第11話

帰りは幽霊の事や暗いことは殆ど忘れていた。

店に帰ると、ラーレさんが何人かの男子学生に囲まれ楽しそうにお喋りしながらお茶を飲んでいた。


「エーデルちゃん、お帰り~」彼女は男子学生の間からひょっこり顔を出し、ご機嫌そうに手を振ってきた。正直、ちょっとだけ腹立たしい。

しかし、彼女の周りにいる男子学生が店の休日の売り上げにかなり貢献していると云う歯痒い事情があって、店長も私も何も言えないでいる。

ラーレさんはあんまり真面目な人ではないが、男の人を会話で楽しませると云う点では群を抜いていると思う。それを証拠にラーレさんに話しかけている男子学生たちは終始笑顔でいる。ラーレさん自身もおおよそ興味ないであろうネットゲームの話題なども嫌な顔1つせず知らないなりに笑顔で丁寧に受け答え反応している。要するに聞き上手なのだ。自分が今のラーレさんと同じ年に成長しても、まず同じような事は出来ないだろう。話し相手に興味のない話をされたら、十中八九会話に乗れない。

そもそも、私の顔では周りに男子が集まらないだろう。ママは美人なのに・・・

私は羨ましいような憎らしいような目で、ラーレさんを眺めていた。

残念ながら、今お客様は彼女の周辺にしかいない。


「あっ、エーデルちゃん。この人に紅茶おかわりしてあげて」

不意にラーレさんは私に向かってそう言ってきた。彼女は自身も店の店員の一人であると云うことをちゃんと分かっているのだろうか。

そんな文句を言っても仕方がないので、私は渋々ラーレさんの取り巻きの一人のティーカップを下の皿ごと持ってカウンターの中に入った。

うちのお店ではマルコポーロと云う少し香りが強い紅茶を扱っている。

私は好きだが、香りのせいもあって苦手な人も少なくない。そういう方には諦めて別の飲み物を頼んで頂いている。とりあえず、ポットから紅茶を注ぎ終えた私はカップを元の男の人のところに戻した。

「おっ、ありがと。ラーレさん、この子いくつなの?」

紅茶を受け取った男の人はそう私に言ってからラーレさんの方を見た。

「まだ、十一よね?」私は黙って頷いた。

「すっげぇな、その年からもうバイトしてるのか。」

「そうだ、紅茶のお礼にこれやるよ」男の人はそう言って鞄からジュースの缶を一つ出した。赤い色の缶、嫌な予感がした。

予感は的中してしまった。男の人が取り出したのはコーラの缶。本日2本目だ。

「あ、あの・・・・・」

「いいって、いいって。遠慮しないで持って行って!」

男の人は私の髪を撫でながら、半ば強制的に私の手の中にコーラの缶を収めた。

「エーデルちゃん、良かったわね」ラーレさんは満面の笑みを私に送った。ラーレさんに至っては私が炭酸を苦手な事を知っているはずなのに、ひどい。

私は2本目のコーラー持って、複雑な気持ちでカウンターに戻った。


「まぁ、生きてればそんな事もあるさ」隣でおじさんが言った。

パパに渡せば少しは喜んで貰えるだろうか? 私はそんなことを考えながら皿を洗い始めた。今日はフランツィスカがお店に来てくれる約束になっている。さっき店長に聞いたところ私が外に出ている間にはそのような子は来てないらしい。

フランツィスカは私にとって猫以外での初めての友達だ。そのせいもあって期待と不安でとても待ち遠しく感じる。もし来てくれたらどんな話をしよう、もし来てくれなかったら・・・とにかく、私の頭はフランツィスカの事でいっぱいだった。


