第10話「最後のパーティー」
わたしがお願いした通り、使用人が持ってきたドレスは淡いオレンジ色の控えめなドレスだった。
今日のパーティーは午後六時から。会場も公園とそう離れてはいない。途中で抜け出してしまえばいい。そして彼の元へ行けばいいのだ。
家から車で会場へ向かう。その道すがらわたしは自分の心の中を整理させていた。
彼に出会ってわたしの人生は大きく変わったように思う。彼には大切にしてもらった。そしてこの気持ちが愛だということも知った。
決心をする中で母には少なからず申し訳ない気持ちがあった。父と二人きりにしてしまう。きっと父の暴力はわたしがいなくなっても変わらず母に向けられるだろうから。
会場に着き、車を降りたわたしは背筋を伸ばした。決意したその気持ちを抱えて。
お酒に煙草、香水の混じった独特のにおいが鼻につく。シャンデリアから降る明かりは眩しく、その雰囲気に結局慣れることはなかった。そしてこれからも慣れることはないだろうと思う。
そんなことを思いながら会場へと足を踏み入れれば、自然と背筋が伸びた。
頭が疲れてしまいそうな程にホールは賑わっていて、わたしはすぐにテラスへと出た。時間が来るまで暇を潰せれば特に何の問題もないのだから。
「あら? 池田さん?」
不意に名前を呼ばれ思わず振り返るとそこには淡い空色のドレスを身に纏った九条さんがいた。運が悪い。そんなふうに思う。
「九条さん、こんばんは」
「こんばんは。今日はおひとり?」
「ええ、そうです」
一番会いたくない人物だったが声をかけられて言葉を交わさないほどわたしは偉くはないし、勇気もない。そのため頷くしかなかった。
「先日、晃と一緒にいる所を見ました。何をなさっていたのです?」
九条さんは顔に整った笑みを貼り付けて尋ねてきた。先日、とは昨日のことだろうか。
「公園で、言い争っていたようですけれど」
付け足すように告げられたことでわたしは今、交わされている話の内容が昨日のことだと確信した。彼女にどう話そうか頭の中で考える。
試してくるような九条さんの瞳がじっとわたしを捉えて離さない。
「小説の話を、していたんです。感想を言い合っていて、その時に少し口論になっただけです」
わたしは事実をオブラートに包んで伝えた。彼女は目を細め、わたしを穴が開くほどに見つめてくる。けれどわたしは目を逸らさず、彼女の瞳を見つめ返した。
現実から逃げたくない、決意から目を逸らしてはいけない。そう思ったから。
けれど固めたはずの決意は案外脆いもので、彼女の一言によって揺らいだ。
「そう。それと、あなたには一番に報告したかったの。わたくし、晃と結婚することになったの」
「えっ……」
口元に怪しげな笑みを浮かべる彼女の言葉にわたしは唖然とした。
「先日そういうことに決まったの。晃ももうすぐ二十歳になることですし、って」
今にも崩れ落ちそうになる身体を必死に耐える。足が震えだしてしまいそうだ。背中には嫌な寒気がする。
「だから、変なことは考えないでちょうだいね。晃はわたくしのものなのだから」
楽しげにくすくすと笑う彼女の言葉にわたしは後先考えず口を開いていた。
「彼は物ではありません。彼は誰のものにもなったりしない。たとえそれが許婚のあなた相手だとしても」
昨日、彼が言った言葉が脳裏を過ぎりわたしは彼女の言葉を振り切った。「結婚相手まで決められてたまるか」。その言葉をわたしは信じる。彼が簡単にわたしのもとを離れて九条さんと結婚するはずがない。
「なっ! あなた、何様のつもりなのっ!」
ヒステリックなお嬢様。その言葉が彼女にはお似合いだ。気に入らないことがあればすぐに癇癪を起こす。まるでわたしの父のようだ。
わたしは逃げも隠れもしない。背筋を伸ばし、彼女を睨むように見つめた。
「少なからず、あなたよりも晃のことをよく知っている、彼の選んだ人間です」
そんだ。彼はわたしを選んだ。だから駆け落ちなんて馬鹿げたことを真剣にはなしてきたのだ。
わたしに面と向かって言われた九条さんは顔を真っ赤にさせていた。周りには騒ぎを聞きつけた野次馬が群がる。
「わたくしより年下のくせに生意気よ! 覚えていらっしゃいっ」
彼女はそう言い捨てるなりわたしに背を向け、ダンスホールへと去っていった。わたしもその場にいるのが気まずくなり、すぐに会場を出た。
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