第6話「似合わないドレス」
パーティー当日、朝から屋敷の中はいつも以上に忙しなかった。
母は使用人にわたし用の新しいドレスを渡していたらしく、それに合った小物を用意したりと使用人たちが忙しそうに屋敷の中を行き交っていた。
夕方、パーティーの用意を始めた。使用人たちに着せられたドレスは深い青色を基調としたものだった。前回同様、肩が大きく露出していて裾にはレースやフリルが豪華にもられている。彼の言うところの「似合わないドレス」だ。
「奥様がお嬢様にと、お選びになったのですから――」
使用人の言葉を聞き流しながらこの後のパーティーを考えるとどうにも明るい気分にはなれなかった。
パーティー会場のダンスホールはやはり眩しいほどに明るく、そして煌びやかだった。
「結乃、よろしく頼むわね」
母はそう言って前回と同じようにわたしを置いてホールの人波へと溶けていった。わたしは壁際に寄り、ホールを眺める。
ふと知った顔を見つけた。彼だ。それだけで不安が少し和らぎ、そして無性に彼と言葉を交わしたくなった。しかし彼の向かいには親し気に話す女性がいた。クリーム色の落ち着いたデザインのドレスがよく似合っている。彼女の笑顔も控えめでいて素敵だ。仕草の一つ一つから育ちの良さが溢れている。
そんな二人を見ていて何故だかわたしはその場から逃げ出したいと思った。見たくない。彼と一緒にいるところを。
わたしは思わずテラスへと逃げた。夜風に当たって頭でも冷やせば気になることもないと思ったから。けれど頭に浮かぶのは親し気に話す二人の姿。わたしは思わず笑みを零した。自嘲的な笑み。この状況があまりに可笑しくて自然と零れたのだ。
何故こんな気持ちになるのか、わたしにはわからない。こんな感情は生まれて初めてだ。
ダンスホールに背を向け空を眺めるでもなく俯いていると、不意に聞き覚えのある台詞が背後から聞こえた。
「そのドレス、あなたには似合いませんね」
顔を上げ振り返ればテラスへと続く扉の前でわたしを見つめる彼がいた。一緒にいた彼女はいない。彼一人だけだ。
前のわたしだったらきっと彼の言葉に一つでも文句を言い放っていただろう。けれど、今は違う。
「やっぱりそう思う? 今日も母が選んだドレスなの」
わたしの言葉が予想と違ったのか彼は驚いたように目を見開いた。
「今日は何も言い返してこないんだな」
「あの日帰って自分の姿を見てみて思ったの。似合ってないって。今日はここへ来る前に見てみたのだけれど、悲惨ね。似合ってなかったわ」
笑って語るわたしの話を彼は一切笑うことなくお決まりの無表情で聞いていた。ただわたしが語り終わっても口を開かなかったからどう接していいものか困惑した。
「やはりわたしにはこんな華やかなドレスも煌びやかな場所も似合わないわね」
さっき見てしまった彼と言葉を交わしていた女性の姿が脳裏を過ぎる。知らず知らずのうちに彼女と自分を比べて、そして自分を卑下している。
「この間の小説、どうだった?」
重い空気の中、彼は不意にまったく関係のない話を振ってきた。わたしは彼を見て「おもしろかったわ、ありがとう」と答えた。
「……何かあっただろう」
彼の勘が鋭いところは長所だと思う。けれどわたしはそれを歓迎することはできない。何かあればこうしてすぐに気づかれてしまい、内容を問われてしまうのだから。
わたしは上手くもない作り笑みを浮かべ首を傾げる。しかし彼はわたしが話すまで何も言わないつもりらしい。わたしを見据え口を引き結んでいた。
作り笑顔を崩し、ため息を吐く。同時に肩を落としたわたしはぽつりと言葉を零した。
「家で、色々あったの。それよりさっきの女の人は?」
微かに驚いたように見えた彼はいつもの無表情で「何でもない」と短く答えた。彼もわたし同様答える気はないようだ。
「そうだ。朝日奈先生の新刊はもう読んだ?」
「ええ。相変わらず素敵な作品だったわ」
「二人を殺した許婚のこと、どう思った?」
「どうって……」
小説では許婚のいる少女に主人公が恋をする。しかし彼女は重い病気を患っていて、主人公は彼女のために色々な願いを叶えようと奮闘する。けれどある日を境に会えなくなってしまう。許婚だと名乗る者からは「病気が悪化して死んだ」ということを聞かされる。
それから二年後。彼女のことを思い出し、会っていた場所へ行くと彼女は生きていた。実際は許婚が二人を引き離すための作戦だった。
再会を喜ぶ二人だがそこにナイフを持った許婚が現れ二人を刺し殺すのだ。
