1-11 むかしむかしの、その過去の話

 産まれたのは薄暗い檻の中だった。毛布も、なにもない。あるのは備え付けられたトイレのみ。周りをみれば、くっついて寝ている者、隅の方で震える者。檻の外に手を伸ばして、槍を構えるヒトにそれを突き刺され暴れる者。そんな空間の中で産まれた。

 

 生まれた時からこの姿だった。ヒトの頭に猫の耳。伸縮可能な爪。傷付いてもすぐに治る怪我。


 産まれてすぐ、首輪をつけられた。成長と共に自動調整される首輪らしい。


 名前を付ける。それは齢五歳以上じゃないとできないらしい。理由は、痛みに子供のネトが耐えられないから。五歳にもなれば、多少の事は我慢できる、そんな理由だった。


 あの頃はわからなかったが、自分を産んだ両親は、沢山の愛を与えてくれた。

 聞いた話、ネト同士を無理やり交配させて子供を産ませていたらしい。それは苦痛だっただろうに、それでも確かに両親の愛情を感じたのだ。父の力強くも暖かい腕の中。母の優しい声。狭く、苦痛に満ちた場所だったが、それでもあの場所が好きだった。愛情をくれる両親がいれば、それでよかったのだ。


 けれど、それは長く続かない。

 それに気付いたのは三歳半になるころだった。檻の中のネトが少しずつ変わってきていた。そして、最初からいたネトが何匹かいなくなっている。


 そこで見てしまった。檻が開く瞬間。震えるネトを捕まえるヒト。暴れるネトに、ヒトは取り出した何かのボタンを押すとネトがギャア!と声を上げて動かなくなる。そして、そのまま連れて行かれた。


 成長してから知った話、それはネトの実験を行なっているらしかった。ヒトによるネトの実験。実験の内容までは知らない。

 知らないが、残酷なものに違いない。連れて行かれたネトが帰ってきたことは、覚えている限りなかった。


「ヒトは、ネトを捕らえる悪い奴だ。ヒトを見つけたら逃げなさい」

「生き辛い世界に産んでごめんなさい」


 齢五歳ほど。ネトに名前を付けることができる年齢になった。

 その日は命が途切れない程度に配給されたわずかな食事を自分に分け与えて、壁の小さく空いていた穴に、檻の外で見張るヒトに見えないように押し込まれた。


「やだっ、ねえ!まって!いっしょにっ!」


 「一緒に逃げよう」、そう言おうとして言葉を喉の奥に押し込んだ。一緒には逃げることはできない。なぜなら、押し込まれたその穴は、子供しか通れない穴だったからだ。大人は通れない。


 最後に見えたのは、自分を産んだ両親の泣きそうな顔だった。


 叫ぶのをやめる。もう振り返らなかった。


 戻りたかった。抱きしめてくれたあの温もりに。頭を撫でてくれた手のひら、泣く自分をあやす優しい声。けれど、もうそこには戻れない。


 逃げなければいけない。逃げて、生き延びなければならない。


「ああっ、あ…っ…」


 汗と一緒に涙が溢れた。生きるために逃げた。足がちぎれそうになるくらい走った。遠くに行かなければと思った。誰にも見つからない場所を求めて走り続けた。



 “そのヒト”と出会ったのは、その頃だ。

 その日は大雨が降っていた。

 小さな木の実を食べ、川の水を飲んで生きていた体力はいつ尽きてもおかしくなかった。終わりのない迷路を走るように、いつまで逃げたらいいのか分からない道を、ただ走る毎日。そんな生活にすっかり疲弊していた。


 終わりはない。一生逃げて暮らすのだ。そう思うと、もう限界だった。足が縺れて地面に倒れ込む。もう、起き上がる気力は残ってなかった。


「ねえ、大丈夫?」


 地面に倒れた自分に気付いて話しかけて来た少女がいた。

 それが『かすみ』との出会いだ。

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