第4話「普通の恋人」





 オムレツライスを食べ終わったわたしはゆっくりとくつろぎながらアイスティーを飲んでいた。


「普通の女の子って、両想いの二人が結ばれて幸せになる恋愛ものが好きだったりするでしょう?」


 前置きもなしにふと口に出した言葉。アイスコーヒーを飲んでいた彼が「ああ、確かにそうかも」と相槌を打つ。


「わたし、どうもそういう恋人たちの気持ちがわからないみたいなの。一緒にいれば辛いことばかりな気がして……」


 グラスの中でストローを回すとカランと音を立てて氷の山が崩れる。

 真面目に話しているとわたしの言葉は徐々に暗く重たいものになっていく。


「一緒にいるって、相手の自由を奪うことだし、相手や自分を傷つけることだと思うの。結局はどちらも傷ついてしまう。……何故、そんなことを望むのかしらって、ずっと思っているの」

「好きだから一緒にいたい。それだけじゃ、理由にならない?」

「え?」


彼の発言に顔を上げる。わたしの中だけでは出会うことのなかった、一度も思いつかなかった考えだ。


「好きな人の傍で、好きな人の笑顔が見たい。それじゃあ理由にはならないかなって」


不安そうに首を傾げる彼の表情は行動とは全くちぐはぐで、声音はどこか自分の考えをしっかりと持っているように凛としていた。そんな彼の言葉にわたしは何度も瞬きをした。


「確かに相手の幸せを願って身を引くのも素敵だなって思うことはある。けど、それって結局は相手と向き合うことから逃げてるのかなって」


 初めて出会ったあの時のように彼は思ったことを包み隠さず、真っ直ぐに伝えてきた。

 手の動きを止めたグラスの中で氷がまた音を立てて崩れた。


「本当に愛しているなら、思っていることを伝えるべきじゃないか?」


 彼の言葉を聞きながらそうではないとわかっていても、まるで自分の考えが否定されたように思えた。

 本の話をしていたはずなのにいつの間にか恋愛について話し込んでいた。けれどそんなことはどうでもよかった。

 ぐっと唇を噛みしめ俯く。耳にかけていた髪が流れるように落ちて視界を狭める。足の上に乗せていた手に力を入れるとわたしは口を開いた。


「よく、わからないの。好きだから一緒にいたいっていう思いも、好きな人の傍で笑顔を見ていたいという思いも」


 自分の手を見つめながら思ったことを口に出した。彼はそれを黙って聞いている。


「わたしの大切な人は、わたしがいることでいつも泣いているの。いつも、謝ってくるの。ごめんなさいって。別に何も悪いことをしているわけでもないのに。だから、傍にいたら笑ってくれないから……」


 わたしはそこまで口にして思わず唇を噛みしめるように閉じた。視界を遮る髪を掻き上げようとは思わない。むしろ彼と目を合わせなくて済むことに安堵している。彼も口を開かず何も言わないままだ。今の話でわたしのことを嫌いになっただろうか。なら、もう会うこともなくなるのだろうか。

 諦めのような、覚悟にも似たような気持ちでゆっくりと瞼を伏せた時だった。


「なら、笑っていてくれる相手のところにでも逃げるか?」


 思いもよらない言葉にわたしは目を見開き、顔を上げて彼を見た。


「そんな人、いるわけ……」


 自嘲的な笑みを浮かべたわたしの口から突いて出る言葉はどれも否定的なものばかりだった。けれど彼は違う。


「いるかもしれないじゃんか。案外近くにいて、声をかけるタイミングを見計らってるかもしれない」


 彼はとても真剣な表情でそんなあり得ないことを言ってくる。だからなのか、わたしはそれを否定することができなかった。

 微かに口角を上げて微笑む彼にわたしも不器用に笑った。彼の言った通り、誰かがわたしの隣で笑ってくれる未来を願って。


「そろそろ出ようか」


 そう言われて席を立つ。財布を取り出そうとすると彼はわたしの手に自分の手を添え、やんわりと押さえ込む。「出すから」と有無を言わせないような口調で告げ会計を済ませるとわたしたちはすぐに店を出た。


「ありがとう。ごちそうさまでした」


 店を出てすぐのところで足を止め、軽く頭を下げる。


「あのさ、もしよかったら、また一緒に食事にいかないか」

「ええ。けどその時はちゃんと自分の分は自分で払うわ」

「ああ。それじゃあ、また」


 特にいつ会うとかそんな約束はせず、彼は短く告げて背を向け歩いて行った。一人になったわたしは近くにある公園で読書でもしようと、彼とは逆の方向へ歩き始めた。


 この時期、夜はまだ寒いことが多いものの日中は太陽の光が温かく過ごしやすい。外で読書をするには持って来いの季節なのだ。

 公園は他の時期よりも賑わっている。所々に設置されたベンチの空いている席を探し、そこに腰かけたわたしは朝日奈先生の新刊を取り出し開いた。


 表紙の次に来る白紙のページはいつもと違い真っ黒で、小説の内容もいつもと少し違うのだろうかと期待で胸が躍る。

 わたしはそこからどっぷりと読書にのめり込んだ。朝日奈先生の文体は次が早く読みたくなるような運びで、いつも一気に読んでしまう。今回もそうだ。話はシリアスで重たいものなのに次が気になって読む手を止められなかった。


 読み終わり本を閉じるとすっきりとしたような感覚と絡みつてくるような感覚という全く反対の性質である感情が入り混じった、複雑な感情が心に残った。朝日奈先生の小説に見える特徴の一つだ。わたしはこの何とも表現しにくい感覚が好きで読んでしまう。

 

 閉じた本をカバンに仕舞い腰を上げる。今日はもう屋敷に戻らなければならない。時刻を知らせる鐘の音を耳に入れながら、わたしは屋敷への帰路へとついた。







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