それから、4時間経ったが彼女は未だ来ない。既にラーレさんの取り巻きの男の人たちはいなくなり、ラーレさんはまた独りで読書に耽っている。

時間は5時半過ぎ。私の心は既に俯いてきている。

「きっと、忘れちゃってるんじゃない?」ラーレさんは不安そうな顔をしている私に気付き、サラっと恐ろしいことを言った。

初めての友達、初めての友達との約束。まさか、それが忘れられてしまうなんて。

でも、私にとってどんなに重要な事であっても彼女にとっては取るに足らない陳腐な約束なのかもしれない。確かに彼女と私では全く釣り合わない。

彼女が『友達』と言ったのも口だけなのかもしれない。そう思うと悲しくなってくる。どうせ、私なんか・・・・


「ちょっ、ちょっと、泣かないで! 私が悪かったから! きっと、習い事か何かで忙しくてまだ来れないのよ。まだ時間は2時間以上あるし、必ず来るわよ!」

ラーレさんは涙を零してしまった私を見て、慌てて言った。

「大丈夫、大丈夫よ」

彼女はそう言って私の方に来て、私を抱きしめ優しくそう言った。

自分でもよく分からないが、ラーレさんに抱きしめて貰い少し気持ちが落ち着いた。

彼女が離れた後、ふと彼女の座っていた席の方を見ると大事な本が床に落ち、しおりが本に挟まれておらず、机の上に残されたままだった。

なんだかんだで、ラーレさんは私の事を気にかけてくれる良い人なのだ。

私はラーレさんに感謝しながら、フランツィスカを疑ってしまった自分を恥じた。

ラーレさんは嫌な顔ひとつせず、本を拾い上げ読んでいたページを探した。

ここで本を閉じて、店の掃除でも始めれば素直に尊敬できるのに。

それから、お客さんが何人か来たがフランツィスカはまだ来ていない。



時間は6時過ぎ、丁度夕飯時だ。それにも関わらずお店にはラーレさんを含めて4組しかテーブルについていない。時期は9月、既に日は落ちている。

寂しいが、もうフランツィスカは来ないだろう。きっと、別の急な用事が入ってしまったのだ。忘れられた訳ではない。私は自分のそう言い聞かせながら、コーヒーとオレンジジュースを隅の席座っている親子の所に運んだ。

「コーヒーは静かな所で飲むに限るな」父親らしき男がコーヒーを受け取りながら、向かいの子供に向かって言った。よく見れば向かいの子供は昨日の包帯を巻いてくれた髪が薄紫色の少女だ。

「まぁ、あなたはそうでしょうね。私は騒がしい方が好きよ」少女はそう言ってから、私に気付いた。

「あっ、昨日の子じゃない? 怪我は大丈夫?」

少女はそう話しかけてきたので、私は黙って頷いた。不意に話しかけられると言葉が出てこないのだ。

「なんだ、知り合いか?」

「昨日、道で血痕を見つけてもしやと思って辿って行ったら怪我したこの子がいたの」

「そうか。それで、魔女はいたのか?」

「いなかったわ。大体、魔女ならこんな怪我じゃ済まないでしょう」

「それもそうか。なら放っておけばいいだろう。ただの他人だ。うちの患者と比べて保護責任もない」

「あなたねぇ。そんな事だから皆に冷血漢って言われるのよ」

「別に冷血漢で構わねぇよ。そもそも俺にはもう人間の血なんて通ってないかもしれないしな」父親らしき男は自嘲気味に言うと付けていたマスクをわざとらしく一瞬だけ少し浮かせた。

その時、見えてしまった。その人の口は頬の途中まで避けており、歯は獣のように鋭く尖っている。そして、口周りは痛々しいほど血管や腫瘍のようなものが広がっていた。私はあまりの光景に持っていたトレーを床に落としてしまった。


「あっ、あっ、あっ、あの・・・・申し訳ございません!」

私は急いでトレーを拾い上げカウンターに戻った。ラーレさんが不思議そうな顔でこっちを覗いている。

よく考えればあの親子はおかしな事だらけだ。親子なはずなのに少女の方が男と対等な体で会話をしているし、男もそれを全く気に留めていない。

おまけに『魔女』がどうのと、助けてもらった相手にこんな感情を抱くのは失礼かもしれないが、どう考えても普通じゃない。

極めつけは男のマスクの下の怪物のような口。言い知れない恐怖が私を包んでいく。

いつの間にか私の体は小刻みに震えていた。更に最悪な事にこのタイミングで目の赤い少女の事も思い出してしまった。震えは加速し、息が苦しくなる。

何で私ばかりこんな思いを・・・・・・



「エーデル!?」

突然、ママの声を聞こえた。その声のお蔭でなんとか私は我に帰った。声のした方に体を向けると、そこにはママではなくラーレさんが立っていた。

「嘘、大丈夫?」

ラーレさんはそう言うと、私をお客さんから見えないカウンターの奥に連れて行き、椅子に座らせてくれた。

少し落ち着いたところで私は例の親子の事を彼女に話した。

ラーレさんは少し考えたような素振りを見せた後、「私が見てくる」と言って行ってしまった。この位置からはお客様のテーブルの様子は見えない。

しばらくすると、ラーレさんは何事もなく私の方に戻ってきた。

「マスクの下のあれ、病気らしいよ。脅かして悪かったって」

そして、至って普通のトーンでそう語った。そうか病気か。でも、口周りが怪物のようになる病気などあるのだろうか。疑問は残るが、病気なら恐怖する必要はなさそうだ。でも、ラーレさんは『魔女』については何も聞いてくれなかったらしい。

気になるがあの親子に直接聞くような勇気はない。とりあえず、私は立ち上がり出来るだけ親子から離れた位置で仕事をこなした。料理を食べ終えた親子が席を立つと、少女の方がちょこちょこと私の方に歩いてきた。

さっきはうちの連れが驚かしちゃったみたいでごめんね。あの人も別に悪気があったわけじゃないから、許してあげて」

少女は申し訳なさそうに言った。もうどっちが親だか分からない。

「これお詫びに持って行って、たいした物じゃないけど」

少女はそう言って、手提げカバンから赤色の缶を取り出した。私は絶句した。

少女の後からラーレさんの顔が見えた、明らかに笑いを堪えるのに必死そうだ。

私が複雑な面持ちでコーラの缶を見つめていると、ついに後ろのラーレさんが吹き出してしまった。

少女が何事かと振り向くとラーレさんは笑いながら語り始めた。

「ビゴさん、この子炭酸駄目なんですよ。それなのにこれで今日貰ったコーラが3本目で! あはははははッ」いくらなんでも笑いすぎだ、ひどい

あれ、ビゴさんって誰?

