第1話

部屋の電気を消すのが怖かった。

暗闇は怖い。どこに何がいるか分からないから。

この感覚は今日始まった訳じゃないが、今日は特別だった。

なぜなら、あの幽霊に会ってしまったからだ。部屋の電気を消せばまた現れ襲って来るのではないか、そんな恐怖が私を包んでいる。

本当は両親が帰ってくるまで電気を点けっぱなしにしておきたいが、両親が帰る頃に寝室の電気が点いていれば、前のようにきつく怒られてしまう。

となれば、もう諦めるしかない。私はチャミを抱き寄せ部屋の電気を消した。

電気を消すと、部屋は一瞬で不気味な闇に包まれた。

私はチャミを抱きかかえたまま急いで布団に潜った。布団に潜ったが、嫌に目が冴え全く眠りにつける感じではない。

それでも私は無理に目を瞑り眠りに就こうと努めた。

どれくらいの時間が経ったか、誰かが玄関を開ける音が聞こえた。

ママかパパだ! 私は嬉しくなった。

やっと、この恐怖から解放されるのだ。早く寝室に来て欲しい。

しかし、家に戻って来た両親のどちらかは中々寝室に入る気配がない。

きっと、戻ってきたのはママで化粧を落とすのに時間が掛かっているのだろう。

そう思っているうちにママが廊下を歩く音が聞こえて来た。これで一安心だ。

段々と足音が寝室に近付いて来る。と思ったら、なぜか足音は寝室のドアを素通りし玄関へと流れて行った。足音は玄関まで行くと再び寝室のドアを素通りしリビングに流れていく。そして、また玄関の方へ。様子がおかしい。私はだんだん怖くなってきた。

「ママ?」

私は勇気を振り絞りドアの向こうの相手にそう語りかけた。

すると、廊下を往復していた足音が止んだ。しかし、返答はない。

「ママだよね?」

相変わらず返答はなく嫌な静寂が家中を包み込んだ。

いつまで待っても相手からの返答が無い。

もしかしたら、ドアの向こうに居るのは・・・・・


しかし、まだそうだと決まった訳ではない。なぜなら、前にうちのパパが夜中に私を驚かした事があるからだ。パパがまだ眠りに就いていない悪い子な私を脅かそうとドアの前で待機している可能性は大いにある。いち早く安心を得たかった私は恐怖を堪えドアを開ける事に決めた。

布団から身を出し、部屋の明かりを付ける。そして、ドアの方へ。

ドアノブに手を掛けると心臓の鼓動が異常に早くなった。ドアの向こうに居るのはパパ。

パパが私を驚かそうとしているだけ。心の中で自分にそう言い聞かせた。

「パパ、開けるよ」そう言って私は目を瞑り思い切りドアを開けた。

ゆっくりと目を開けると、そこに居たのはパパでもなければママでもない。そして、赤い目の幽霊でもなかった。白いワンピースを着た蒼い目の少女。

私はあまりにも予想外の事に言葉を失った。

その少女は私の顔を確認するなり眼を細め笑顔になった。

その笑顔は最悪だった。口元がありえない程グニャリと曲がっている。

私は大きな悲鳴を上げ尻餅をついてしまった。

少女は最悪な笑顔を保ったまま私に近付き、私の首を両手で思い切り掴んだ。

「一緒に行こう。一緒に行こう。一緒に行こう。一緒に行こう。一緒に行こう。」

少女はそんな言葉を口にしながら、どんどんと首を絞める力を強くする。

徐々に頭が熱くなり、耳鳴りが始まった。自分の意思とは関係なしに目が潤み視界もだんだんと霞んでいく。声は出ない。苦しい。どうして私ばかりこんな目に合わなきゃいけないのだろう。

『どうして』その思考を最後に私の意識は失くなった。



気が付くと私はベッドの上に居た。時間は朝らしい。

部屋の外から水を流す音がする。きっと、パパかママが顔を洗っているのだ。

夢、今まで私が見てきた恐怖はただの夢だったのだ。私はそう悟った。

学校には行かず、毎日を薄暗い気持ちで過ごしていれば悪夢の1つや2つ見たところで何の不思議もない。私は気持ちを切り替えベッドから出て洗面所に向かった。

洗面所に居たのはパパだった。

「おはよう、パパ」私がそう言うとパパは少し困った顔をした。

「おはよう、エーデル。早速だが話さなきゃいけない事がある。何の事かは分かるね」

パパはそう言ったが、まるで、見当が付かない。私が何かしただろうか。

私は首を横に振った。

「それじゃあ、これを見れば思い出してくれるかな?」パパはそう言って水の張られていないバスタブから何かを取り出し。私に見せた。

チャミだ、そう猫のチャミ。しかし、おかしい。チャミがいるという事は・・・・

電流のように私の脳に夢の記憶が過ぎった。野良猫のたまり場。材木置き場。有り得ない程に白い肌。異常な力。血のように赤い目。赤くて深い目。

夢じゃない。チャミが家に居るという事は赤い目の少女は確かに現実で遭遇したのだ。あの時の恐怖が一気にぶり返し私は吐き気を催し、堪え切れずパパを差し退いて洗面台に嘔吐してしまった。

