1-6 いなくなった少女

 病院を出たのは朝早くだったはずなのに、気付けば太陽は真上にあり、腕時計に目をやれば昼を過ぎていた。

 喉は潤っているがさすがにお腹が空いている。そういえば、健二から預かっていた、と拓人は出るときに渡されたお握りを取り出し頬張る。時間が経って冷めてしまい、出来立てとは言えなくなってしまっていたが空腹を満たすには十分すぎるほどにボリュームがあり、美味しかった。


 少女は、目を覚ましただろうか。歩きながらそんなことを考える。そういえば、彼女の首輪には名前が付いていなかった。今まで付けられずに逃げてきたのだろうか。それとも。


「いや、考えるのはやめよう」


 変な考察は無しだ。それは本人から直接聞いたらいい。話してくれるかはまた別問題だが。


「ただいまー」


 森を歩いた所為で、せっかく綺麗に洗濯してもらった靴を早速汚してしまった。

 ようやく辿り着いた病院の扉を開けると、それと同時に何か大きな塊が拓人にぶつかってきた。う、と息を漏らして視線を落とすと、アオバが拓人の腹に突進していた。


「ア…アオバ、ど、どうしたの?」

「あ…あの子が、…いなくなっちゃったの!」

「え、…ええ!?」


 一難去ってまた一難。なるほど簡単に終わらないらしい。心を開いてくれる以前に、その心を開いてほしい子がいなくなってしまったのだから。


「た、拓人…悪いっ…目を離した、一瞬だったんだ…」


 奥から健二が出てくる。申し訳なさそうな、自分を追い詰めるような顔で拓人を見る。


 健二は三人分、そして拓人が帰ってきた時食べれるようにと四人分の昼食を作っていた。昨晩はカレーだったから、それをアレンジしてカレードリアにしようとしていたと。

 健二が料理をしている間、アオバは少女を見ていたが、少しだけ手伝うために場を離れた。

それはほんの数分の間だったが、二人が戻ってきた時には窓が開放され、少女の姿がどこにもなかった。そこに彼女が最初に着ていた服は無くなっており、脱ぎ捨てられた病衣だけを残して。


「ごめ、…ごめんなさい…私の所為で…」

「大丈夫、アオバの所為じゃないよ。あの子が出て行ったのはどれくらい前?」

「…さっきだ。拓人が帰ってくる数分前くらいだ」

「…そっか、じゃあきっとそう遠くには行ってないかなあ…けど、ネトの脚力で数分…」


 帰ってくる時にすれ違ってはいない。すれ違っていたら流石に気付くはずだ。けれどいなかった。別のルートで逃走したか、もしくは木々を渡って行ったか。


「拓人、俺は…」


 健二は自身の拳を握りしめた。後悔に苛まれている。きっと自分の所為だと思っているんだろう。拓人は健二にネトのことを託し、健二は留守は任せろと言った。結果的に、それを破る形になってしまったのだから。


「大丈夫」


 健二と、それからアオバに向かってそう言い、拓人は二人に背中を向けた。二人の不安そうに名前を呼ばれる。


 大丈夫、と。拓人はもう一度言った。


 大きな風が、その場に発生する。

 それは自然の風、ではない。びゅう、と音と共に聞こえた翼をはためかせる音。黒い羽が舞う。地面に降り立つ黒い鳥。

 烏だ。それも一羽ではない。三羽の烏。

 彼らは、拓人が森で怪我をしているのを発見し、病院で治療を施した烏だ。


「……君達が来てくれたってことは、きっと僕が言おうとしていることが、分かっているんだよね?」


 拓人の言葉に一鳴き。三羽は列を成して地を離れる。そのままどこかへ消えてしまう訳ではなく、空を旋回している。それは拓人を待っているようだった。

 野生とは思えない随順っぷり。拓人は駆け出した。すると烏達はそれを確認したようにそらから誘導するように進んでいく。


 ヒトの言葉を話せなくとも確かに烏達は拓人を導いてくれようとする。

 それが拓人の為なのか、それともいなくなってしまったあのネトのためなのかは分からないが、どっちでも良い。それで少女の元に辿り着けるのならばそれで良い。


 拓人はヒトだ。犬のように鼻が効く訳でもなければ兎のように遠くの音を拾える訳でもない。だから頼る。それを恥ずかしいこととは思えない。それで救える命があるのならば、躊躇う理由はどこにもない。


「君には、っ…聞きたいことが山ほどあるんだ…だから!どうか無事でいてくれ!」


 意地にも近いそんな気持ちで拓人は烏達の後を追った。


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