第10話
「すまないが配達を頼まれてくれないか?」
「嫌よ。大体、いつからそんなサービス始めたんですか?」
「別にサービスを始めた訳じゃないが、断る道理もないだろう」
「暇だから?」
「それを言わないでくれ」
「じゃあ、店長が自分で行けば良いんじゃないですか?」
「少ないけどお昼にお客様が何人かいらっしゃるだろうから、それは出来ない」
「仕方ないわね。エーデルちゃん、お姉さんは見ての通り読書で忙しいから代わりに配達して来てちょうだい」
なんとなくだが、そう来るのは予想出来た。ロクに料理も出来ない私が云うのも難かもしれないがラーレさんはもう少し真面目に働くべきだと思う。流石にアルバイト中に紅茶を啜りながら、優雅に洋書のページをめくるのはよくない。ちなみに、紅茶は私が淹れた。紅茶を淹れる事は私に出来る数少ない仕事の一つだ。
「私は大丈夫です」
私は店長とアルバイトのラーレさんにそう言った。
「エーデルちゃんには他にやって貰いたい事があったが、仕方ないか」
店長は優雅に読書にふけるラーレさんを一瞥しながら諦め気味に言った。
そもそも、店長がラーレさんに強く出られないのは休日ラーレさんを目当てで来る男子学生が少なくないからだ。ラーレさんは確かにモデルさんの様に顔が整っていて美形だ。しかし、今までのやり取りでなんとなく分かると思うが、かなりワガママな人だ。同年代の男の人の前では上手くそれを隠している様だが。
「それじゃあ、これを頼むよ。6ユーロちょうどだからね」
店長はそう言って私に平らな箱を渡した。多分、中身はピザだろう。
「場所は地図に印を付けておいたから、迷わないようにね。それと渡す時はピザが冷めてると思うから、アルミホイルで包んでから中火のフライパンで4~5分ほど熱せば美味しく食べられると伝えておいてくれ」
「分かりました。」私はそう言って地図を受取った。地図を見ると印があるのはギリギリ隣町じゃないくらいの少し遠い場所の様だった。
「それじゃあ、行ってきます」
私はそう言って扉の方に向かった。
「時間はあるから急がなくて大丈夫だからね。あと、車に気をつけて」
後ろから店長のそんな声が聞こえた。
私は後ろを向き、店長に一礼した。その時、ニコニコした顔で私に手を振るラーレさんの姿が見えた。本当に調子の良い人だ。
私はそんな事をぼんやりと考えながら、街中に入っていく。
曜日は土曜日。下手をすれば同級生に会ってしまう可能性がある。
なので、街中では出来るだけ顔を俯いた状態で歩いた。こんな所でサラやミレーマに会ったら、ひとたまりもない。
それから、30分程街中を歩いたところでやっと目的の場所まで付いた。
正直、普段から長距離を歩く機会が全くないので、かなりヘトヘトになっている。
そこは繁華街の裏路地の寂れた雑居ビルだった。雑居ビルと言っても看板は無く、何かの店という訳ではなさそうだ。ただなんとなく、その雑居ビルは嫌な雰囲気を漂わせていた。目の前には地下に続く階段があり、見たところそこ以外でビルの中に入る方法なさそうだ。出来るなら行きたくはないが流石に怖いからと言って引き返すわけにはいかない。別に幽霊がピザを注文した訳じゃない、ビルの中には普通の人が居て、何の問題も起こらずピザを渡して帰るだけ。怖いことなんて何もない。
私はそう自分に言い聞かせて、地下へと続く階段に向かった。
階段には明かりがなく、ピザを両手で持っている私はかなり慎重に階段を降りる必要があった。なんとか踊り場まで着くと、横の奥に古臭い電球に照らされた鉄扉が見えた。私は踊り場からその鉄扉に向けて、更に階段を降りた。
鉄扉に近づくにつれ徐々に空気が重くなっているような気がした。
鉄扉の前につくと、私は一度深呼吸をして気持ちを落ち着かせた。
ピザを注文したのは幽霊でも怖い人でもなく、普通の人。普通の人。普通の人。
頭の中で何度も自分にそう言い聞かせ、私は扉の横のドアホンに手を伸ばした。
ドアホンを鳴らした。いや、音がこっちには聞こえないタイプらしく本当に鳴っているかは分からない。ただ確かにボタンは押した。
十秒・・・・二十秒・・・三十秒・・・・・・・・・・一分。
まるで、反応がない。私は仕方なくもう一度ドアホンを押した。
相変わらず反応がない。もしかしたら、ドアホンが壊れてるのかもしれない。
私は扉をノックしようと、ピザを肩と左腕で抑え扉に手を伸ばした。
「あっ」
私が扉に手を伸ばした瞬間、扉が思い切り開け放たれた。
中から顔を出したのは私より少し年上くらいの金髪の少年だった。
「見かけない顔だな、こんな所で何してんだ? 事によってはただで返す訳にはいかないぞ」
少年は訝しげな表情で私にそう言った。
「あのっ、そのっ・・・・」
私は少年の静かながら高圧的な気迫に押され、上手く言葉を紡げなかった。
「・・・・・あぁ、ピザか。脅かして悪かったな」
少年は私が片手に持っていたピザを確認すると、先ほどのまでの表情が嘘のように優しい顔を私に向けてくれた。
「いや、こっちもまさか子供が来るとは思ってなかったから驚いたぜ。はい、金」
少年はそう言いながらピザと引き換えに私にお金を差し出してきた。
