荷台に牛乳をのせて、ガラガラ、ガラガラ音をたてながらね。その音を聞いては、おー、まだ牛乳の時刻か、新聞の時刻まで眠っていようって、目ざまし代りに、人々は、使っていたんだ」

 この12月20日で80歳になる野田秀樹は、二人の孫にむかって、こうして『僕が20世紀と暮していた頃』を語り始めたのである。」(引用終わり)


 まんま最初の数文を引用したが、つまりこれに尽きる。野田翁が、20世紀に消えてしまった様々なものを、21世紀から追懐する、徹頭徹尾これ。

 「散々盛っておいて蓋を開けたらそれ? 結構ありきたりな、普通の展開じゃん」と言うなかれ。これが、癖になる面白さなのだ。

 20世紀、昭和、そんな時代に生きていて、21世紀は消えたもの、そんなものはいくらでもある。20世紀を生きた人間なら、皆、それを懐かしみ、振り返るものだ。しかし、野田翁の振り返る20世紀は、すごく現実味があって、ディテイルに富んでいる反面、どこかフィクションめいている。それは、客観的なものではなく、本の中の野田翁が見ていた「20世紀」だからだ。ゆえに、この本は「20世紀と暮していた頃」なのである。

 20世紀に消えたモノのチョイスもぴりりとしている。「牛乳瓶」から始まり「ガリバン」「カエルの解剖」「道バタ」「クジラ」「ダイヤル」「ドッジボール」「ピンク色の冷やしそうめん」などなど、眺めているだけで、これはただの旧世界の回顧モノではないな、と楽しくなってくる。

 しかも、その思い返す姿勢が「ああ、昔はよかったよ」的な単純なものではないところがまた良い。「なんで〇〇は消えちゃったの?」というお決まりの孫の質問に対して、野田翁はいい加減な、良く言えば思い込み、悪く言えばウソ八百の理由を並べ立てて「うんうん」なんて言っている。たとえば、牛乳瓶が20世紀を越えられなかった理由について野田翁は言う。


「酒の瓶は、酒呑みという執念深い人間によって、その瓶という形が守られた。『なに!?日本酒の一升瓶を、紙パックの箱で売り出すだと!?冗談じゃねえや、プワーッ、そんな酒を、この俺様が……っち…、呑めると…うぃっ、…思ってるんでござんすか、ときたもんだあっ!?』かくてわれやすい瓶が、不便なものだとはわかっていながら、酒を製造する会社は、酒瓶を変えることができなかった。(略)ところが牛乳には、牛乳呑みというのがいない。『ほんとにねー、ふだんは大人しくて、いい人なんだけど、牛乳が度を過ぎるとねー、どうしてあの人は、牛乳をやめられないんだろうね、牛乳さえやめられれば、申しぶんのない人なんだけどねー』といった牛乳呑みがいなかったんだな。だから、牛乳瓶を牛乳のパック箱に変えるという荒業が、なんの抵抗運動をうけることなく実現してしまったんだね」(引用おわり)


 一事が万事、この調子で、聞いている(読んでいる)ときは(ふんふん、そうだよなぁ、牛乳呑みかぁ、確かにいないよなー)なんて思いながら、一通り聞き終わって「…なわけあるかいやっ」と一人で突っ込みを入れてしまうような感じなのだ。


 それであって、その背後に確かにある郷愁、喪失感は、空気のように、読んでいるうちに僕たちの体内をひたひたと満たしていく。読み終わった後は、なんだか切なくて、ボーっと空や見慣れた部屋や、家族の顏なんてものを眺めてしまうだろう。

 まだ信じられない気持ちだが、平成は終わり、令和になった。ドラえもんもアトムもすぐそこで、なんと北斗の拳は過去になった。何かあるごとに昔を懐かしんでいたのでは、これからが覚束ないほど、未来は果てしなくすごい速度で動いている。そんな時は、現代社会への批判や、社会的意義や、文化の保存なんて考えないで、軽妙洒脱な野田翁のように、自分の記憶にある思い込みの20世紀を切り取って、大して大事にすることもなく、そこらへんの引き出しに入れておくのがいいんじゃないだろうか。そんな風に僕は思う。


 あとがきになるが、この本は、挿絵も心憎い。ぱっと見、気持ちが悪い不気味な絵なのだが、こまごまと絵の中に書き込まれているものにはストーリーがあり、その奇妙な符号を探して、随分長い間絵を凝視してしまったりする。ただの回顧に見せかけて実はフィクション、最後には、挿絵の中に広がる不可思議な世界こそが、野田翁の見ていた「20世紀」だと合点がいくのだ。



 






 


 

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