1-10 その姿
病院に着くなり他の二人に説明する前に中に入り、ベッドに下ろされ、そして腕に抱いたままだった烏を受け取る。
こちらを見ずに中央に置かれたベッドにその子を乗せた。引っ掛けてあった紅色のガウンを着ていた服の上に着て、マスクをつける。移動式のライトを手繰り寄せて烏を照らしていた。
必死な顔は、ここからでも見えた。
丁寧に、けれど急いで。そこには強い意志しか見えなかった。いつも見てきたヒトが持つものとは違う。確かにそこにも強い意志はあるのだが、全く違うものだった。
命と向き合うその必死さ。きっと、そうして他の動物たちもその手で救ってきたのだろう。
青年を庇うように前に飛び出した烏。自らの命よりも、彼の命を優先した。
自分を救わんとせんばかりに男に飛びかかった時もそうだ。普通、自然に生きる動物がそんなことをするはずがない。
青年が言うように、ネトを守るために飛び出した?違う。それはきっと、あの青年のためだ。
「(命を救う、ヒト……)」
信じられなかった。ネトを殺すこと、捕らえることしか考えていないヒトしか見てこなかった自分にとって、むしろそれは異質だったから。
けれど、実際にこの目で見ているその姿はまさしくそれだ。昨日の傷が早く癒えたのがこの青年の手当てのおかげなのだとしたら。
自分を背中に庇い、ヒトと立ち向かった先程の姿を思い出す。本当は見えていた。体が震えていること。それなのに、退こうとしなかった。
一方的に押し付けられた約束。それに同意した覚えはない。なのにここまで連れてこられた。あの場にいたら他のヒトに狙われる可能性があるから、などと理由をつけて。それはもっともらしくはあるが、しかし連れてきた彼自身もヒトに変わりはない。
それなのに、逃げようとしない自分がいるのは。足がまだ痺れていてちゃんと動けないという理由もあるが、射られた時のように全く動かないわけじゃない。逃げられないわけではないのだ。
それでも、ここにいる理由は。
「絶対に死なせない」
青年が呟く。それを、耳にした。烏に向けられた声は、どこかで聴いたことがあるような必死さがあった。
『絶対に生きてね』
それを思い出すのに、時間はかからなかった。
本当は、覚えている。忘れていただけだったんだ。辛い記憶として蓋をした。これ以上苦しい思いをしたくなかったのだろう。夢を見るほど、それは強い想いだったはずなのに。
ネトに名前を付けることができるという男の言葉を思い出した。
「(そうだ、本当は)」
その昔はあったのだ、名前が。ヒトから付けられた唯一の名前。消したくても、忘れたくてもこびりついて離れない記憶の中に。
手当てが終わったのだろう。着ていたガウンを脱いでマスクも外した。笑顔が見える。きっと成功したのだろう。入り口にいた烏達も喜びの鳴き声を上げる。
「おい、お前」
こちらに近付いてきたその青年に話しかける。昨日傷付けられたことなんてもう忘れてしまったような顔を向ける。その手には包帯が巻かれているのに。
臭いはない。男は言っていた。臭い消しがあると。この男もそれを使ったのだろうか。
いや違う。そうであれば烏の命よりもきっとネトの捕獲を優先するはずだ。亜種のネトというのは、希少で価値が上がるとあの男も言っていた。
それをしないのは、この男から臭いがしないのは。
「私は昔、自分に名前を付けたヒトを殺した」
青年の顔があからさまに強張る。
だからこそ言う必要があると思った。けれど言ったところで、このヒトが自分に危害を加えないのは、なんとなく感じた。
それは、甘い考えなのかもしれない。だから確かめるためにも、話し始めた。
過去の話。失ったヒトの話を。
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