第7話「許婚」






「お嬢さん、踊らないの?」


 不意に掛けられた声に振り返ると、わたしがここに来てすぐに見た晃と親しげに話していた女性がそばにいた。近くで見るとわたしよりも少し年上に見える。


「あ、はい。わたしは遠慮させていただいています」


 わたしは彼女に向き合い丁寧に返す。背の高い彼女はわたしを見下ろすように冷めた眼差しで見つめてくる。何を言えばいいのかわからず黙っていると先に彼女が口を開いた。


「わたくしは九条千早。久世晃の許婚です」


 彼女の言葉にわたしは目を見開いた。


「池田、結乃と申します」


 すかさず平然を装い深々と頭を下げた。九条家は池田家や久世家よりも格の高い良家だ。そんな彼女が晃の――許婚。


「池田さんは晃とどう言った関係で?」


 物腰の柔らかそうな口調とは裏腹に彼女の瞳は冷たく、わたしを睨んでいた。まるで敵でも見るような目だ。


「少しお話をさせていただいているだけです。特に何かあるという訳ではありません」

「そうだったの。晃が失礼なことをしたりはなかった?」

「いいえ、大丈夫です」


 彼女はわたしに子供と話す時のような仕草で話しかけてくる。池田と聞いて見下しているのか。それとも許婚と仲良くしていた女であるわたしのことが気に食わないのか。理由はわからないがそんなことよりも彼女の接し方がとても煩わしかった。


「そう言えば、晃を知らない? さっきまで一緒だったわよね」


 彼女の問いに、咄嗟に言葉が出て来なかった。本当のことを言うべきか、それとも適当なことを言ってはぐらかしてしまうべきか。けれども彼女もきっと晃同様、勘が鋭いだろうと思う。さっきからわたしを見る彼女の瞳の色に変化がない。薄々気づいているのかもしれない。わたしと晃の関係に。


 考えた末に答えようと口を開きかけた。その時、彼女の後ろに晃の姿を見た。


「あっ……」


 思わず声が漏れ、それに気づいた彼女が後ろを振り返る。彼女の表情が一気にやわらかく崩れた。


「晃っ! 探していたの。一緒に踊りましょう?」


 晃に駆け寄った彼女は腕にしがみつき、晃の手からグラスを抜いた。彼女の手に納まったグラスの中身はオレンジ色の液体だった。晃と初めて会ったあの日、彼がわたしに気を遣って持ってきてくれたものと同じ。酸っぱくて、それでいて甘いオレンジの味がするそれ。

 そのグラスに口をつけたのは、許婚である彼女だった。胸部を強く殴られた時に似た感覚がした。目の前で晃に甘える彼女を見て、わたしは息が詰まりそうになった。


 彼女はそんなわたしの顔を見ると嬉しそうに口角を上げ、晃を連れてダンスホールへと溶けていく晃は一瞬振り返る素振りを見せるものの、振り返ることはせず、そのまま彼女と共にホールへと溶けた。


 わたしは何も言えなかった。何も出来なかった。ただその場に立ち尽くし、ドレスの裾を強く握りしめるばかりだった。












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