許婚はきっと彼女のことを愛していたのだろう。いくら親が決めた相手とは言え、情が全くないわけでもなかったはず。そんな彼女を取られたと感じた彼はきっと主人公のことが憎かったのだろう。
「憎かったんじゃないかしら? 横取りされるみたいで」
わたしはいつも以上に言葉を選んだ。自分は小説の中の許婚ではないので本当のところがわからない。自分の考えに過ぎないため、そこは言葉を選ばなくてはならなかった。
「なら、許婚が会うなって言った時に会うのをやめれば……あんなことにはならなかったんじゃないか?」
わたしは言葉が出てこなかった。彼の言うことがわからないわけではないし、むしろ一理ある。けれどもそう簡単なものでもないだろう。人間という生き物は。
「好きになった時期は違っても、やはり二人とも彼女のことが好きで、愛していたんじゃないかしら」
「あれじゃあ誰も幸せにはなれないと思うけど」
「そんなの、主人公は違ったかもしれないわよ? 二人で死んだら許婚に邪魔されることはないのだから」
「それを幸せだと思うのか?」
「幸せかどうかは本人じゃなきゃわからないわ。それに不幸と決めつけるのも違う気がするの」
「なら、あんたが主人公だったらどう思う?」
苦手な問いかけだ。何故そんな問いをわたしにするのだろうか。小説の人物とわたしではそもそも育ちが違うのだからわかるはずがないと言うのに。
わたしは一瞬そんなことを思い、迷って口を閉じる。けれどずっと黙り込むこともできず、おずおずと口を開いた。
「わたしはだったら……もし、わたしなら。許婚に好きな人を取られることもなく、これからは一緒に同じ場所にいられるのだから幸せよ」
思っていることを言った。そう、言ったのだ。包み隠すことなく。けれど彼はわたしの言葉を聞き、複雑そうに顔を歪めた。
「けれど、好きな人を殺されるのは嫌よ。いっそ自分の手で終わらせた方がいいわ」
そう続けると彼は複雑そうに歪めていた表情を和らげ、少し落ち着いた表情をした。
「そうか……」
彼は短くそれだけを口にすると小さく口角を上げた。それは笑みを浮かべているようにも見える。
「あのさ、名前……呼んでくれないか?」
「え? く、久世さん?」
突然の頼みに反射的に声が出る。しかしわたしの発したものは少々的を外していたようだ。
「じゃなくて、下の名前。晃って呼んでほしい」
珍しく彼が頼んできたそれはわたしたち二人の関係を深めるような内容だった。
「あの、突然どうしたの?」
「いいから呼んで」
彼は理由も語らずわたしを急かしてきた。彼の言葉に従うべきか迷う。しかしここでもう一度理由を尋ねたところで彼が答えてくれないのは目に見えている。それでも試すようにわたしは少しの間黙り込んだ。けれど彼もわたしを真似て黙ったままこちらを見つめてくる。口を開く気配は全くない。
「あ、晃……」
困り果て、ついに口を開いたわたしは首を傾げながら彼の反応を確かめるように名前を呼ぶ。彼は小さく口を開き何かを言いかけようと息を吸ったものの、すぐに言葉を放つことなく閉じてしまった。
しばらく沈黙する。しかし彼は目を細めたかと思った次の瞬間、口を開いた。
「これからは、そっちで呼んでくれないか?」
「え、どうして……」
「呼んでほしいから。あんたなら呼ばれてもいいかなって。俺、自分の名前好きじゃないんだ。けど、あんたなら呼ばれるのは嫌じゃない」
彼が言う。その言葉の意味を理解しようと努力した。けれど深い意味があるのかすらわからない。しかし断る理由をわたしは持ち合わせてはいなかった。
「わかったわ。そこまで言うならそうする」
わたしは何だか恥ずかしいような気分になり肩をすくめて告げる。すると今度は晃の方が恥ずかしそうに目を泳がせ始めた。
「だから、もし良かったら、あんたのことも名前で呼ばせて」
ちらりと一瞬目を合わせて告げる彼の言葉をわたしはやはり拒絶できなかった。
「どうぞ」の一言だけ告げ、他には何も言えなかった。
「飲み物もらってくる」
晃はその場に居た堪れなかったのか、逃げるようにそう言い残してホールへと向かった。
残されたわたしはさっきの言葉の意味をもう一度じっくりと考えた。わたしもあまり名前で呼ばれるのは好きではない。だから親しくなった相手にしか許していないのだ。
もし彼もわたしと同じならば、わたしのことを親しい相手と捉えているのだろうか。ありがたいと言えばありがたい。話は合うし、気兼ねなく話せるから。けれど、人と関わることは苦手だ。
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