「あっ、ありがとうございます。それでは失礼します」
私がそう言ってから後ろを向いて立ち去ろうとすると、少年は私の肩を力強く引っ張り私を元の位置に戻した。
「えっと、あのっ、ごめんなさい。何か粗相があったなら謝ります!」
私はしどろもどろになりながら言った。今の短いやり取りで何か彼の気に障る様な言動や行動を取っただろうか。確かに最初に言葉を詰まらせてしまったが、それが気に入らなかったのだろうか。もう訳がわからない、泣きそうだ。
「いや、金数えなくいいのかなって思って・・・数えるだろ普通」
彼は少し動揺した様子で私に言った。とりあえず、怒らせてはいないようだ。
「一枚、二枚、三枚、四枚、五枚、六枚・・・はい、確かに6ユーロ頂きました!」
私は急いで貰ったお金を数え言った。
「おっ、おう。渡されたお金はちゃんと数えた方がいいからな」
少年はかなり複雑な面持ちでそう言った。これは私の勝手な想像だがこの少年は過去にお金を数えなくて痛い目を見たことがあるのかもしれない。以後気を付けよう。
「いっ、以後気を付けます」
私はそう言って頭を深めに下げた。
「別に頭下げる事はねぇだろ。とにかく、ピザは確かに受け取った。また機会があったらよろしく頼むぜ」
少年はそう言って私に一瞬微笑みかけてから玄関の扉を閉めた。
とりあえず、当たり前だがピザを注文したのが幽霊でなくて良かった。1回目のドアホンで反応しなかったのはきっと家の事で忙しかったのだろう。
何も怖いことがないと分かったので帰りの階段は比較的スムーズに上がることが出来た。さて、お店に戻ろう。
少年の居た雑居ビルから離れようとすると、何か言い忘れているような気がして私は立ち止った。
出掛ける前に店長に言われたことを思い出してみよう。
「あっ」
思い出した、ピザを温めなおしてもらうことを伝え忘れた。
しかし、それを伝えるためだけに戻るだろうか。
そこまで大事な事でもないないと云えば、そうだろう。
冷めたピザがなんだ、食べられればいいじゃないか。
冷めたピザ、冷めたピザ、冷めたピザ、少し湿気っているピザ。
私は頭の中で冷めたピザを食べている自分を想像してみた。
「やっぱり、戻ろう」
私は踵を返し、地下へ続く階段に戻った。
冷めたピザより、温かいピザの方が良いに決まっている。
扉の前に着くと、私は再びドアホンを鳴らした。今度は早く出てきてほしい。
十秒・・・・二十秒・・・・あっ
ドアホンを鳴らしてから二十秒過ぎたあたりで、扉の後ろから鍵を開ける音がした。
中から出てきたのは先ほどと同じ少年だった。
「ん、まだ何か用か?」
彼は少し不思議そうに私を見ながら言った。そんな彼の右手にはピザの切れ端が乗っていた。間一髪、口はまだつけていないようだ。
「えっと、・・・・そのピザ冷めてると思うので、アルミホイルで包んでから中火のフライパンで4~5分ほど熱せば温かさが戻って美味しく食べられると思います・・」
私は店長に言われた通りの事を言った。
しかし、少年はそれを聞いてなんとも形容しがたい表情で私を見つめている。
既に何枚か食べていて、言うのが遅かったのかもしれない。
少年は相変わらず私を見つめ続けている。視線が痛い。
「もしかして、お前それ言うためだけに戻ってきたのか?」
少しの沈黙が続いた後、彼がそう切り出した。
私がその通りだと無言で頷くと、彼は盛大に吹き出して笑い始めた。
「お前、律儀な奴だな。俺ならその程度こと言うためにわざわざ戻らねぇぜ」
彼は楽しそうにそう言いながら私の背中をバシバシ叩いてきた。本人的には軽くやっているつもりだろうが、普通に痛い。
「気に入った、ちょっと待ってな」
その後、彼をそう言い残し再び建物の中に戻って行ってしまった。
正直、勝手に気に入られても困る。
しばらくすると彼はピザの切れ端の代わりにコーラーの缶を持って戻ってきた。
「ほら、これやるよ」
そして、ほぼ予想通りにそのコーラーの缶を私に差し出してきた。
純粋に考えて、ただでジュースを貰えるのだからこんなに嬉しいことはないだろう。
しかし、私にはそれを素直に喜べない理由があった。私は炭酸が駄目なのだ。
「あのっ・・・えっと・・ありがとうございます・・・・。でも、・・・」
私がそう言い終える前に彼は私の背中を先ほどよりも強めに叩いて、笑顔で言った。
「まぁ、遠慮すんなって軽いチップだよ。それとも現金の方が良かったか?」
『はい、炭酸より現金の方が良いです』と言いたいのは山々だが流石に品正と云うか何というか、それを言ったら色々駄目な気がする。
仕方なく私は一しきり礼をして自分では飲めないコーラを受け取った。
「必ずまた頼んでやるから、そん時もお前が来いよな」
彼は清々しい表情で別れ際にそんな事を言った。
飲めないコーラを持った私はなんとも言えない気持ちで「おっ、お待ちしております」と事務的な事を言った。ジュースをただでくれたりと、全く嫌な人という訳ではないが人の背中を考えなしにバンバン叩くのは勘弁して貰いたい。
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