1-4『AYAKA』

 先ほどまで彼女が座っていた所に良太郎が座り、その膝の上に当たり前のように座る少女。拓人は用意された丸椅子に座り、入り口で迎えてくれたそれとは違うロボットが三人にお茶を淹れてくれる。拓人はゆっくりと淹れたてのお茶を啜りつつ、目線は良太郎の膝の上に座るネトから離さない。彼女もまたジッと拓人を見ている。


「まあ…なんだ、久しぶりだな。拓人が免許剥奪されそうになった件以来だった、か?ありゃ、何年前になるんだ」

「二年前かな……」

「二年か……にしてもお前はあんま変わらないなあ。相変わらず子供っぽい顔のままだ」


 余計なお世話である。

 最近健二にもお前は大人にならないなと高くならない背を指摘され、頭ひとつ分高い彼に子供にするみたいに頭を撫でられた。


「そういう良太郎くんはだいぶ老けた気がするよ。髭剃った方がいいし、髪も整えた方がいいと思うよ」

「余計なお世話だっつーの。気が向いたら剃るわ」


 拓人は少女から良太郎に目を向けた。

 良太郎は自身の口元に生える髭に触る。剃られていないそれはきっと安い髭剃りでは簡単に剃れないだろう。

 それでも良太郎が言う「気が向いたら」というのは一ヶ月に一回あるかないかのものだ。きっと次また拓人が訪れた時に剃られているか微妙なところである。


「それと、二年前の話はあまり思い出したくない出来事ナンバーワンだから掘り返して欲しくないんだけど……」


 良太郎が言った二年前の事件。起きたのは街の外。良太郎と拓人、二人に入ってきた仕事を受けに行った時のことだ。

 仕事自体はそう難しいものでは無かったが、受けに行った場所でとある事件に巻き込まれて危うく拓人は獣医師免許を取られそうになった。今となっては笑い話にしている良太郎だが、拓人にとってはまだ笑えない話だ。


「しばらく連絡もしてなかったからな。お前にはコイツのことを話していなかったよな」

「うん、びっくりした。……良太郎くんも、とうとう同じになっちゃったのかと」

「バカ言え。あんなのと一緒にすんな。あんなイカれた科学者共と……拾ったんだよ。この地下のもっと下。町から排出された排水が流れている所でな。怪我してたから連れて帰った」


 怪我は深いものではあったが、残る傷ではなく良太郎はそのまま大きな袋に彼女を包み、街の外れへ連れて行こうとした。


「元々、怪我が治ったら誰にも見つからない所に放してやるつもりだったんだ。どこにいてもネトを狙う奴はいるが、少なくともこんなヒトだらけの街よりはマシだろ。けど、なんでか知らないけどコイツ、離れたがらなかったんだ」


 行け、と言う良太郎の足にしがみついて離れたがらなかった。首を横に振って、尾を絡ませて泣いて嫌がった。だから仕方なく良太郎はまた袋の中にネトを包んで自分の家に連れて帰った。


「それくらい、その子が君のことを大好きってことでしょ?」

「あ?………あー、…そうか…ったく、面倒くせ」


 そう言いながら良太郎は膝の上に乗ったその子の頭を乱暴に撫でる。

 ズボラで、面倒臭がりで、あまり他を信用しない彼からは想像できない、というより今まで見たこともないような優しい顔で。


 面倒臭いなんて口では言っているが、とてもそんなふうに思っている顔じゃない。

 情愛や慈愛に溢れた顔だ。それこそ健二がアオバに見せるようなものと同じもの。


 そもそも面倒臭いなんて言っている奴が予め作っていた指紋認証のパネルに追加して、カメラを取り付けたり、二重の鍵になんてするはずがない。


 そう思いながら再び彼女に視線を戻すと、ふと少女の首輪に名前が彫られているのが見えた。『AYAKA』と。


 ネトの首輪には、ネトを制御する以外にも特殊な力が込められている。ヒトが名前を付けることができる、というものだ。元々の首輪の性能は、外そうとしたら電流が流れたり、また王族は遠隔でネトに電流を流すことができる。それに加えて、ヒトによって名前を付けられると、名付けたヒトに逆らうことができなくなる。言うことに絶対服従。逆らおうものなら、記憶が飛ぶほどの痛みを与えられるとか。

 だからヒトはこぞってネトに名前を付けようとする。

 ネトに名前を付けるには首輪の内側にある赤い小さなボタンを押しながら付けたい名前を呼ぶだけ。すると首輪に名前が自動で彫られる。名前を消すには、名付けたヒトが死ぬ。それだけ。

 生きているネトの多くは名前が付いていない。名前を付けられた時点で殺されたり、売買されるのを分かっているからだ。


「名前、付けたんだ」

「……ああ。俺は嫌だったんだ。名前なんかネトを縛るだけのものだからな。けど、コイツは名前を付けられたがった」


 ネトにとって、名前を付けられることそれは『死』に直結する。それでもこの子は、アヤカは良太郎に名前を付けてもらいたがった。それは他のヒトに名前を付けられたくなくて、だからその前に彼女の中で信頼するヒトならばと思ったのだろう。


「もし、自分の身に危険が及びそうになったら迷わず俺を殺すように言った。俺を使ってコイツを捕らえようとする奴が、出てこないとも限らないからな」


 拓人は良太郎の覚悟を感じた。目の前のネトを守り切るというものだ。

 自らの命を犠牲にしてでも守る、強い覚悟。


「君、そんなに熱いヒトだっけ?」

「さあな。けどもし変わったって思うなら、そりゃきっとコイツのおかげだろうな」


 良太郎は言う。ネトに出会って変わったと。自分を変えてくれたと。それは健二も同じことを言っていた。アオバを拾ったあの日。

 小さな体を抱きしめながら「俺が守る」と。


「アヤカ、か。…アヤカ、改めてよろしく。僕は拓人。さっきはびっくりさせてごめんね」


 警戒心を抱いたままの彼女に手を差し出す。引っ掻かれてしまう可能性があることを理解した上で、それでも敵じゃないと分かって欲しいから。


「…うん、良くんから話は聞いてるよ。私の方こそ、驚かせてごめんなさい」


 おずおずと手が伸ばされて、拓人の手を握り返す。それにホッとして笑顔を見せるとアヤカもつられて笑った。

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