「エーデル、大丈夫か!」パパは慌てて私の背中を摩った。

しかし、全く気持ちは落ち着かず私は再び洗面台に嘔吐した。

「ママ、エーデルが大変だ!」パパが叫んだ。

リビングの方から朝食の準備をしていたママが走ってきた。

「エーデル、大丈夫!?」ママは洗面所に来るなり、そう言って私の胸を摩る。

「分からない」私は正直に答えた。

「大丈夫よ、ママが付いてるからね。ゆっくり深呼吸して」

私はママの言う通りゆっくりと深呼吸した。すると、少し気持ちが落ち着き、吐き気が収まった。

「昨日の雨で風邪を引いたのね。あなたにもっと厚着をするように言わなかった私の責任だわ。ごめんなさい、エーデル」

ママは本当に申し訳なさそうな顔で私の頬に触れながら言った。そうじゃないと言いたいが幽霊の話をして信じて貰える確証はない。なにより、そんな不確定な存在に怯えていると知ったら余計な心配を掛けてしまうに違いない。

私は赤い目の幽霊のことは秘密にしておくことに決めた。

「エーデル、これは前から思っていた事だが、お前まで無理に働かなくていいんだぞ。まだ、小学生なんだから。学校に行きたくないならそれでいい。学校に行ってないからって無理に働く必要なんかないんだ。もっと、お前はお前のやりたい事をするべきだ」

事が落ち着くとパパが突然そう語りだした。ママも無言で頷きそれに同調する。

「私のやりたい事は少しでもパパとママの役に立つことだよ」

私はパパの言葉にそう反論した。

すると、パパがいきなり抱きついてきた。

「ごめんな、エーデル。貧乏で本当にごめんな」

違う、そんなつもりで言った訳じゃない。

「私も約束するわ、エーデル」ママが私の頭を撫でながら言った。

パパとママはどうも分かっていないらしい。私の幸せは目の前にある。ママとパパと一緒に居るこの時間こそが私にとって一番幸せなのだ。

しかし、私は気恥ずかしさからそれを言葉で伝える事が出来なかった。



それから、私は赤い目の少女の事を忘れ。両親と共にいつも通り質素な朝食を摂った。

ちなみに、チャミの件は今日中に元の場所に戻すという話で落ち着いた。

私が両親と話す事が出来るのは朝の僅か1時間足らずの時間だけ。また、二人は私を置いて仕事に行ってしまう。

「それじゃあ、行ってくるからね。くれぐれも今日はゆっくり休むのよ」

「パパも行ってくるからな。外で遊ぶ時は気を付けるんだぞ」

午前8時前、両親のそれぞれはそう語り玄関を後にした。

「行っちゃった」

私が呟くと抱いていたチャミが私の顔を見て小さく鳴いた。

チャミにはこの状況が理解できているのだろうか。

私はひとまず部屋に戻りベッドに横になった。というのも今朝の嘔吐のせいもありママがおじさんに仕事を休むと伝えてしまったからだ。

大丈夫だと言ったが、今日1日は休んで欲しいと懇願されたので甘んじてしまった。

家の本は殆ど読破してしまったので、やる事が無い。こういう時にゲーム機の1つでもあればいいなと思うが、我が家にそんなお金が無い事など承知の上だ。

何もする事が思い付かず、ただなんとなく仰向けになり天井を眺める。


白い天井。私は天井の色から白いワンピースの少女の事を思い出してしまった。

あの恐ろしい笑顔。少女に首を絞められたのに、私が生きていると云う事は彼女に限っては幽霊ではなくただの『夢』なのだろうが、『夢』にしては余りにも苦しさがリアルだった。今まであんなリアルで怖い夢を見たことがない。

私は勝手に白いワンピースの少女の事を思い出し、一人で怖くなった。

怖い気持ちになると、嫌でも赤い目の少女の事も思い出してしまう。

私は部屋に一人で居るのが耐え切れず学校に久しぶりに行くことに決めた。一人で怖い思いをするよりもまだ学校に居た方がマシだ。

学校に行くといっても、もちろんクラスではなく図書室。

今から学校に向かえば丁度1時間目が始まったくらいの時間に学校に着くので、図書室に生徒はいない。居るのは優しい図書委員のおばさんだけだ。


私はそうと決めるとすぐに着替えを済まし逃げる様に家を飛びした。

ちなみに、チャミをまたコートの襟の中に収めている。

チャミは襟元から顔を出しなぜか得意げな顔をしている。可愛い。





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