私は目の前の少女を見た後、ラーレさんの方を見た。


「あっ、しまった」ラーレさんはそう口にして急いで片手で口を噤んだ。

「シャング、『私たちの関係は秘密にしておいて』って自分で言っといてそれはないだろ。勝手に自爆しやがって」店を出ようとした、マスクの男が呆れた口調で言った。

「うぅっ・・」ラーレさんは男の言葉を聞くとばつが悪そうに肩を竦めた。

「まぁ、私たちが知り合いって事が分かっても別に困ることはないでしょう、ね?」

少女はラーレさんに向かってそう言った。

対するラーレさんは相変わらずバツが悪そうな顔をしたままだった。

少女の言う通りラーレさんと親子に関係があったことを知られても、ラーレさんに何かしら不都合があるとは思えない。むしろ、私は得体の知れない親子がラーレさんの知り合いだと分かってかなり安心している。

少し考えてみた。この3人が知り合いという事はラーレさんは実は『魔女』の事を知っているかもしれない。このまま心の中に留めておくのも気持ちが悪いので私は思い切って聞いてみることにした。

「あっ、あの、ラーレさん、『魔女』って何の事ですか?」

私がそう言うや否やラーレさんは頭を抱え、親子の目つきが変わった。

しばしの沈黙の後、口を開いたのは少女だった。表情は元に戻っていた。

「隣町で傷害事件を起こした犯人の事をそう呼んでるの。凶器に用いられた薬品が未知の薬品だったから、そう呼ばれているの。まだ捕まっていないからあなたも気を付けて」


なるほど、さっきの二人の話の通り出会ったら確かにたたでは済まなそうだ。

「そうそう、隣町の犯人の事なのよ」ラーレさんが後ろで頷きながら言った。

「お前はもう喋らない方が良いんじゃないか?」それを見た男がボソリと呟いた。

すると、再びラーレさんは肩を竦めた。誰かに言い負かされているラーレさんは見ていて新鮮だ。店長に対しても図々しい態度を取れるあのラーレさんが肩を竦めるくらいなのだから、あの男の人はよっぽど恐ろしいのであろう。

「それにしても炭酸が駄目なんて、今どきの子にしては珍しいわねぇ。今度来るときはオレンジジュース持ってきてあげる」少女は二人をよそに私に言った。

「あっ、ありがとう」私は頭を下げた。すると、少女は嬉しそうに微笑んだ。



そんなこんなで奇妙な親子が店から去ると、どっと疲れがきた気がした。

隣を見ると、どうやらラーレさんも同じようだった。

「そう。別に隠しても仕方がない事だから一応言っとくと、あの二人は親子ではないし、小さいほうの人はああ見えても私よりも2つ上の先輩なのよ。病気で成長が6歳で止まってるだけ。本人は全く気にしてないけど、言葉遣いは将来のために気を付けた方がいいと思うよ」ラーレさんはサラりと衝撃の事実を口走った。

ラーレさんは今十七歳、つまりあの小さい子は十九歳ということになる。

道理でラーレさんが彼女に対しても敬語を使っていた訳だ。


そうなると私は8つも年上の女性に昨日からなんと生意気な口調を使っていたのだろう。私は先ほどとは全く違う恐怖で身を震わせた。


彼女たちが去ってまた時間が経ったがまだフランの姿は見えなかった。何かの用事で来れなくなってしまったと自分にいくら言い聞かせても、やはり寂しい。

私は外を眺めながら、ゆっくりと溜息をついた。

流石にこの時間に来ることはないだろう。


私は自分の気持ちに諦めを付け、窓拭きに集中する事にした。

そして、結局閉店時刻の8時まで彼女は現れなかった。最後のお客さんが店を出たのを確認して、外の『OPEN』看板を裏返し『CLOSE』に替える。

その後、ラーレさんがカーテンを閉じている間に私が床を軽く箒で掃く。

一通り閉店作業が終わるとラーレさんが私の方に寄って来た。

「人生こんな事もあるから、あんまり落ち込まないで」彼女はそう言って私の頭をクシャクシャに撫でた。なんだか、泣きそうだ。

「それじゃあ、二人とも今日はお疲れ様」後ろからおじさんの声が聞こえた。

ラーレさんと一緒に店の外に出ると、外は意外と寒くなっていた。

「うぅ、寒いねぇ。まだ秋なのに」ラーレさんは空を見ながら呑気に言った。

「まだ待つの?」彼女にそう聞かれ、私は無言で頷いた。

「別にいいけど、風邪ひかないようにほどほどにしときなね」彼女はそう言って夜の街に消えて行ってしまった。確かにラーレさんの言う通りこの寒空の下、長時間待っている事は心身共に辛いものがある。あと十五分だけ待って、こなければ私も家に帰ろう。私は街の時計を確認し、コートのチャックをキュッと閉め、出来るだけ寒くないように身を小さくして待つことにした。

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