プロローグ2
土管の外に出て傘を差すと、土管の中からチャミが顔を出して私の顔をジッと見ていた。どうやら、彼女も声の主が気になるらしい。仕方なく私は彼女の体を着ている大きめのコートの襟の中に収めた。コートの襟からチャミがヒョッコリと顔を出す。可愛い。そんな感じで私たちは謎の声を辿る事にした。
気付いた事はまず歌声は材木置き場の外ではなく更に奥から聞こえているらしい。
私たちは歌声を頼りに材木迷路を進んでいく。進むにつれその歌が大きくなり英語の歌だと云う事も分かった。しかし、楽しい歌ではなく悲しい歌だということはメロディーだけでも大体は想像が付く。歌声が大きい方へ大きい方へと足を進めていくと目の前の積まれた木材のその向こうに声の主が居ると確信出来る距離まで辿りついた。
かなり歩いた様な気もするし、そうでない気もする。
とにかく、目の前の積まれた木材の向こうに声の主が居る。
近くで聞くとその歌声は不気味な程に透き通っていて美しかった。
私は傘を雑に頭の上に乗せ息を呑んで材木の1つに手を掛け向こう側を覗いた。
雨の中、同い年くらいの少女が傘も差さず積まれた木材の上に座り込んで歌を口ずさんでいた。しかし、その風貌は正直言って異常だった。
まず、黒いコートに少し色褪せたジーンズこれらは普通だ。私が異常だと思ったのは顔は少女なのに髪がお婆さんのように真っ白である事、そして白いのは髪だけではなく肌も同様に白かった事。私は白人だが、そんな私と比べても明らかに白い。
その白さは生気とかそんな物をまるで感じさせなかった。
そして、何より彼女の眼。彼女の眼は血のように赤く周りが白い肌のせいで赤がより際立って見える。少女に似合わぬ白髪、生気を感じさせない程白い肌、血のように赤い目。私は彼女がこの世の者ではないと半ば確信した。
そこからは私の心を恐怖が支配した。
普段から怖がりな私にとって赤い目の少女は恐怖そのものであった。早く離れたい。
早く離れたいが少しでも動けば少女に見つかってしまう。そんな気がして中々動けずにいた。
しかし、この状態を維持してもいずれは見つかってしまう。ならば行動するしかない。
私は細心の注意を払いながら可能な限り音を立てないように木材から手を離した。まだ、気づかれていない。私は次に顔を引っ込めようとした。
その時、致命的なミスを犯した。頭に乗せていた傘を地面に落としてしまったのだ。
大きな音が鳴った。実際には小さな音だったかもしれないが状況が状況なのでその音はかなり大きく聞こえた。
気づかれてしまった。視線の先の少女は一瞬体をビクっとさせ歌うのを止め私の方を見た。
もう一方の眼も血の様に赤く、それらの視線は真っ直ぐと私へと向けられた。
正面顔はかなりの美人だったが赤い目と白い肌のせいで怖さしかない。
私は悲鳴を上げた。悲鳴を上げたつもりだったがそれは掠れ音にならなかった。
視線が5秒程重なった後、少女は一目散に私の方へ向かってきた。
捕まったら殺される。絶対に逃げなくてはならない。そんな気がした。
私は落とした傘を拾う事もせず、即座に立ち上がり全速力で走り出した。
全身に雨を受けながら材木迷路を駆け抜けていく。しかし、中々外に出ることができない。焦りを感じながらも走り続ける。止まれば捕まってしまう。
角を曲がろうとした時、ぬかるみに足を取られ派手に転び前かがみに倒れてしまった。幸い地面に両手をついて頭を打つことは無かったが、地面に打ち付けた膝と手の平がかなり痛む。膝を見ると派手に擦り剥いており、傷口から血が滲んでいた。
転んだ痛みと赤い目の少女への恐怖から目から涙が湧き上がってきた。しかし、泣いている場合ではない。今は何より立ち上がって逃げなくてはならない。
私は涙を拭い立ち上がろうと、もう一度地面に手をつき前方を見た。
目の前に色褪せたジーンズと黒いブーツが見えた。
終わった。既に追いつかれていたのだ。私は全てを諦め四つん這いの状態のまま視線を上に向けた。
少女は目を細め冷たい視線を私に注いでいた。少女は不意に私の右腕を思い切り掴んで無理矢理私を立たせた。その時の力はとても少女とは思えないすごい力だった。
力の事もそうだが何より彼女の手は氷の様に冷たかった。
人は死んだとき冷たくなると云う話をよく聞く。それを考えると目の前の少女はやはり私の想像通り・・・・・・・。
少女が私の腕を掴んだまま何か言おうとした。その瞬間、救世主が現れたのだ。
少女の背後から黒く小さな影が現れそれが彼女の足に飛びついた。
「シュバルツ!」私は声を上げた。
少女はかなり驚いた様子で私から手を離した。その瞬間を見計らった様にシュバルツは大きな声で鳴いた。
『ここは俺に任せて逃げるんだ!!』シュバルツがそう言っている様な気がした。
私は後で必ず迎えに行くと心の中で彼と約束し再び全速力で走り出した。
今度は迷わず順調に迷路を進めている。やがて、出口が見えた。
私は材木置き場を出ても全速力で走り続けた。街外れから街灯の光に満ちた繁華街に入ってもまだ走り続けた。途中で稀有な目で見られたかもしれないが、そんな事はどうでもいい。ただ一心に家に帰る事だけを考えた。
走り続けること十数分、やっと見覚えのある寂れたアパートが見えてきた。
私は急いでそのアパートの階段に上り、我が家に駆け込んだ。
中から鍵をかけやっと一息ついた。
私は玄関のドアに背中を付けヘナヘナと座り込んだ。
まだ震えが止まらない。赤い目の少女の姿と彼女の歌が意思とは関係なしに頭の中で何度もリピートされ頭から離れない。
家は貧しく学校ではいじめられ、終いには赤い目の幽霊に追われる。どうして、私の身にばかりこの様な不幸な事が起こるのだろうか・・・・・。
私は玄関に座り込んだまま声を上げ大泣きした。
一通り泣き終えると少しだけ気持ちが落ち着いた。私が腰を上げ立ち上がろうとすると、コート襟の方から猫の鳴き声がした。下を見る。
チャミだ。あんな事があったのでそのまま連れてきてしまっていたのだ。
ただでさえ貧しい我が家にとって猫を飼うなど以ての外というのは子供の私にでも分かる。ただ今日だけは本当に家に一人で居たくなかったのでチャミをこのまま家に招き入れる事にした。両親も話せば分かってくれると思う。
私はずぶ濡れになったコートを洗濯籠に入れチャミの体をタオルで念入りに拭いた。その間、赤い目の少女の事を思い出さないように努めた。
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