第9話

だんだん日が落ちていき、辺りが薄暗くなっていく。なんとなく駆け足になる。

特に理由はないが、日が落ちる前に家に帰らなければいけない様な気がした。

しかし、走り出すとすぐに息が苦しくなり、私は立ち止まってしまった。

暗闇はすぐそこまで迫っていた。私はもう一度気合を入れ直しそこから力を振り絞り残りの道を一気に駆け抜けた。


そして、なんとか日が沈む前に家に戻る事ができた。

もちろん、家には誰も居らず部屋はほの暗く静まり返っている。私は電気を点けすぐに手を洗いとうがいをしに洗面所に向かった。その後、おもむろにテレビの前のソファに腰掛ける。そして、テレビを点けた。テレビを点けたのは別に観たい番組がある訳ではなく単に孤独を紛らわすためだ。適当にチャンネルを回していく、最初のチャンネルはニュース。次はクイズ番組。次はテレビ討論。次はサッカー、次はテレビショッピング、次はアニメ。この中ならアニメが一番明るそうだ。私はそう考えチャンネルをアニメで止めた。幼児向けのアニメだが、点けていると確かに部屋が賑やかになる。


私はソファから降り、ママがあらかじめ作っておいてくれた夕食の皿を冷蔵庫から出し、レンジで温めた。

その皿をテーブルに置き、自分はテレビが観える位置に座る。

最後にパパやママと一緒に夕食を食べたのはいつだっただろうか。

それほどにこのシチュエーションは私にとってありふれている。

今日も独り。いつものこと。

でも、こんな暗いことを考えていても仕方がないので、私は『グゾルブのいたずら大作戦』に集中することにした。



夜も深くなった頃、私は寝るために洗面所に顔に貼ってある湿布を剥がしに行った。

そして、鏡の前に立ちおもむろに自分の顔を見る。

「ひっ!」

私は思わず声を上げてしまった。左眼の白目の下半分が赤く染まっていたのだ。

それはすぐに忘れつつあった白い肌と赤い眼の少女の事を私に思い出させた。

何度瞬きしても、いくら目を擦ってもその赤は引かなかった。

頭の中で彼女が唄っていた歌が狂ったように何度もリピートされ始める。私はそれを止めたくて、赤い眼を消したくて必死で目を擦った。しかし、頭の中の歌は止まらず、赤色は一向に引かない。

怖くて、悲しくて私は鏡の前で泣き出してしまった。涙を流しているうちに次第に気持ち悪くなり、吐き気に襲われた。

息が詰まりそうになり、だんだんと呼吸が苦しくなる。意識が遠のいて行く。



「エーデル。エーデル!」

消え行く意識の中で私を呼ぶ声が聞こえた。

その声の主は洗面台から崩れ落ちる寸前の私を抱きかかえ、尚も私の名前を呼び続けている。その腕に抱かれ、少し気持ちが落ち着いた私は顔を上げ声の主の顔を見た。

なんて事はない。それはパパだった。私は安堵から再び意識が飛びそうになった。彼の帰宅はいつもより2時間も早かった。しかし、間違えようがなくパパだった。

「どっ、どうして?」

私は思わずそう聞いた。

「仕事中になんだか無性にお前の事が気になって居ても立っても居られなくて、つい飛び出して来てしまったんだ。それで急いで家に戻ったら、お前の泣き声と苦しそうな声が聞こえたから…….とにかく、間に合って良かった。本当に良かったよ」

パパは息を切らしながらそう話した。


「それで、その傷はどうしんだい?」

パパは私の顔に貼ってある湿布と手に巻かれた包帯を見てすぐに言った。

「あっ、えっと….学校に本を読みに行った時に転んじゃって」

私は思わず嘘を言った。学校でいじめっ子に怪我させられた話や自分で鏡を殴って出来た怪我などと言える訳が無い。

「それで保健室の先生に手当てして貰ったんだね。明日の朝、保健室の先生にお礼の電話をしておこう」

手の包帯は保健室の先生ではなく見知らぬ少女だが、それを話すと話がこんがらがりそうなので言うのは止めておいた方が良さそうだ。

「ところで、エーデルはさっきまでどうして泣いていたんだい?」

私は言葉を詰まらせながら正直に話した。

「鏡を見たら、目が赤くなってて…….それが怖くて、そしたら、寂しくなって」

パパはそれを聞くと難しい表情をした後、私をきついほど強く抱きしめた。



「いつも寂しい思いをさせて本当にすまないエーデル。でも、今日はもう大丈夫だ。今日は私が一緒に付いてる」パパは私の耳元でそう口にした。

ふと見ると、パパの目から一粒の涙が零れ落ちていた。

それから、パパは目が赤くなった原因について優しく教えてくれた。

簡単に云うと、頭を打った時に内出血して、その血が目元まで下ってきただけの話らしい。私はそれを聞いて心底安心した。

内心、赤目の幽霊に取り憑かれたかと思い恐怖していたからだ。

この夜は久しぶりにパパと一緒のベッドで眠りについた。そのお陰か悪夢に襲われる事なく翌朝までゆっくりと眠ることが出来た。



翌朝、その話を聞いたママも大いに心配してくれた。今日も仕事を休むかと云う話が出たが、丁重に断っておいた。2日連続で休むのはあまり良くないと思うし、今日はフランツィスカがお店にくるかもしれない。なにより、昨日の経験から変に暇が出来るのはよろしくないと思ったからだ。

午前8時前、私は両親を見送り、仕事に行く準備を始めた。

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